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お題:最後の凶器 制限時間:2時間
溶き卵に出汁と砂糖、ほんの少しの醤油を加えてしゃかしゃかと箸で混ぜる。よく温めた卵焼き用のフライパンに流し込むと、じゅわんと油と馴染む音がした。
お弁当は父と自分用に毎朝作っているから慣れている。けれど、今日はいつもより少しだけ丁寧だ。卵がムラにならないようこしたり、巻く度に油をこまめに追加したり。
「おはよう……あれっ、なんか今日いつもよりおかずが多いよ?」
起床してきた弟がテーブルの上に並んだおかずを見て手を伸ばす。
う、鋭い。
そう思いつつも顔には出さないようにして軽く手を叩き、
「友達の分も作ってるの。ほらっ、今日はリョウ君とプールに遊び行くんでしょ。寝汗かいてるならシャワーしてから朝ごはん食べな」
とキッチンから追い出す。
アスパラのベーコン巻とえのきだけの豚肉巻き。ブロッコリーとプチトマト、和風に下味をつけた唐揚げ、それから卵焼き。穴埋めにキャンディチーズとアメリカンチェリーも取り出し、4つのお弁当箱にカップやバランを敷きながら手早くおかずを埋めていく。うち2つはたっぷりと詰める。ご飯を詰めた上から、甘辛く味付けしたおかかを乗せ、上に焼き海苔を被せて海苔弁エリアを作る。
顔を上げて誰もいないのを確認した後、わたしはお弁当箱の一つにちょっとしたいたずらを仕掛けた。
完成。
無地のクロスで全ての箱を包み終え、ふうっ、と息をつく。
時計を見ると、父の起床時間をかなり過ぎていた。
「大変っ」
慌てて二階に駆け上り、父の部屋に突入して叩き起こす。低血圧気味の父は朝に弱く目覚まし時計が役に立たない。
「お父さん、遅刻しちゃう!」
わたしの呼びかけに、頭がもさもさのままの父がうっすらと瞼を開く。
「今……何時?」
渡した時計の文字盤を見て、潰れかけていた目が一気に開く。
「こりゃいかん! 朝一で会議があるんだ!」
がばっと飛び起き洗面所に駆けていった父を見送り、クローゼットと箪笥からワイシャツとスーツ、ネクタイに靴下を準備をする。洗顔と歯磨きを終えた父が戻ってきたので、脱ぎ捨てた服を拾い上げ脱衣所に持っていく。
「なーんか、父ちゃん、すっごい顔で歯磨きしてたぞ」
シャワー上がりの弟がパンツ一枚で報告してくる。
「おい留美、弁当あるか!?」
どたどたと階段を降りてきた父に向かって、
「キッチンに置いたままだから、ちょっと待っててー!」
と叫んで戻ると、すでにお弁当は消えていた。
――先生用の分が。
「お父さんちょっと待っ」
「いってきますっ!」
バタン!
玄関扉が乱暴に閉まる。
「……ウソ」
先生のお弁当には、ピンクのハムで小さくハートをくり抜いて、ご飯に乗せてしまっている。
しかも爪楊枝に紙をくっつけた旗に「すき♡」なんて書いてピック代わりにおかずに刺してしまった。
一昨日の夜は仕事が遅くなるから会えなくて、今日は弟の道場が休みの日で、だから私が学校に行って、先生と一緒にお弁当を食べる約束をしていたのだ。
付き合いだして初めて会えるから、嬉しくって浮かれてしまい、つい、どこぞのバカップルみたいな事をしてしまったのだ。
「ど、どどどうしよう……」
よりによってそれを父に見られるなんて、普段なるべくしっかりしたところしか見せないようにしている父に見られるなんて!
