VIII 日常への帰路~綻び
夕刻前。
日も傾き始め、もう少ししたら夕日は赤くなり、街全体を真っ赤に染めていくことだろう。
尤も……そんな時間までは出歩いてはいられないので、既に帰路へと着いている。
いくつかの理由はあるが、中でも最も重要なモノが、
――夕食の準備。
厨房配属であるフローレンは当然で、あたしも手伝いに駆り出されるのでやはりこの時間は帰宅していなければいけない。
時間で言えば何時だろうか、五時にはなっていない筈……四時半くらい?
背中に小さな寝息を感じながら、戻ってからの仕事に思いを巡らせる。
「うん、やっぱり寝ちゃったね」
「そりゃ、あれだけ はしゃげばねぇ~」
あの後、コーネリアとすっかり仲良くなったイングリドは仲の良い姉妹のようにほぼ遊びに近い『授業』をしていた。
どうにもコーネリアは始終相手が、毎日顔を合わせている先生だとは気付いていないようだった。
「イングリドは明日からどうするのかしらねぇ」
「んーっ、最初はいつもの格好で来るんじゃないかなー?
それで目の前ですっぴんになるとか、なかなかに面白そうだぞーっ?」
いや、そういうモノじゃないと思うんだけど……。
アンタはどう思う?と聞こうと、かくりと首を妹の方へ向ける、
――しかし、エレインはあたしよりも先に口を開いた。
「やっぱり先生の問題を解決するのが目的だったのかな?」
んー、何の話?と思ったが、視線はあたしではなく、フローレンの方に向いている。
「そうだなーっ。利用するようで悪いとは少しは思ったんだぞぅ?」
「ううん、わたしも美味しいお茶をご馳走になれたし、いいよぅ」
その言葉とは裏腹にエレインの顔は問うような気配を見せている。
聞きたいことがある、そんな顔だった。
「――ニーナはなーっ、太陽の王家の生まれで、独国との国境付近の村で生まれ育ったんだけどなーっ」
「国境付近……ル・クルチュア村かな?」
どこソコ……?
なんですぐに外国の地名がわかるのよ……。
「そうだなー、『捨て柵』と揶揄される村で、何も無いトコなんで学校通うにも遠く離れた街へと行くか――」
「お隣の独国の学校へ通うか、かな?」
察しの良いエレインの問いにフローレンは鷹揚に頷いた。
「だなー。まぁ、どちらを選んでも親元を離れて生活することになるんだがなー。
そしてニーナは後者の選択肢を選んだ、まだそちらの方が距離的に近かったからでなーイロイロ大変だったみたいだぞー」
「そうだよね、たった七つの女の子が外国の子供たちや先生の中に飛び込むんだしね」
エレインの意見は尤もだ、痛いほどわかる。
あたし達が七歳の頃と言えば……母親を殺されて身寄りを失い、逃げ隠れるように街を彷徨い住んでいた。
いつ野垂れ死んでいてもおかしくなかった、もしも奥様に拾って頂いてなければ……そう考えると背筋が寒くなる。
「そんなニーナに仏国語で話しかけて親身に接してくれたのがヴィンフリーデてワケだなー」
「最初で最高の恩師だったんだね」
「それを今でも感謝してる……かぁ、すごい律儀と思うわ」
そこで、ふと疑問に思った。
「――なんで今は獅子の王国に居るの?」
「ふみゅ」
「あと……なんで上手い具合にあのカフェに居合わせたのかしら?」
「そうだよね、お姉ちゃんの言うとおり。
いくらフロンが仕組んだんだとしても、タイミング良過ぎたよね?」
「その二つの質問の答えはイッペンに答えられそうだなーっ」
その問いを待っていた、と言わんばかりに、左右のロール髪をぼよよんと揺らしながら語りだす。
「あのカフェはニーナの両親の店で、つい最近に獅子の王国に進出して来たんだなーっ!」
なるほど。
家庭教師の仕事が無い日曜日ならば、確かに生家の仕事でもあるカフェの手伝いをしてても不思議じゃない。
フタを開ければなんてこと無い答えだったのね。
「ふーん、なるほどぉ……」
エレインも納得のよう――
「――と言うと思ったのかな?」
……では無いご様子、
どうしたのかしら?
「うーん、フロンのことを疑ってるわけじゃないんだけど……疑問があるの」
「ふみゅ?」
エレインは大の推理小説好きだ。
その影響からだろうか、物事の不自然さや辻褄の合わない事に関して鋭く踏み込もうとする癖がある。
今も、あたしが読み取れなかった不自然さに疑問を感じたのだろう。
「いくらなんでも、都合良すぎるかな?
