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お題:燃える嘘 制限時間:1時間
「ノンアルビール」
「赤。デキャンタで」
「あー、あと刺身盛り合わせと手羽先の唐揚げと黒胡椒ポテトとハーブウィンナー。それと、大根おろし乗せ厚焼き海苔玉子」
「大根とパリパリじゃこのサラダ。海老生春巻き、スイートチリじゃなくてこっちの黒いソース」
「はい、ご注文を繰り返します」
飲み物が運ばれ、「おつかれー」と軽く荻野とグラスを当てる。個室タイプの部屋でゆっくり寛げる店だ。
「お前、今度こそデータ飛ばすなよ」
「二度目があったらパソコン窓から投げ捨てるわ」
「本当にやりそうだから怖えよ……」
運転手の俺は飲むことができない。ノンアルコールのビールは気分の問題で、特に旨いわけでもない。一口飲んだ後で、料理が来るまでの暇つぶしにメニュー表を眺める。
「吉備、彼女とうまくいったんでしょ」
「!?」
不意をつかれて顔を上げると、頬に手をやり肘をつき、ワイン片手に荻野が俺を見ていた。
(何でバレてんだ!?)
内心狼狽したものの、知らぬフリを貫こうとそのままメニューに目を戻す。
「ねえ、何黙ってんのさあ。うりうり」
ワインを飲みながら荻野が掘り炬燵式のテーブル下から俺の足をつついてくる。
「うっせえな。何だお前、もう酔ったのか」
「まだ二杯目~」
「いつの間に一杯飲み終わった?」
「七村留美」
荻野はいきなりその名を出した。
「確かに高1にしてはしっかりした感じ。フレーム赤いから眼鏡が目立つけど、外したらあんた好みでしょ、あの子」
「……」
「こないだ図書室に彼女いたけど、吉備が借りてた本読んでた。『公園行ってる?』って訊いたら、パッと逃げちゃうしさあ、可愛いね」
「――荻野」
流石に黙っていられない。
「余計な事するな。相手は生徒だぞ」
「あ、やっぱ二人ってそうなんだぁー。ふーん、付き合ってるって認めちゃうんだー」
ハイピッチで二杯目を飲み終わり、荻野は三杯目をグラスに注ぐ。
「いいのかなー、担任の先生が生徒の女の子と付き合っちゃって。バレたら処分物だよねー」
「……」
「てかさあ、吉備。これでも一応一緒に紅茶選んであげたりして協力してるワケでしょ?
感謝されてもいいと思うのよねぇ、報告してくれたってさあ」
「……紅茶に関しては助かったよ」
諦めてそう言うと、「何その言い方」と不満そうに荻野は唇を尖らせた。料理が運ばれテーブルに並びだす。その合間に荻野は席を立つと、俺の隣にやってきてグラスとデキャンタを引き寄せぐいぐい飲み始めた。
「おい、食え。すきっ腹にそんな一気に酒入れるな」
「なによぉ、指図する気ぃ?」
グラスが空きデキャンタの残りを全部入れ終えると、荻野は酒を追加した。彼女は酒に強い方だ。だが、今日のピッチは早すぎる。ワザと酔いつぶれようとしているようにも思えてきて、俺は追加で運ばれてきた焼酎のロックを遠ざけた。
「あによお、よこしなさいよぉ」
「お前なあ、昼から何も食ってないところにデキャンタ一気飲みってヤバ過ぎんだろ。何か腹に入れとけ、ほら」
とりあえず消化の早そうな大根おろし乗せの卵焼きを彼女の前に置く。じーっとそれを見ていた荻野は、俺の方に身体を向けた。
「……食べさせてよ吉備」
「やだよ」
「疲れてんのよ。すっごい頑張ったから、もう箸すら持てないのよぉお」
「……へいへい」
荻野が頑張っていたのは事実だ。こいつは普段こういった甘え方などしてこない。心身共に余程参っているのだろう。
俺は厚焼き玉子が好きだ。回転寿司屋で回るような甘ったるいやつではなくて手作りだと分かる味。子供の頃の思い出補正で、食事先で見かけるとつい頼んでしまう。
焼き海苔を挟んでくるくると巻き、大根おろしの添えられたそれを一つ取り、
「ほら、口開けろ」
と目の前に持ってくる。あーん、と開いたその中に押し込んでやると、荻野はもぐもぐ大人しく食べた。
「吉備ぃ、もっと食べさせてよ」
何だ何だ、今日の荻野は。やたらと甘えてくるな。
「あんま男の前でそういう言い方するなよな。誤解されるぞ」
そう言って箸を荻野の前に置くと、荻野はじっと俺の顔を見上げてきた。
「あたしってさぁ、どうして恋愛上手くいかないんだろ」
「男を見る目が無いんだろ」
さっくりと切り返す。
「お前は元々合コンに行って男漁るより、自然な流れで相手見つけて付き合った方が上手くいくタイプだよ。見た目じゃなく、中身を先に好きになってもらえ」
「あたし、性格悪いじゃん」
「んなことないだろ。お前は気が強いだけで、よく気が付くし面倒見いいし、何だかんだ言っても優しいだろ。いい女だって」
「……吉備から見ても?」
「ああ。気楽に付き合えるしな」
「そっかあ」
だから食え、と腰を浮かせて奥の春巻き皿を取ろうとした俺の手を、荻野はぐい、と引っ張った。は? と思う間もなく、よろけた俺に顔を寄せ、荻野が唇を付けてきた。完全に油断していたため、一瞬何が起こったのか分からなかった。
ワインの味が絡んできてから、ようやくキスされたのだと気付く。
「おいっ!」
身体を引き剥がし、手で肩を押さえて距離を取る。
「悪酔いしてんじゃねえか、しっかりしろ!」
「酔ってないわよ」
荻野は説得力の無い赤く染まった目元で俺を睨みつけた。
「いい女からのキスくらい、ラッキーと思って受け入れなさいよ」
「アホかお前! んなことできるか」
「ねえ……そんなにあたしって、吉備から見て女の魅力ない?」
眉をハの字にして荻野が見上げて迫ってくる。
ああ、そうか、と俺は思い当たった。
また付き合ってる相手にフラれでもしたのか。そういえばここ最近こいつの恋愛話を全く聞いてやれなかったが、こいつはこいつでいろいろあるのだろう。
んでもって、上手くいった俺に突っかかりたいのだ。
「んなことじゃなくてな? お前はすげえいい女だ、魅力あるよ。
けど俺は今付き合ってる子がいるし、お前は大切な同僚だろ。
流れで手なんか出せねえって」
「……なーんか、随分と真面目になったじゃない」
ふん、といった調子で荻野は身体を引いた。
冷めたようなその口調にホッとして春巻きを取り直してやる。
「まあ、『教え子との秘密の恋』だなんてさぞ燃え上がるでしょうしねえ!
そういう周りへの嘘だの禁欲っぷりだのも、相当楽しいんでしょうよ!」
「お前突っかかるなあ」
「今のうちに、せいぜい楽しんでおきなさい」
そう言うと、荻野は手づかみで生春巻きにかぶりついた。