焦った挙句、私は女子力の高いルビに電話で相談することにした。ラインで、とも思ったが、この時間はまだ寝ていると思ったためだ。
コール音を10回以上繰り返して、ようやく
「なぁに、どぉしたの……?」
と眠そうなふわふわ声が聞こえてきた。
「ごめんねごめんねルビっ! あああのっ、ちょっと訊きたいんだけど」
「え、七村ぁ、何かあったの? すっごい変な声してるぅ」
「えっと、も、もし、よ? もし、ルビが正直君に作ったお弁当をお父さんが間違って持っていっちゃったら、どうする?」
「えー、うーん……『何でカレシのを持ってちゃったのぉ?』って、パパに怒る」
「……わたしの言い方が悪かった。お父さんに付き合っているのは内緒にしてて、それで自分のだと思って持っていかれちゃった場合」
「うーん……もともとパパに作ってあげたってことにしておく」
「……もしよ? もし、正直君用に、ハートマーク作ってたり、メッセージ書いた旗とか入れちゃってたら?」
「……そうだなぁ……」
しばらく考えたらしき間の後、
「帰ってきたパパにぃ、
『今日はパパに、だーいすき♡お弁当を作ってあげたんだよ♡』
って教えてあげるかな」
とルビが答えたので、わたしはがっくりと肩を落とした。
駄目だ……そんな事絶対できない。
「そっかぁ、やっぱり七村もカレシできたんだぁ」
「えっ」
焦るあまりベラベラと相談してしまったが、ルビはほわんとしつつ何気に鋭い時がある。それがこと恋愛に関してなら尚更だ。
しまった。
そう気付いた時には既に遅し。
「えー、うふふっ、七村ってばそんな素振りちっとも見せなかったくせにぃ、誰と付き合ってんのぉ? あたしの知ってる人?」
「別に誰とも付き合ってないけど」
「あ、そうなんだぁ、ふぅーん。じゃあ、『もし七村がカレシに作ったお弁当を七村のパパに見られちゃったら』の答え、教えてあげなくていいんだぁ」
「……う」
ごめんねごめんね先生。
せめて名前だけは絶対に出さないから!
こうして、わたしは江ノ原留美に彼ができた事を教えてしまった。
桜城高校では夏休みの期間中、補習が必要な生徒とは別に教室で自習することができる。分からない問題があれば職員室に行けるし余計な誘惑も無い為、難関大学に進学を希望している生徒がちょこちょこと訪れては利用している。
今日は少し曇り空なため比較的涼しい。クーラーじゃなく扇風機の風だけでも快適に自習ができた。昼過ぎになったので席を立ち、鞄を持って緊張しながら教室を出た。
廊下を通って別棟の三階奥へと移動する。音楽教室とは反対にある、一番隅の美術室。コンコン。と軽くノックをすると、「どうぞ」と声がした。
「失礼します……」
小さな声で扉を開けて中を覗く。
吉備北先生が「よう」と片手を上げて壁にもたれて待っていて、その姿を見ただけでわたしはキュン、としてしまった。
以前は、この人ロリコン? と警戒していた相手だというのに、恋とは単純なものだ。
先生が立ち上がって近付いてきたのでドキドキしながら俯いたものの、先生は横を抜けてドアにカチャリと鍵をかけた。
「念のためにな。
合宿時以外はほとんど誰も来ないって聞いてはいるんだが」
桜城高校の美術講師は学校専任の先生ではなく、現役の現代作家が授業時に訪れて講師をしてくれる。その為、普段はこうして使用しないため鍵がかけられ、部活動の際美術部の生徒が鍵を取りに職員室に来る程度らしい。その美術部もほとんど部員もいず帰宅部と化していると聞いた。
「一応美術の先生にも鍵を借りると話しているし、まあ、一緒に飯食うくらいの時間、大丈夫だろ」
そう言って先生は持ってきたらしいコンビニの袋を取り出した。
「あ、あの、わたし作ってきたの」
そう言ってお弁当の包みを取り出すと、先生の目が丸くなり、蓋を開いて渡すともっと真ん丸になった。
「凄いな! これ全部自分で作ったのか!」
「はい。お弁当作りは慣れてるから」
付き合いだしたとはいえ先生相手に対してどんな言葉使いをしていいか分からず、敬語交じりの会話になってしまう。
それでもお弁当は先生にとても喜ばれて、わたしは幸せいっぱいだった。
制限時間以内にお題をオチとして明確化できませんでした