I 姉はハウスメイド
■双子の黒猫
双子の姉猫は物覚えが良くありませんでした。
姉猫は母親の顔を憶えていませんでした。
それは、生きる為に必要なことでは無かったから。
姉猫は父親の顔も憶えていませんでした。
それは、そもそも居たことすら知らなかったから。
姉猫は仇敵の顔は決して忘れませんでした。
それは、自分と妹に危害を及ぼす脅威だったから。
Der April.KC490――BlaueAugen
※*※*※*※*※*※*※*※*※*※
また、あの夢を見た。
――嫌な記憶だ。
困ったことに嫌なことほどハッキリ憶えている。
もっと記憶に残すべき大事なこともあるだろうに……
あたしの不器用な頭はソレを繰り返す。
またもや、あたしは『あの始まりの日』へと旅立った。
また繰り返すのか、
また思い知らされるのか……。
それでも、心の何処かでそれを歓迎していた。
夢でも幻想でも、とにかくだ。
あたしは再び懐かしい友人達と逢えるのだ。
それだけが唯一の救いだと思う。
さぁ戻ろう、束の間の日常へ。
さぁ帰ろう、本当のあたしに居場所へ。
あの頃はまだ、
――あんなコトになるだなんて思ってもいなかった……。
~・~・~・~・~・~
日が高く昇り、辺りは朝の寒気を押しのけ温かさを呼び込もうとしていた、
この地域はハッキリとした四季は無い、年中秋みたいな気候と思ってくれたらいいわ。
その代わり、年中不安定な天候ですぐに雨が降ったり、霧が立ち込めたり……。
とはいえ、さすがに真夏には蒸し暑くなるし、真冬には雪も降る。
――ここ獅子の王国はそういう環境の島国なの。
正午、使用人が慌しくなる時間。
昼食を運び終えたあたしは、午後からの来るかどうかも判りもしない来客に備え、黒い制服に着替える。
アンタ達には『メイド服』って言えばピンとくるのかしら?
あたし達使用人の女は午前中は簡単なプリントドレスを着て炊事・洗濯・掃除をこなし、来客が来るであろう午後からは、パリっと糊の利いた黒い制服に着替える。
――衣服は身分を現す、
いくら使用人と言えど、みすぼらしい格好では主人の顔に泥を塗るようなモノだ、かといってあまり豪華な服装をしていては令嬢と間違われてしまい、いらぬ迷惑を掛けてしまう、
そこで、この使用人の制服なのだ、黒いフォーマルなドレスに白い清潔感漂うエプロン、腕は長袖で隠れ、脚も長いスカートで隠れている。
ヘタに色気を出してはいけないのだ、……まぁ、さすがにウィンプルで頭をすっぽり覆ったりはしていない、あたしは修道女さんじゃないからね。
あたしはイーリディア、長いからイールでいいわ、
家名?
ご生憎だけど、あたしにはそんなモノはないわ。
このお屋敷――グロリア家の屋敷で双子の妹と一緒に七年前から住み込みで使用人をしている。
当時は若い女性……少女が住み込みの使用人となる、というのは別に珍しいことじゃ無かったのよ?
歳は一四。
一応は今年の誕生日で成年ということになるが、あまりあたしにとっては関係のないことだ。
「イール、ちょっとこっちを手伝っておくれ」
「あー、はいはい、かしこまりー」
女中頭に呼ばれ、足早に声の方――使用人の控え室へと向かう、
あたしは基本的には家女中だが、厨房の仕事を手伝うことも多かったので、すっかり兼任女中扱いだ。
――うーん?
なんで控え室で手が要るのよ?
あたしは疑問を抱きつつも部屋へ入る。
「あ、お姉ちゃん」
部屋に入るなり第一声がコレだった、
声の主は白い髪に赤い瞳の…あたしと同じ顔をした少女――双子の妹…エレインだった。
「アンタ何やってんのよ、」
「うーん、それがね……、」
彼女はチラリと足元を見る、あたしも釣られてそちらを見た、
そこには彼女のスカートにしがみ付く様に小さな女の子が張り付いている。
「……お嬢…様?」
その子はこの屋敷の旦那様の一人娘、コーネリアだった。
今年で六歳になる、まだ舌足らずな言葉を口にする可愛らしい女の子だ、髪は赤味の強い茶色――いわゆる赤毛で後ろで大きな三つ編みが一つ垂れ下がっている。
「んじゃ、任せたよ」
そう告げるなり、女中頭は出て行ってしまう、
……。
い、意味がわからない、せめて状況を説明して欲しかった。
見ればエレインはまだ着替え終わっていない、コーネリアにスカート(ワンピースだからね)を掴まれたままだから、それは無理なことだろう。
「お嬢様、妹が困っておりますので、離してやってくれませんか?」
あたしは極力優しくゆったりとした口調で諭す、
何度も言うが、妹とは双子だ、顔も髪も瞳も声も全てがそっくりなのだ、
コーネリアはあたしの顔を見つめると、
「じゃあ、イールにおねがいするー」
今度はあたしのスカートにしがみ付いてきた、
「え?何、何?何なの?」
困惑するあたしを前に妹も固まってしまっている、
「あー、アンタは早く着替えなさい」
ビシっと妹を指差し着替えを促す、着替えながらも口は動かせるだろうしね。
ヨタヨタと着替えだす妹を視界の隅に収めつつ、あたしはしがみ付くコーネリアの頭を撫でながら、優しく問いかける、
「お嬢様、どうなされたんですか?」
「あのせんせーイヤ!」
「先生……?」
先生、先生……なんの先生だろう?
あたしの疑問は思考をぐるぐる回すだけで答えは出ない。
「たぶん、家庭教師のイングリド先生のコトだと思うの……」
「家庭教師……あぁ、そういやいたっけ」
先程も述べたが、コーネリアは今年で六歳になる、来年には学校へ通う歳になるのだ、そこで、家庭教師を雇い、学校に通っても世間から恥られない程度の学力を付けようとしたのだが……。
「ちょっと教育ママみたいなのよねぇ、あの人」
「お姉ちゃん。
そんなこと言っちゃダメだよ?一生懸命に教えてくれてるんだから」
「イヤーっ、イヤーなのっ!」
あたしは尚も喚き散らすコーネリアの頭を撫でながら、優しく諭す、
……ていうかさ、コレばっかりじゃない?
「お嬢様、今日は日曜ですので、先生はお休みですのでご安心下さい」
「え?せんせーこないの?」
「はい、来ませんよ」
と、言っても明日には来ちゃうんだけど……。
でも今は、この場が静まればいい、エレインも一時凌ぎの解決方法とわかっているから、あえて使わなかったのかもしれない。
ピタリと喚きスピーカをオフにした小さな彼女は、再び着替え途中のエレインに飛びつく、
ていうか早く着替えんかい、
「エレン、えほんよんで、よんでー」
「あひっ!? ちょ、ちょっと待ってください」
「あー、はいはい、お嬢様、もう少しだけお待ちを~」
あたしはひょいとコーネリアを仔ネコのように摘み上げる、
そして空いた方の手でビシっと妹を指差す、
「アンタも早く着替える!」
――そんなこんなで、あたしの午後が始まった。