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不老不死の男

作者: 雉白書屋

「あなたが不老不死というのは……その、本当なのでしょうか?」


「……ああ」


 男の質問に彼は重々しく答えた。

 不老不死。それは珍しいことではない。もっとも、そう騙るほら吹き男の存在は、の話だが。不老不死の研究が進められている現代にはそうやって注目を集めたがる者が多いのだ。

 男は駆け出しの記者。前述のとおり、不老不死の研究が進められている今、自分がそれだと騙る者を面白おかしく取り上げようというのだ。ただの便乗記事であり、こんなものが大衆の興味を引くとは思えないが……と、記者はまるで昔話に出てくるような古い木造の平屋の中、床の上で胡坐をかく彼のことをちらと見る。

 確かに雰囲気のある男だが、それはボサボサの髪と整える気のない髭のせいだろう。自分をそう見せたいがための詐欺師と思えば、そのように見えてくる。噂話を辿り、この村に着いてから何人か村人に聞き込みをしたが、いずれも半信半疑だった。いや、村人たちは真偽など、どうでもいい様子だった。

 ただ、彼が親しまれていることは間違いなさそうだ。会いに行くならついでにこれを持って行ってくれと、道すがら出会った村人から野菜などをたくさん渡された。記者は脇に置いてあるそれらに目を向け、また彼に視線を戻す。その口から彼は何を語るのか。今、息を呑んだのは、本当に彼が作り出した雰囲気のせいなのか……。



 ……目覚めた場所が海岸だったことに、そう驚きはしなかった。生命が生まれる場所。今、自分はこの世界に生まれ落ちたのだと感じた。そう思うしかなかったとも言える。この体は成熟しているようだが、記憶が一切ないのだ。

 私は立ち上がり、とりあえず歩くことにした。空と海を分けていく太陽を横目に、海辺を駆ける波に耳と足をくすぐられながら。

 やがて、散歩中の男に声をかけられた。話をすると、放っておけないと思ったのか、その男は私の世話を申し出て、私はそれに甘えることにした。

 近くにあるというその男の家に向かう間、「どうして親切にするんだ?」と、私が訊ねると「全裸だったからな。まさかそのままにしておくわけにはいかないだろう」と、その男は笑って答えた。「おおっと、そっちの趣味はねえぞ。女房がいるからな!」とも。

 今思えば、夫婦ともにすんなり受け入れられたのは、こちらも相手を受け入れたからなのかもしれない。私は世話になりつつ、男の仕事を手伝うようになり、他の人間との交流も増えた。持たざる者ゆえ、何もかもが新鮮に思えた。

 助けてくれたその男は漁師であった。朝早く船を出し、魚を獲る。毎日やることが変わらない。いい生き方だ。

 ただ、私たちが出会ったあの日は休みだった。なのに、どうして海を見にきたのか気になり、私が訊ねると、男はただ笑った。

 口にするまでもない。この男は海が好きなのだ。会話をしているうちに、私はそう気づいた。

 しかし、相手を愛する者が、その相手から愛されるとは限らない。私はそれを知った。

 男は海で死んだ。不幸な事故だ。でも、「海で死ねて、あの人は幸せだったのよ」と男の妻は語った。そういうものか、と私は思った。

 私はその後もしばらくはその町で暮らしたが、不老不死の身だ。長居はできない。もっとも、自分がそうと気づいたのは人から「あんた、不老不死じゃないのか?」と、冗談めかしてして言われ、次第に怪しまれるようになってからだが。周りの人たちとは違い、私の見た目は何年経っても変わることはなかったのだ。


 浜辺を歩くように、海沿いの町々で怪しまれるまで働き、やがて、海の次は山だな。そんな安直な理由から山に行った。

 とりあえず、私が暮らせるような村がないかと山の中を歩き、時に立ち止まって自然の音に耳を澄ました。徐々に歩くことよりも耳を澄ませるほうが増えていったのは、実は人との交流に疲れていたからかもしれない。だから、しばらくは山の中で誰とも会わずに暮らすことにした。どうも前の町でのことが尾を引いていたようだ。海の町だ。人魚の話くらいあっても不思議じゃない。私は人魚の肉を食らった男で、またその肉を食らえば自分たちも不老不死になれるとそう思い込んだ人たちが何人かいた。

 山で一人で暮らすようになってからしばらくして、私は一人の男と出会った。その男は猟師であった。久しぶりに最初に出会った男を思い出し、私は笑った。私はどうもそういった者と縁があるようで、その男の世話になることになった。ちなみにその時、私は全裸だった。服は不老不死ではない。山での生活は過酷というわけだ。

