第6話『聖女様は闇の神をご存知ですか?』
シュンさんの隣でシュンさんの戦いを見守っていた私は、不意に現れた闇に抵抗する事も出来ず、そのまま飲み込まれてしまった。
そして、どうやらその時に意識を失っていたらしく、目を覚ました時には見知らぬ部屋で寝ていたのだった。
「はっ! こ、ここは!」
【目が覚めましたか。聖女様】
「……貴方は、ローリーさん」
【えぇ、その通り。ローリーと申します】
「こんな事をして! 何が目的なんですか!?」
【以前もお伝えしましたが、聖女様のお力をお借りしたいのです】
「私の力……? では怪我をした人が居るのですか?」
私の問いに、透明な姿で現れたローリーさんは黙って首を振る。
「では何を……」
【聖女様は闇の神をご存知ですか?】
闇の神と呼ばれ、私はつい先日オーロさんから聞いた話。
そして、かつて自分が調べたジルスターの悲劇について思い出していた。
「まさか! ジルスターの悲劇を起こすつもりですか!?」
【おや、そこまでご存知でしたか。それはちょうどいい】
ローリーさんは近くの椅子に座ると、穏やかな笑みを浮かべたまま再度口を開いた。
【私はこの地で闇の神を召喚し、その力で世界を滅ぼします】
「何故その様な事を……」
【全てを奪われたからです。聖女様】
「全てを、奪われた?」
【少し昔話をしましょうか】
ローリーさんはため息と共に、この街の真実を語り始めた。
そう、私たちが調べても知る事の出来なかった真実を。
【この地、サルヴァーラは平和に満ちた土地でした】
【争いはどこか遠くの世界で、街に暮らす者達は穏やかに流れる時間の中で、日々を楽しく生きておりました】
【無論裕福だったワケではありません。凍える季節になれば、食料を皆で分け合いながらギリギリの中を生きる事もありました】
【しかしそれでも、この街には憎しみや怒りという感情は存在していなかった】
【無論それは領民の気性もあるのでしょうが。私は領主の存在も大きかった様に思えます】
【そう。私のご先祖様でもある初代サルヴァーラ様は、人が住まぬこの地を切り開き、この地だけで生きていける様にと工夫したと聞いております】
【故に我らも、ご先祖様やご先祖様を信じて、この地に住んだ者達を裏切らぬ様。清廉に生きておりました】
【そんな中、生まれ落ちたのが、私の姉上でした】
【姉上はその美しい容姿と、常人を超えた頭脳を持ち、気高い心で幼い頃から領地の事を想い生きていました】
【そんな姉上は水、風、光の精霊と契約し、人よりも多くの魔力を持ち、たまに魔術ではない力を使う事もありました。瞳を虹色に輝かせながらね】
その、ローリーさんの言葉に、私は思わず昔読んだ本の事を思い出していた。
それはまだ世界に多くの未知が残されていた時代の書籍で、人ならざるもの……精霊や魔法使いと血を通わせたものが使うとされた力。
「……魔法」
【本当に聖女様は多くの事をよくご存じだ。そう。かつて滅びたとされる魔法使いと同じ、魔法の力を使う事が出来たのです】
笑顔のまま頷かれたその言葉に、私は世界に暗い色を落とした。
もし、仮にそのお姉さんが魔法使いなのだとすれば、おそらくは……。
【本当に聖女様はお優しいですね。それほどご心配されずとも、姉上はまだ生きておりますよ。無論無事とは言い難いですが】
「っ! 本当に? 生きているのですか?」
【えぇ。魔法使いだからという理由で殺される事はありませんでした。それが幸いであったかと言われれば疑問ですが】
「そう、ですか」
歴史書に残された魔法使いの運命はその殆どが悲惨な未来へと繋がっている。
多くの者は殺され、その存在が発見されれば一族、親しい友人に至るまで皆殺されたそうだ。
おぞましい……恐怖と支配が紡いできた歴史の闇である。
【何故姉上が無事だったのか。その理由を話しましょう】
「……」
【姉上は魔法の力を持っているだけで、魔法使いでは無かったんですよ】
