- 4 - 新しい復元された文章と魔力の波形 3
3人分の魔力が混じり合い、
澄んだ水面に、波紋のように異なる魔力が光の奔流のように広がり、互いを求め引き寄せられた。
触れ合った瞬間、静かに震え、境界は曖昧になり、流れはゆるやかな渦を生んだ。
色は完全に混じり合わず、幾重もの層を織り成しながら、水の中で生きているかのように脈動する。
そして、魔道具に魔力が完全に満たされると一度強い光を放った。
これで作業が出来るようになった。
均等くらいに魔力が混じったため、このまま3人で動かせばかなり負荷も下げられ、本館に顔も出せるだろう。
「このまま、解析機を動かすので右の青いパネルに手をついて白く光る合図で魔力を流して」
局長が文句を言っているが無視して進める。
王子は隠しもせず目を輝かせている。
王族で登録はあっても、基本ここは彼が来たくてもなかなか来れないエリアだ。
解析機に最初からかける工程など初めての体験だろう。
魔道具好きには浮かれても仕方がない場面なのかも知れない。
そんなことを考えているうちに、パネルの色が変わった。
魔力を流し込むと、一人で作業するよりもはるかに早く、水盤が反応を始め、刻まれた文字が淡い光を帯びてきた。
だが、それにしてもおかしい。
光はすぐに尋常ではない強さを帯び、空気まで震わせた。
水面は不自然な渦を巻き、底から脈打つような圧力が立ち上がってくる。
レンは即座に異変を察知し、魔力を止めるよう叫ぼうとした――が、その瞬間、文字と水盤が轟音とともに共鳴した。
次の刹那、爆発にも似た閃光がほとばしり、レンと王子の意識は叩き落とされた。
―――――――――――
闇に沈んだ世界で、彼はそれを見た。
光に満ちた世界だった。
微笑み、声、ぬくもり。
白昼夢のような、遠い日の光景。
指先の温もり、頬に流れる涙。誰かの笑う声。確かに、そこにいた。懐かしく愛しくたまらない大切な、大切な存在が。
しかし。
あたたかい光景を切り裂くように、夥しい黒が押し寄せた。
足元から、黒いものが滲み出す。
タールのように粘り、冷たい。
影が伸び、空を覆い、世界を塗りつぶす。
ゆっくりとしかし確実に全てを侵されていった。
その中に、赤が蠢いた。
顕微鏡で覗き込んだ血管の網。うごめく赤。流れ、脈打つ赤。
視界が染まる。
次の瞬間、断片が閃いた。
動く漆黒の闇、焼け焦げる街。
どこかから聞こえる水音。血と焼けこげる臭い。
これはなんなんだ。
そんな問いに答えなどなく
黒い水と赤い雨が降る。
響き渡る叫び声。
視界に見える火柱。
「やめろ」と声にならない声を吐きながら、レンは身をよじった。
止めようとした。だが、できなかった。
足首から絡みつくもの。
タールの霧から生えた荊が、体中を締め付ける。
皮膚を裂き、肉に食い込み、血を吸う。
息が詰まる。
目が、燃えるように痛む。
全身を突き刺す痛み。
耳を劈くけたたましい笑い声。
世界は、粉々になった鏡のように、断片に砕け散っていく。
そのすべてを突き破るように——
「やめろッ!!」
自分の怒声で、レンは現実へ叩き戻された。
傍らには王子がいた。目を見開き、同じように、かすれた息を吐いて
そのまま嘔吐いた。
―――――――――――
時間としてはほんの一瞬の間だった。
強烈な閃光が去った後、空間には重たい沈黙が落ちた。
レンと王子は床に倒れ込み、数秒の間、ただ深く、荒い呼吸を繰り返していた。
そしてレンの叫び声と共に2人は意識を取り戻したが、王子は嘔吐いている。
最初に動いたのは局長だった。顔色を変え、即座に医務官を呼ぼうと背を向けかける。
「待て、呼ぶな!」
