2038年、馬鹿な大学生達が星空の下で風になる話
[おはようございます、望。そろそろ起きなければ1限目の講義に間に合いませんよ]
柔らかな女性の声が脳内に響き、俺は目を覚ました。
寒い。お金が無くてカーテンを安いものにしたから、朝の冷気が部屋に侵入してますます毛布から出たくなくなるのはいつものことだった。
女性の声だが、ここには俺以外の誰も居ない。
何なら、女性と朝を迎えたこともない。本当に、本当に残念なことに無い。
心地よい声で話しかけてくれるのは、俺の端末にインストールされている汎用AIだった。
BMI――ブレイン・マシン・インターフェース――。
どこかの健康指数と同じ言葉を冠しつつ全く意味合いの違うそれは、ここ10年であっという間に普及した、らしい。
らしいというのは、俺が物心が付いてからはずっと慣れ親しんでいるものだから、無かった頃の不便さは想像もつかないからだった。
脳波などを利用してコンピューターを操作したり、コンピューターから刺激を送ることで、感覚器を介さずに人に視覚や味覚を与える技術、ということで習ったが、難しいことはよく知らない。
分かっているのは、耳に少し器具を埋め込んだら、それだけでXR――拡張現実――へのアクセスが可能になるし、端末を保持して、盗難に合ったり紛失したりする危険に比べれば余程安全だということ。
とは言え、祖父母の世代はほとんどがまだ端末を持っている。
新しいものは何だか怖くて、後これまでもこれでやってきたんだから面倒でね、ということだった。
わからなくもない。確かに新しい事を始めるのは面倒くさい。
[望? 祖父母の面倒くさいと、貴方が今感じている面倒くさいは違うものです。早く毛布から出て、顔を洗い、食事を摂って準備をする事を推奨します]
そして、目の端にズラッと情報が並ぶ。
現在2038年10月18日、8時38分。
晴れ。
気温は7度。
湿度は45%。
標高650m。
……
(あぁくそ、今日も朝はくそ寒いなぁ……昼はそこそこ暑いってのにまじで寒暖差が激しすぎんだよな)
そう毒づきながら、俺は起き上がる。
文明が進もうとも、どんなに昔に比べて便利になったと言われようとも変わらない現実はあった。
今現在俺が金欠のひとり暮らしの大学生であるということと、移動手段は昔ながらの変わらない自転車――しかも電動ですらない――であること。
そして、大学までは10分かかり、講義の一コマ目は9時からということだった。
かつては代返などという裏技があったらしいと聞くが、技術の進歩は出欠を自動化する便利さとともに、代返という素晴らしいシステムを駆逐してしまった。進歩が良いことばかりとは限らない。
「何か食べるものあったかな……確か一昨日買ったおにぎりを冷蔵庫に入れておいたような」
[冷蔵庫の中には先々日のツナマヨおにぎりが存在していますが、消費期限が22時間超過しています。別のものを用意することを推奨します]
「……いや、いけるだろ賞味期限切れてるくらい」
[賞味期限と消費期限は違います。また、これまで望が期限切れを食べた試行回数は38回、うち、腹痛を催したのは1回です]
「……食べる」
ある意味親よりも口うるさいAIをスルーして、俺はささっと食べて、顔を洗って身支度をすると、鍵を持って扉を開けた。
「さむっ!」
乾燥した冷たい風が顔を打つ。
標高が100m上がるごとに気温は1度下がるそうだ。
10月は秋のはずで、少なくとも去年まで住んでいた実家ではまだ暑かった覚えがあるが、ここは違う。
標高650m。
そこに俺が住んでいる街はあった。
◇◆
紅葉で様々に色づいている山々が目に入る。
四方を山に囲まれたこの街に来た時は、その近さに感動したものだったが、今となっては見慣れた景色だ。
自転車に乗って浴びる風が、ハンドルを握る手を凍えさせてくる中で、俺は坂が多いこの街に住み始めて常々思っていることを呟いた。
「行きが下り坂じゃなかったら朝の単位を落としてたかもしれねぇ……」
[……はい、その仮説は、望の性格診断と複合して高確率であり得た未来だと思われます]
少し間をおいてから言葉を投げてくる当たりが、全く人間っぽいと思う。
だが、意外とかつて危惧されていたAIとだけ話して、人とは話せない人間というのは多くは無いらしかった。
何となくではあるが理由はわかる。
かつて文字でAIとのコミュニケーションを取っていた時代とは違って、今では声でのやり取りが主となっていた。
BMIを埋め込んで、そこにAIがインストールされている望のような人間の場合は、視覚も当たり前のように共有されるし、見たものを説明されたり、質問したりを繰り返すうちに、会話として喋るという事に慣れてくるのだ。
もちろん最適化されているため、人間と話すよりもAIと話していたほうが楽だという人も一定数いるが、少し昔の物語に出てくる、文字を打つのは得意だけど話すのは苦手という人種は逆に少なくなったと何かで読んだ。
[望はいつもと同じ時間、同じルートですが、周回バスが遅れてまだ止まっているようです。前方にご注意を]
一度朝ぼーっとして電柱にぶつかったことがあるため、違和感がある場合はアナウンスしてくれるように頼んでいるのだが、今日は変わった注意喚起だった。