「……え? いや」
【聖女様の混乱も分かります。しかし、これは事実なのです】
ローリーさんは落ち着いたまま一つずつ丁寧に説明してくれるのだった。
【これはサルヴァーラ家が代々確かな血の人間とだけ婚姻を繰り返してきたという事が良かったのです】
【貴族としては人ではない物の血が入っていないという事だけで安心出来ますからね】
【だが、これが全ての悪夢の始まりでした】
【姉上の事を知った者達は姉上が良い年頃になると、欲に満ちた婚姻を迫りました】
【無論両親も、私も……そして領民たちもその様な婚姻は駄目だと反対し、姉上もそれに頷いて、それを拒否しました】
【ですが、彼らは自分たちの欲が満たせぬと知ると、今度は実力行使に出たのです】
【いくつかの国が手を組み、人の身に宿った魔法の力を手に入れようと戦争を仕掛けて来ました】
【多くの民が殺されました】
【多くの子が父や母を亡くし】
【多くの父が妻や子を亡くし】
【多くの母が夫や子を亡くしました】
【何の被害も受けていない者など居ないでしょう】
【そして、この国へ奇襲を仕掛けて来た者達は、誰かの愛しい子の亡骸を青ざめている姉上の前に投げ捨てて、こう言いました】
【お前が我らを拒絶したからこの子供は死んだ】
【もう一度お前に問う。我らの下へ来い】
【拒否すればこの街は地図から消える事になる……と】
【この街がスタンロイツ帝国の様な大国の庇護下にあれば良かったのかもしれません】
【もしくはセオスト自由商業都市の様に強大な力を持った個人がいれば】
【しかしどちらも持たず、サルヴァーラはいくつかの小さな集落が集まった国とは名ばかりの集合国家でしか無かった】
【故にサルヴァーラは焼かれ、そしてこれ以上焼かれない為に姉上が生贄となったのです】
ローリーさんが語るおぞましい歴史に私は思わず言葉を無くしてしまった。
この街で見た多くの戦闘の痕跡は、その大虐殺が原因で付いた物なのだろう。
しかし、私はどこか冷静な頭でこの話はまだ終わりでは無いのだと感じていた。
だって、そうだろう。
ローリーさんの話では街にまだ生き残りは居たのだ。
しかし、今この街に人はおらず、おそらくそのおぞましい国々はこの街をそのままにはしないだろう。
だから……私は聞きたくないと感じつつも聞かねばならない事を聞くべく口を開いた。
「……国連は」
【聖女様】
「国連は、もう二度と無用な血が流れぬ様にと設立された組織のはずです! 世界の人が手を取り合える様にと……!」
【聖女様。我々は知っているのです。国連の真実を。そして貴女の身を使い闇の神を呼び出す計画の事を】
「……っ!?」
【何故なら、姉上を救出しようと国連の建物に侵入した私は、その計画を知り、姉上の前で首を刎ねられたのですから】
「な、んて事を」
【そして、嘆き悲しむ姉上を見て、喜んだ奴らは残された領民を苦しめ、殺し、その様子を姉上に見せたそうです】
私はもう言葉も無かった。
いや、想像はしていた。
歴史上ではその様な残酷な行為は幾度か行われていたから。
覚悟もしていた。
でも、憎悪が形を成した存在を前にして、平静を保つ事は出来なかった。
【故に。我らは姉上を苦しめた者達を、そして国連という組織を生み出したこの世界を破壊する。我らが全て殺されたと知り、長き眠りの中に落ちてしまった姉上の為にも!! この世界を!】
「……その為に、私を、殺すと」
【その必要はありません。今の話を聞いて貴女は我らに同情した。心を寄せた。それで十分だ】
「ぁ」
【闇の神の器とさせていただきますよ。聖女様。いえ……ミラ・ジェリン・メイラー様】
どこか遠くから聞こえてくる様なローリーさんの声を聞きながら私は再び瞼を落とした。
急激に襲ってきた眠気は、私の体を包んで……どこか温かい闇の中に沈めたのだった。
起き上がろうとする私の意思を多くの人の意思で埋め尽くして。