はじまり
とある昔、ヤマトという国に、たいそう腕の良い人形師がおりました。
彼女のつくる人形は、まるで生きているようだと専らの評判で、王様、殿様、お貴族様と、各地のお金持ちがこぞって求める、それはそれは素晴らしい出来栄えなのでした。
さて、若くして天才と謳われる人形師である彼女の元へ、ひとりの旅人が訪れました。
「この国に、それは素晴らしい人形をつくる人形師がいると聞いて参りました。その腕を見込んで、ひとつお願いがあるのです」
彼は人形師に、自分にもひとつ人形をつくってほしいと依頼してきました。
あの素晴らしい人形を自分にも、と求めて人形師の元を訪ねる者はこれまでにも大勢いましたから、驚くことはありません。
そうした人たちに人形を拵え、買い取ってもらうのは人形師の生業です。
彼女は今までも、そうやって生活してきました。
「お断りします」
ですが人形師は、悲しそうな目で首を振ります。
断られた旅人も、だからといってそう易々と諦めることはできません。
お礼ならば精一杯のものを用意するからと、どうか、どうかと頼み込みます。
「わたくしはもうこれ以上、人形をつくらないと決めているのです。お引き取りくださいませ」
丁寧に頭を下げられては、旅人も引き下がるほかありません。
ですが、人形師の悲しそうな顔が気になり、そっと旅人は訊ねます。
「どうして人形をつくらなくなったのですか? 貴女のつくる人形は、どの国にも並ぶものはないほど、素晴らしいものだと聞いています。そんな貴女が、人形づくりを辞めるなんてあまりにも惜しい。差し支えなければ、理由をお聞かせ願えませんか?」
何らかの事情があるのだろうと察して、気を遣いつつ訊ねる旅人に、人形師は少し申し訳なくなって、その理由を語り始めました。
「わたくしは物心のついた小さな頃から、人形づくりをしてきました。そのおかげか、わたくしのつくる人形は、自分で言うのもなんですが、今では高く評価されて多くの人に愛されています。それゆえに高値で取引され、何をしてでも手に入れるという好事家もいるのだとか」
曰く、彼女のつくった人形たちの価値は、あまりにも高くなり過ぎたのだといいます。
小さな人形ひとつだけで、家が一軒建つほどまでに。
「わたくしの人形を巡っていくつもの諍いが起こり、盗みや刃傷沙汰さえ珍しくない。やがては、災いを呼ぶ呪いの人形などと、そんなことまで言われるように……」
人形師は悲しそうな目をしながら、自分の手を見つめて語ります。
その姿は、まるでこれまで生み出してきた、人形たちを思い返しているようでした。
「今ではあの人形たちは、見るだけで不吉なものだと恐れられ、捨てられることも少なくありません。わたくしにとって人形たちは、丹精を込めて作り上げ、一人一人の幸せを願った、我が子も同然の娘たちなのです。わたくしはもうあの子たちに、悲しい目には遭ってほしくない。もうこれ以上、不幸な人形を生み出したくはないのです」
絞るような声で語る人形師の話を、涙を浮かべて聴いていた旅人は、聴き終えた途端に深く、深く頷きました。
「なんと悲しい、あまりに悲しいお話です。貴女のつくった人形たちは、ただ愛されるために生まれてきたというのに。人はこうも悲しい、非道い仕打ちができるものなのですね」
旅人は、彼女の嘆きと人形づくりを辞めた理由を、心の底から理解しました。
親が子の幸せを祈るように、人形師もまた人形たちの親として、子供たちの幸せを願っていたのです。
大切にしてくれる人に貰われて、愛されて過ごす幸せな一生を願っていただけなのです。
そんな幸せな未来を望めないのならば、人形を世に送り出すのを躊躇ってしまうのも、無理はないと旅人は深く納得したのでした。
「ですが、それでも……いえ、お話を聞いた今だからこそ、やはり貴女にお願いしたいのです。私の、大事な友人たちのために、貴女の手で、人形を仕立てていただけませんか?」
そう言って、今度は旅人が語り始めました。
なんでも彼が人形を求めるのは、遠い国に住むとある友人のためだというのです。
「その友人には娘が一人いるのですが、その子は生まれつき身体が弱く、外に出て遊ぶこともできないのです。そのため友達もおらず、悲しそうな娘を見かねた友人は、私にこう頼んだのです。『なんとかして、娘に友達をつくってあげられないか』と」
旅人の話を、人形師もたいへん興味深そうに聞いています。
彼女も幼い頃から、家で人形づくりにばかり明け暮れていましたから、外に親しい友達もおりません。
ですから旅人の語る娘さんの話には、どうしたって自分を重ねて聴いてしまいます。
「私は旅人ですから、ちょうど良いお友達を紹介してあげることもできません。ですが、その時ふと風の噂で、有名な人形師の話を耳にしたのです」
噂では、魂が宿るほど素晴らしい人形をつくる、偉大な人形師がいるのだと。
そんな人のつくる人形ならば、もしかすると彼女の友達になってくれるかもしれない。
そう思ってやって来たのだという。
「しがない旅人の身ですから、家が建つようなお礼はできませんが……それでも、できる限りのものを用意させていただくつもりです。どうか友人のため、今も寂しく待っているあの子のために、人形をつくってはいただけませんか?」
そう言って旅人は、ふたたび頭を下げました。
彼の話には、人形師も大きく心を揺さぶられました。
その友人の娘さんの話も、彼女なら人形を大切にしてくれるのは間違いなく、つくってあげるのも吝かではないと、そう思えるものでした。
「……大変申し訳ありませんが、やはり、お断りします」
しかし人形師が口にしたのは、またしても悲しそうな断りの言葉でした。