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NIGHT TEA  作者: SPICE5
SIDE:B 眼鏡少女
14/39

7夜目


 桜の蕾は固く、まだしばらくほころびそうにない。

 それでもわたしがあのベンチに向かってみたのは、無事希望高校に合格し、父に代わって再び弟を空手道場に送りだしたからだ。


『春になる頃、また、お茶が飲みたくなったら。ここで』


 自分からそう言いだした手前、ちょっとだけ足取りが重く気恥ずかしい。

 

 いやいや、だって一応春は近いし?

 彼が来るとも限らないし。っていうか、来ない気がする。今日も寒いし。


 どちらにしろ、わたしから彼を見付けようとは思わない。

『キビキタさん』の顔を思い出そうとしても、ぼんやりとしたイメージしかないのだ。

 たぶん、イケメンと言える部類の顔だったと……思う。うん。

 彼と話す時にいちいち顔を見上げるのも面倒臭くて、わたしはいつもがっしりした彼の手ばかりを見ていた。

 そんなわけで、

 

 顔なんかよりも手を見た方がよっぽど見分けつくよ!


 というくらい、顔についての記憶が薄い。




 池の前のベンチに座り、読みかけの本のしおりを抜く。ページを開いてものの一分も経たないうちに、


「ナナムラさん、こんばんは」


 彼の声が降ってきた。

 一瞬硬直した後、ゆっくりと顔を上げて遥か高い位置にある顔を、思わずまじまじと見てしまう。

 少しだけ、どきっとしてしまったのが悔しい。

 こんなすぐに表れて、名前を呼んだりするからだ。


「……こんばんは」

「おひさしぶりです」

「はい」


 頷き、本を閉じようとすると、


「あ、いえ、今開かれたばかりでしょう。そのまま読まれてください」


 と、彼に手で制されてしまった。


「でも」

「実は俺も本を持ってきたんです。ナナムラさんの真似をして」


 彼はスポーツバックから本を取り出し、その表紙を叩いた。


「……もしかして、毎回ここに来られてました?」


 わたしの問いにキビキタさんは白い歯を見せて笑った。


「いやあ、どちらにしろジョギングは続けるつもりだったんですよ。

 休息がてら、一人でこのベンチで本を読むようになって。夜の公園で読書というのも、なかなか新鮮で面白いもんですね。

 待っている間にあなたに会えないかって、ちょっと期待もしていたし」


 キビキタさんもベンチに座る。適度な距離があいている筈なのに、少しだけ以前より近付いている気がした。


「今夜はお茶を片手に読書しましょうか、ナナムラさん」

「いいですね」


 ……調子が狂う。

 名前を呼ばれるたびに、じわっと頬が熱くなるなんて想定外だ。


 その夜の紅茶は、ストロベリー・ティーだった。




 