王子が震える声で制止した。
局長が振り返った瞬間、レンが頭を抱えうめき声を漏らしている。
指の隙間から伝わるのは、途切れ途切れの震えと、耐え難い痛みに歪んだ呼吸。
その様子に、局長は一瞬、動きを失った。
無理に手を出せば、何か取り返しのつかないことになる――そう直感させるほど、レンも王子も身体が緊張と苦痛に軋んでいた。
あれほどの衝撃の後だったにもかかわらず、誰も無理に動こうとはしなかった。
空気が焦げたような匂いが漂う中、ただ静かに時間が流れる。
レンは身体を起こし壁に寄りかかり荒い息を整え、王子も背を椅子に預けるようにして座り込んだ。
少しして、レンが低く呟いた。
「……夢を、見た気がする。いや、白昼夢みたいなものかもしれない。」
王子が顔を上げる。
「どんな内容だった?」
レンは眉をひそめ、断片的な記憶をたぐり寄せるように語り始めた。
あの黒と赤に侵食される世界
自分の身動きを奪う荊の霧
どこかの内部から覗くような、断片的で無機質な映像
…そして、狂おしいほど愛しい誰かを必死に探す感情
聞き終えた王子は、眉に皺を寄せ苦々しい気持ちを隠せないままゆっくりと息を吐いた。
「私も……似たものを見た。だが、違いもあった。」
王子の映像には、もっと明確な「誰か」の姿が映っていた。
だが、レンが語る断片には、その人物像が欠けている。
微妙なズレ。それは、単なる記憶違いとは思えなかった。
3人はふと、水盤に目を向けた。
そこに広がるのは、黒と赤がまだらに混じった色に変わった水盤と、何も変化のない水盤。
古代文の照合結果――過去の記録とすべて無関係だった。
水盤の色が変わったのはなぜか。変わらなかったのはなぜか。
理解できない異質さが、じわじわと皮膚を刺す。
まるで、触れてはならないものに手を伸ばしてしまったかのような、不安と不気味さが胸に染みていく。
互いに落ち着きを取り戻したのを見計らい、局長が声をかけた。
「……まずは、見たものを順番に話してもらおう。」
簡潔に、だが慎重に、三人はそれぞれの体験を共有していった。
見えた映像に細かな差異があること。
だが、自分を、いやすべてを飲み込んでいく黒と赤の陰と荊、断片的に見える景色と人々の生活、悲劇では表現にあまりある惨状。
そして「誰かを狂おしいほど思う感覚」という根幹の部分では2人は共通していたこと。
情報を整理しながら、局長は渋い表情を浮かべた。
「……この件は、すぐにレンの母君たち――研究所の上層部と協議する。」
彼らは、この異常な現象が個人の問題なのか、それとも研究所全体に波及するものなのかを見極めなければならなかった。
「それまで、お前たちは休め。」
そう言われても、レンも王子も、すぐには動こうとしなかった。
休めと言われても、体に焼き付いた黒と赤の光景がまぶたの裏にちらつく。
身体を横たえれば、すぐにでもあの続きを見てしまう。
レンは首を振った。
「……いや無理だ。寝たらまた、あれを見るだろう……」
口にするだけで、胃の奥に冷たいものが落ちる。
気を紛らわせなければ、まともでいられる気がしない。
「本館に行く。本館で確認と相談を受けてくる。」
局長が眉をひそめたが、レンは譲らなかった。
何かに没頭していなければ、精神を持て余すのがわかっていた。
「私も行く。」
王子がすぐさま言った。
それがどのような理由での同行か、言葉にされることはなかったが、レンには王子も気分転換したいだろうと拒否しなかった。
しかし、局長からストップが入る。
「王子は午後から王宮で仕事があるだろう?
本館まで行くと体力的に厳しいだろう?」




