6杯目
お題:今の悲しみ 制限時間:30分
痛い。
じんじんするこの痛みがたまらなく悲しいのは、物理と感傷が入り混じっているからだ。
「はは……」
乾いた笑いがひとりでに漏れる。
終わりだ。
俺は、完全に嫌われてしまった。
* * *
七村に言われた通り、俺は週に二度、お茶の用意をして公園に通っていた。
一人の生徒を贔屓にするのは駄目だと思う教師の自分がいる。
だが、通い始めてみればやっぱり俺は彼女を好きなままで、この時間を密かに何よりも楽しみにしていた。
七村が何故俺を付添いに指名したのかは分からない。
希望ある誘いのように思えなくもないが、俺は七村を中学生と知らずに惚れたような男だ。最早自分のカンなど全くアテにならない事は証明されている。
実際、この関係は当初の平行線のままで進展など何もなかった。いや、あっても困るが。
俺がお茶を準備する。
池に映った月や公園の景色を眺めながら、黙って紅茶を啜る。本を読む。決して学校の話題は出さず、ぽつぽつと取りとめの無い話をする。
それでもたびたび訪れる無言の時間は、俺にとって緊張するひとときであり時折いたたまれなかった。
『この場所でだけは今まで通りの関係で過ごす』
七村はきっちりとそれを守り、学校で周りに見せる態度など俺には全く見せなかった。
だが俺には無理だ。
昼間生徒に見せている姿を切り替え、一人の男として接することは、もうしてはならない。付添いという名目で傍にいるからだ。
律にそれを話したら「お前どこまで頭固いのぉ!?」と叫ばれてしまった。
固いのではない。
そもそも固ければ、こんな関係などとっくに破綻している。
俺は怖いだけだ。
気付けば日々はあっという間に去り、一学期が終わろうとしていた。
今夜は風が強い。
ベンチに座ろうとした七村も強風にスカートの前を懸命に押さえている。
そちらは絶対に見ないようにして俺は彼女に紅茶をいれて渡した。
これはもう解散した方がいいのではないか。そう提案しようと思っていると、脇に置いていた冊子が強風にあおられバサッと飛んだ。
俺は急いで冊子を掴もうとし、その拍子に肘が七村に当たってしまったらしい。
「きゃっ」
ばしゃん、と七村に紅茶がかかってしまった。
「すまんっ!」
俺は慌ててディパックからタオルを取り出した。彼女にかかった紅茶を急いで拭いていく。火傷をしていないだろうか。いれたてではないから大丈夫だと思いたいが――脇腹から太腿までせっせと押さえて水気を取る。
七村は女性だ。このまま夜間病院にタクシーで向かった方がいいかもしれない。
「先生、もういいから」
「いや、火傷していたらいかんだろ。病院に連れて行く」
「大丈夫だから。あの、もう……拭かなくていいから……」
「そうか。じゃあ、タクシーを呼んでくるからこのままでいなさい」
顔を上げると、息のかかる距離に七村の顔があった。
拭き取る事で頭がいっぱいだったが、非常によろしくない位置だと今更ながら気付く。
近い。離れなければ。
そう分かっているのに動けない。
七村の涼しげな瞳の下にはちらちらと薄いそばかすが散っていた。外灯を背にした暗い中で彼女の瞳が揺れている。見惚れていると、ゆっくりと目を伏せ恥ずかし気に視線を逸らされた。
くらりとする。
――気付けば俺は、彼女の頬に手を差し入れていた。
頭の中で警鐘が響く。
おい、俺は……この子の担任だぞ。年だって、10も離れていている。
流石にこれは……まずいって…………しっかりしろ、吉備北幸助。
男なら耐えろ、耐えるんだ!
・
・
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息を殺し、何とか衝動をやり過ごす。
そろそろと手を離し、俺は七村から離れた。
「念のため、このまま急患センターに――」
パンッ。
乾いた音と共に頬に衝撃が走った。
「ばかっ」
俺をぎっと睨みつけて七村が叫ぶ。
「ロリコンのくせに! ロリコンのくせに!」
彼女は立ち上がるとあっという間に走り去ってしまい、俺は頬を押さえたまま一人その場に取り残されていた。