 それから、わたしはキビキタさんの週に二度のお茶会は続いた。

 何故か、以前よりずっと居心地が良く落ち着いた時が過ごせた。


 たぶん、それぞれ好きな本を読む時間が増えたことが大きいのだと思う。

 私は現代小説、キビキタさんは意外な事に(と言っては失礼だが)歴史に関する本を好んだ。

 山城に関する本を読んでいるのを見て、そのマニアックさに思わず中身を尋ねてしまったが、キビキタさんは饒舌かつ上手にその魅力について語ってくれた。


「地味なイメージを持たれがちですけど、いろんなロマンがあって面白いもんなんですよ」

「へえ」


 歴史に関する話をする時の彼はとてもいきいきしていた。

 ロマンかあ。

 歴史なんて、テストに出るための暗記対象でしかなかったから、その響きは新鮮に聞こえた。

 そうやって興味を持って聞いてみれば、彼の話はなかなか面白かった。



 かと思うと、ほとんど会話らしい会話もせずにぼーっとお茶を手に短い時間を過ごすこともあった。

 同級生と過ごす時は普段騒いでばかりなので、この落ち着きが大人というものなのかとしみじみと思った。

 こういう時、彼はいったいどんな事を考えているのだろう。

 少しだけ知りたいと思った。



 音楽を一緒に聴くこともあった。

 といってもこれは一度だけの事で、その日観たばかりの映画のサントラがあまりにも良かったため、待ち合わせ中にもヘッドホンで聴いていたのだ。

 ジャムを入れたロシアン・ティーを御馳走になった後、映画の話になった。

 音楽が良かったと話すと、彼も興味を持ってくれたようだった。嬉しくなり、


「聴いてみますか?」


 と、ヘッドホンを渡そうとすると、


「一緒に聴きます?」


 と返された。何も考えず頷くと、ずい、と彼が傍に身体を寄せてきた。

 ヘッドホンのイヤカバー部分をくるりと回し、耳に当てる。

 音楽が流れる。


 それどころじゃない。

 心臓の音がばくばくと鳴って、そのせいで音楽なんて聞こえない。全く聞こえない。


 おススメと言った3曲を流し終えるまで、うまく息ができなかった。





 彼に対する自分の気持ちがよく分からなくなってきた。


 怖い。はっきりと確定させたくない。


 二人きりの時間を心地良いと思うのは確かだったし、名前を呼ばれると少しくすぐったかったし、ヘッドホン越しに顔と身体が近付いた時にやたらどきどきしてしまったのも事実だ。


「はあ……」

 

 ベッドにごろりと横になり、枕を抱いて壁にかけた制服を眺める。


 ――わたしは明日から高校生になる15歳の少女であり、そうして彼はロリコンだ。


 ちょっとした憧れ的な片思いはしたことがあるけど、本気で誰かと付き合ってみたことなんてない。

 わたしは家族が大好きで、だからもし恋をするなら絶対に父を不安にさせるような交際はしないと決めている。


 夜の公園で年の離れた男と二人きり。

 互いに知っているのは名字だけ。


(……この時点で、もう『ナシ』なんだよなあ)


 散々うだうだ悩んだ挙句、取りあえず次にキビキタさんに会った時、この気持ちが恋愛としての『好き』の類に入るのかを確認しようと思った。





* * * * *




 『公立桜城高等学校』と書かれた門の横には入学式の立て看板。

 新しい生活に緊張と希望を抱きながら生徒達が通り抜けていく。勿論、わたしもその一人だ。


(同じ中学の子も来ているけど、一番仲が良かった子とは高校別になっちゃったんだよなー。気の合う子いるといいけど)


 とか、


(早く帰って家事をしたいから部活は入らないだろうけど、見学くらいはしてみたいなー。あ、大学進学するならやっぱどこか入ってた方がいいのかな……確認しとこ)


 だの、


(ひゃあ、あの子かっわいい♡ 新入生だよね、もし同じクラスなら声かけなきゃ!)


 だの、澄まし顔で歩きつつも頭の中は既に妄想全開だった。

 そうやって、前を見ているようで見えていなかったのがいけなかったらしい。


「痛っ」


 植木の枝に右の三つ編みが絡まってしまった。


(やだっ)


 荷物を置き、慌てて髪をいじってみても、小枝が食い込み上手く外れてくれない。

 あたふたとみっともない姿を見せてしまったら、入学早々目立ってしまうではないか。恥ずかしい。

 わたしはできるだけ「たいしたことないんです……」という雰囲気を作り、顔が見えないように深くうつむいていた。そのせいで、周りを通り過ぎる生徒達は誰もわたしに声をかけてこない。いや、かけられても困るんだけど。


「どうした。絡まったのか?」


 必死でいじっていると、大人の手が伸びてきて私のもつれたおさげに触れた。

 そのまま解くのを手伝ってもらう間、わたしは声が出せなかった。


 見覚えのある大きな手。

 聞き馴染みのある低い声。

 

 ようやく枝が抜け、おさげだった髪の毛はそのまま片側だけぱらりと肩に落ちた。


「よーし、これでもう――」


 満足気な声は私が顔を上げるのと同時に、ぴたり、とその動きを止めた。


「……」

「……」




 思えば出会って初めて、ようやく明るい日の光の下でまじまじと見つめ合ったのだ。




 目の前の私を見下ろすその顔がみるみるこわばり動揺が走る。

 『吉備北』と書かれた胸のバッジはスーツの上で白く輝き、そこには


 【桜城高等学校 教諭】


 と記されていた。


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