第9話「竜の庭」
「いい風っすね~」
「ああ、順調だな」
ブラックベリーから大森林までは二泊三日の船旅。
船は、穏やかな波を切り裂いて進む。インスぺリアルの郷土料理――スパイスが効いた猪肉の煮込みに舌鼓を打った後、俺はデッキで風に吹かれていた。隣ではモルトが目を細め、もふもふの尻尾をゆったり揺らしている。どうやら美味しい料理でドラゴンの恐怖を忘れているようだ。
「お兄様、何か飲み物をお持ちしますね」
「自分もつまみ持ってくるっす~♪」
セリスが立ち上がり、モルトが口をもぐもぐさせながら後に続く。
それにしてもこいつは食べながらよく喋れるものだ、と感心していると、ドランブイがクスッと笑った。
「ハヤト様、トーゴ家のことをお聞かせいただけませんか?」
「王国じゃ血統が全てだ。トーゴ家は今でもよそ者扱いさ」
「噂では、祖父のデューイ様は転移者だったとか?」
「ああ、『サツマ』って異世界から来たらしい。民俗学に取り憑かれた変人で、転移を喜んでたくらいだ」
俺が苦笑すると、ドランブイの目が輝いた。
「次元流も異世界の遺産ですか?」
「そうだ。五歳から異世界の剣術や言葉を叩き込まれた。祖父はトーゴ家を異世界風に染め上げたんだ。でも俺は、王国や帝国よりもトーゴ家の考え方の方がまともだと思っている。せっかく辺境伯になったんだ。俺はアウルを身分のない対等な領地にしたい」
「ハヤト様……」
ドランブイが少し黙り込み、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「王国の貴族は亜人との共存をうたいながら、心の底で私たちを見下しています。口先だけの平等だということくらい、虐げられてきた者からすればすぐにわかります」
「ドランブイ……」
「ハヤト様はこれまで会ったどの貴族とも違います」
「それは祖父のおかげだ。王国の貴族連中とは馴染めなくてな」
「アウルをどうするおつもりですか?」
「王国に頼らず自立したい。それが目標だ」
「なら私を使ってください」
「よろしく頼むよ」
「お兄様の好きな火酒をお持ちしました」
「つまみも調達してきたっす!」
モルトとセリスが酒とつまみを並べる中、風に混じって微かな咆哮が聞こえてきた。爽やかな風が止み、空気が熱を帯びる。大森林が近づいてきた証だ。
「な、何すか何すか!?」
「お兄様は私がお守りします」
「自分のことも守って欲しいっす~!」
「ギュリュリュリュ……」
「グモォオオオ……」
遠くでドラゴンが咆哮し、岸辺の大木に巻き付く巨大な蛇が鎌首を上げる。空にはワイバーンが影を落とし、湿った土と獣の匂いが鼻を突く。船はゆっくり大森林の中をすすんでいった。
草原に差し掛かると、首長竜ライリュウが群れで草を食み、角竜の親子が寝そべりっている。遠くに羽毛をまとった板竜がのっそり歩いている姿が見えた。
「ハヤト様、怖いっす~!」
「この辺の奴は襲わないから大丈夫だ。祖父の文献にそう書いてあった」
「モルト様、大商いですよ」
涙目で俺の袖を掴むモルトに、ドランブイが笑う。しばらく進むと、見晴らしの良い草原に出た。奥には水辺がキラキラ光っている。
「お兄様、あれを!」
「これがドラゴンガーデンか」
色とりどりの四足獣が群れを成し、のんびり寛ぐ、まさにドラゴンの楽園だ。奥へ進みたい衝動に駆られたが、モルトと船員たちの不安げな視線を感じて思いとどまる。祖父の文献によれば、この先は肉食ドラゴンの縄張りだ。
船を停め、罠の設置を始めた。恐がるモルトを甲板に残し、全員で作業に取り掛かる。ネグローニが用意した特注の檻は、餌を取ると入り口が閉まる仕掛けで、ラプトルをそのまま輸送できる優れものだ。セリスが山エルフたちと協力して檻を運び、手際よく設置を進める。
作業が終わり、船に戻ろうとしたその時――。
「ギリャリャリャリャ!」
茂みの奥から巨大な影が現れた。全長十メートル近いラプトル。先の大森林遠征でも目にしなかった大物だ。鋭い爪が陽光に光り、真っ赤な口をあけて威嚇してきた。
「お兄様!」
「大丈夫だ、セリス。皆の安全を頼む!」
「はい!」
俺は国王から拝領した剣を抜き、ラプトルに近づく。爪を振り上げた瞬間、『二の型』で剣を横に薙ぐ。ラプトルがよろめき、俺は間合いを詰めた。
「チェストー!」
会心の『一の型』が決まった。
剣が袈裟懸けに上体を裂き、轟音とともに巨体が倒れる。大きく息を吐き、剣を収めて船に戻ろうとしたその時――。
「ぎゃーっ!」
甲板からモルトの叫び声が響き渡った。