 その男もそのように語った。傾斜、崖、迷わす木々、そして獣。命を手をかけるものは、またかかりやすい。

 私は彼に弟子入りという形で働くようになった。別にそう頼んだわけではないが自然とそうなった。山で暮らしていた身だ。むしろ私の方がその山に詳しいと言えた。事実、何度か男の危ないところを助けてやった。とはいえ、私自身、危ない目に遭ったりもしたが。私は不死とはいえ油断は禁物と学んだ。特に、大物と出会ったときは。

 それはそれは、大きな熊であった。遭遇した日は、あいにくの雨。銃を構えた男だったが、湿気たためか弾が出ることはなかった。男は私に下がってろと怒鳴り、鉈を構えた。熊も下がらなかった。襲い掛かる大熊に私は男の前に出て、応戦した。そうしなければ男は確実に死んでいただろうから。

 私は大熊に腕を食らわせ、その隙にもう片方の手で目を突いた。男も参戦し、二人で必死に戦った。

 幸いなことに、不老不死の血肉を食らってもそうなることはなかったようだ。でなければきっと酷い目に遭わされていたに違いない。

 我々は肩で息をしながら、打ち取った巨大熊を前に手を取り合い、喜びを分かち合った。……そう、巨大熊。獲った魚もそうだが思い返すたびに大きくなるのは不思議なものだ。

 それからも日々、命に、恵みに感謝することを忘れなかった。だが、いかに徳を積もうとも不幸は訪れるものだ。

 男は熊との戦いから間もなくして病にかかり、そして死んだ。あの日の雨が原因か。彼が誇りだと語った熊から負った傷が原因か。それとも加齢か。私にはわからないが、私は男の後を継いだ。

 男は時折、近くの村々に獲った肉や毛皮と野菜などを交換しに行っていたのだが、村にやって来た私をその男自身だと勘違いする者も少なくなく、やがて完全に置き換わった。

 海沿いの町での生活とは違い、山での生活は孤独であった。だがそれも悪くはないと私は思った。しばらくはまた一人、穏やかに暮らした。時に私に弟子入りする者もあり、また世の中全体が騒がしくなることもあったが、静かに平穏に。多くを求めず、そうあろうとすればそのように暮らせるものだ。が、やはりそうもいかないこともある。

 山を切り崩すことができるなどとは、そして、人間たちがそうするなんてこと想像もしなかった。

 時が流れ、いつの間にか人々は大きな力を手にしていたのだ。少し興味を持った私は山を下り、街を見に行くことにした。

 ……だが、街は山以上に過酷な場所であった。山で稼いだ金は騙し取られ、あっという間になくなってしまった。

 しかし、そう腹立たしくはなかった。こちとら不老不死、てめらとは心の在り方まで違うんでぇ……と多少荒みはしたが、怒り以上に私は悲しくなったのだ。騙し騙され嘆き嘲笑いが多いこと多いこと。得意の全裸も嘲笑、嫌悪。冷たく鋭い目をした男たちに捕まり、自由を奪われたかと思えば、どこを頼れと指し示してくれるわけでもなく放り出され、あてもなしに彷徨う日々……。

 だが、人間は皆そうなのだと知った。誰も彼も不安を抱え、時に、来る明日に対し抵抗してみせるも、幸せも不幸も享受し生きていく。

 私もそうした。彼らを見倣い、そう生きた。働き、愛し、結婚し、死別して……と、それを繰り返した。奪われ、奪い、与え、貰って、生きた。そうだ、生きたのだ……。

 

「……それで、ご自身のお記憶は戻ったのでしょうか?」


 話していた彼がしばらく黙ったので記者はそう訊ねた。いつの間にか正座であったが、記者自身はそれに気づきもしていなかった。

 彼は「あぁ……」と、質問に答えたのか息を漏らしたのか、わからない声を出した。

 またしばらく黙り、やがてこう言った。人間というものがどういうものか知り、そのことから己を知った、と。

 瞬間、部屋の中で巻き起こった風に、記者は目を瞑った。

 記者が再び瞼を開けるとそこに彼の姿はなく、開いた扉がギィと音を立てた。

 記者は外に出て、そして、いの一番に空を見上げた。

 なぜそうしたか、彼の話を聞き終えた記者もまた彼が何者なのか直感していたからだ。

 空に浮かんでいた大きな白い雲。その中心に穴があいていた。まるで何かが下からそこを通ったかのように。

 いずれ、神判の時がやって来るかもしれない。しかし、記者の胸の内にはそれほど不安はなかった。

 話をしている最中の彼の顔。たぶん、彼はいい人生を送ったのだ。

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