どんなに先生が奥様のことを慕ってると言っても…ご両親まで移住するのは考えにくいの」
それにね、とエレインはさらに続ける。
「彼女の祖国は太陽の王家だよね?英国嫌いだって軽視できないよ」
「え?餡子のキャビア??」
「それは獅子の王国恐怖症みたいなモンだなーっ。食い物じゃ無いぞー?」
「……お姉ちゃんは黙っててくれると嬉しいかな?」
ごめんなさい、口出ししません……。
がっくりうな垂れるあたしに
「現実的なのは……先生が単身でこっちの学校に留学してくること……かなぁ」
まぁ、確かにそうだ、小等部の九年間は単身で独国に行かせたわけだしね。
イングリドの両親も犬猿の仲の国に渡って職を得るのもかなりの冒険になったはずだ。
「確かに……エレンの言い分通りでなー。最初はニーナ一人で来るはずだったんだなーっ」
だがなーっ?と左右の螺旋槍伸縮させながら言葉を続ける、
「ヴィンフリーデの申し出でなー?商工会で支援するから、この街で店を構えないか?となったんだーっ」
「……そっか、グロリア家は商工会の胴元でもあったね」
つんふとって何?と思った直後に「ギルドのことだよ」と、思考を読まれた挙句にピシャリと冷たく発言を封じられた。
――どうでも良いけどさ、
ここ獅子の王国なんだから基本的に英国語の単語で会話してよ……あたしゃ着いていけんよ。
「この国ではM・Fの銘柄はまず手に入らないしなーっ。紅茶好きの連中が確実に顧客として望めるぞー」
「ビジネスとしても問題なく成立してるんだね」
「でも、それだと――」
「だけど先生も家庭教師までやってると、お店の手伝いと学校でタイヘンなんじゃ無いかな?」
何故かあたしの発言をことごとくカットしてくる妹、
まぁ発言内容はほぼ同じだったし、もういいかしら……。
「そうだなーっ。日中は家庭教師やって夜に二次の教育学部の講義を受けて、日曜は店の手伝いらしいからなー……」
でもなー?とフローレンは語る。
「ニーナだけじゃないぞー?」
イングリドだけじゃない……?何がだろう?
「フォスもティータも……商工会に属してる商店の娘は、大抵グロリア家で勤めて礼儀作法やらなんやらを修行してるんだぞー?」
「え……女中頭も厨房長も何処かのお店の娘さんなの?」
これは初耳だった。二人とも住み込みで働いているので身寄りが無いかと思っていた。
――あと、やっと喋らせて貰えた♪
「さっき行った食料品店がティータの実家で、店番してた少年はティータの弟だなー」
「……わかってて、あーいう行動取ったの?」
あたしのツッコミも「ふみゅ?」と小首を傾げてスルーする。
「あと、イールとぶつかった『キャロライン通り』――の突き当たりにある雑貨屋はフォスの実家だなー」
「あ、そこはわかるかも」
やけに店主の男が女中頭と親しいと思ったら家族なのか。
「ブライアンの奴、ガミガミ小うるさいフォスが居なくなって、すっかり腑抜けて読書に逃避してるっぽいんだなーっ」
あの店主(女中頭の父親かな?)はブライアンっていうのね、
――てゆーか、その人すら呼び捨てかい。
程なくして、グロリア家の屋敷が見えてきた。
そろそろ頭切り替えて仕事のこと考えないとね。
「帰ったら、まずはお嬢様を子供部屋に運ぶわ」
「お姉ちゃんばっかりに背負わせちゃって……ごめんね」
エレインが申し訳無さそうに謝ってくるが、彼女は身体が弱い、仕方の無いことだ。
あたしにはその気持ちだけで充分だ。
「あ~いいのよ、あたし肉体労働派だからね」
「うむー、イールはバカだからなーっ」
おいコラ。
ここはお互いに気遣う姉妹愛の場面よ?
「怒るところ、だろうけど……面白いモノ見れたコトに免じて許してあげるわ」
「ふみゅ?何か面白かったかーっ?」
つい先ほどのカフェでの光景を思い返す。
「あははは、イングリド先生よ、あの人があんなにも子供好きだったとはねぇ~」
「お姉ちゃん、笑っちゃ失礼だよ~」
とは言ったものの、エレインの頬も微妙に緩んでいるのがわかる。
「なんか勝手にカターイ教育ママとか思い込んでたけどさ」
コーネリアにべったりだったイングリドのデレ具合の光景が蘇る、
「……あれはもう、タダの子供好き好きのおねーさんになってたわよ」
呆れながらも絞り出たあたしの感想にフローレンが食いつく。
「うむー、私もちょっと驚きだったぞー。不覚にもマヌケ面になっちまったぞー」
「……アンタ頬すら微動だにしてなかったわよ?」
つくづく、この見た目一〇歳のエターナル幼女は表情が乏しいと思う。
「でも……明日からは先生もお嬢様も仲良くやれるわね」
「さらに、『でも』だなーっ。アレが既定値だぞーっ?」
ま、まぁ……それはそれで慣れるしか。
明日からの対応を思い浮かべ、思わず笑いが漏れる。
「うーん、今までのイメージがあるから、明日からホントどうしようかしら?」
一番被害(?)を被るであろうエレインに目礼で問いかける、
「――――し、もう……――――で、――――だよね」
「え?」
妹に問いかけたつもりだったが、彼女は心ここにあらずといった感じで聞いてなかったようだ。
そして、無意識に呟いていたのか、途切れ途切れに言葉を発している。
「ねぇ?エレ――」
イン、と発音する前に、彼女の口から冷え切った声が漏れた。
「もう……やっちゃった――――――――――――――――――――――――どうしよう……」
何故かあたしはそれ以上踏み込むことが出来なかった。
傾きかけた日差しの下、冷めた風が不吉に流れていった。