ただ、注意喚起の前に俺も気づいていた。
いつもは通り抜けようとする大学の前のバス停だが、無人のバスの前で少しおばあさんとおじいさんが並んでいるのを見て、安全の為に自転車を降りる。
そして押して通り過ぎようとすると、明らかに困っているようなやり取りが聞こえてきた。
基本的にルートを周回するバスは、端末をかざすか、俺のように埋め込んでいる人間は何も意識しなくてもいいはずなのだけど、その二人は一昔まえのスマートフォンですらなく、財布を持ってどうすればいいか迷っているようだった。
とはいえそれでも本来乗れるはずなのだが。
「あぁ、そういえば。一部のバスはもう現金で払えなくなったんだっけ?」
[はい、機器の老朽化、特に小銭の流通量の激減もあり、試行的に電子のみとされるアナウンスがありました]
無人運転である上に、中の客も迷惑そうな顔をしている人はいても助けようとする人はいなさそうだった。
バスのガイドAIも、現金しか持たない相手には諦めを促すことしか出来ていない。
把握して、自分の記憶の中にある残高と、目の前の状況を見て考えるのに二秒。
「なぁ、周回バスは値段は一定だよな?」
[はい、市内はどこでも220円ですね……ちなみに望、貴方の給料日前の残高は580円となります]
AIが、AIのくせにため息でもつきそうな口調で、でもやるのだろうと言いたげにそう付け加える。
そして、うん、と頷いて俺は困っていそうな二人に声をかけたのだった。
◇◆
(小銭なんて使うの、めちゃくちゃ凄い久しぶりだな)
俺はそんな事を思いながら、学食のいつもとは違う注文口に来ていた。
基本的に思想でも無い限りは端末を持っているし、皆学食の中で思い思いの場所でXRの画面を操作しすれば奥で3Dプリンタで生成されたものが流れてくるので受け取っていく仕組みだ。
本来は俺もそうだったのだが。
『ありがとうねぇ、助かったよ、ではこれを』
今朝方、代わりに端末から乗車賃を払って助けたお爺さんとお婆さんはそうお礼を言ってくれて、本来払うはずだったものより少しだけ多めに現金をくれた。
今も俺のポケットにあるそれのおかげで、昼は無事に食べることができそうである。
「やっほー、現金なんて珍しいね?」
「え? あぁ西園さん……いや今日は偶々ね」
そこにいたのは同じ専攻の中でも可愛いと言われている西園さんだった、あまり話したことは無いのだが、彼女も現金仲間なのだろうか?
俺が少し怪訝そうな顔をしていたのか、西園さんは笑顔で言った。
小柄で小動物的な雰囲気と、社交的な性格で人気なのがよくわかる。
「ふふ、なんてね。急に話しかけてごめんね。実は朝、私も見てて、どうしようって思ってたところに君が通りかかってさ。迷う事もなく助けてお礼言われて……なんか凄いなって思ってさ、いい人だよね!」
「……まぁ、お婆ちゃん子なんだわ、俺。だから困ってる爺ちゃん婆ちゃんは見過ごすのも後味悪いし」
「あははは、最初の理由がそれなの? えっと、望くん、でいい? みんなそう呼んでるよね、あまり話す機会なかったけど、良かったら今度……」
そこまで言ったところで「何してるのー?」という声が彼女の友人からかかり、ごめんね、また連絡するね、と言って彼女は去っていった。
「なぁ、今のは脈アリだと思うか? 結構悪くない『いい人』じゃなかったか?」
[この後、ご友人の意見も参考にされては如何かと思うのですが、ひとまず統計的に言えるのは、今の出来事だけで脈を考えるのはモテない男子の特性のように思われます]
「……おいこら、オブラートに包めよ」
◇◆
「何かさっき西園さんと話してなかったか?」
400円のカレーを持って席に着くと、既に向かいに座っていた友人の一人、背の高く骨も太い、一見すると強面にも見られる鉄平が話しかけてくる。
目敏く見られていたらしかった。
朝の出来事は午前中にネタにはしていたので、それを見られていていい人だねと言われたという話をすると。
「おお? なんか好感触? くそー、俺もどこかにいい人アピールポイント落ちてないかな。美少女が見てる場面必須で」
鉄平が悔しがって何かに憤るように言った。
それにいやどんな都合のいい場面だよ、と思いつつも確かにその通りの場面だったかもしれないと突っ込むのはやめた。
そんな俺たちを見て笑いながら、こちらは小柄でお姉さんウケが良さそうな美少年、博明が口を開く。
「……いや、鉄平みたいに下心ありありだと巡り合わないんじゃないかな? それにしても望は相変わらずお人好しだけど、それを評価してくれるのは西園さんのポイントが上がったね」
「お前はお前でどの立ち位置なんだよ?」
流石にそんな言葉にツッコミが溢れる。
俺たちは学科も同じで、最初のオリエンテーションで席が近かったことからいつもつるんでいる三人だった。
バイトをして、カラオケにいったり、ボウリングにいったり、ゲーセンにいったり、麻雀を囲んだり、VRゲームの中で探索したりと、一緒に居てもいなくてもよくつるんでいる男友達。
ちなみに全員彼女はいない。
繰り返すが、全員彼女はいなかった。
いや、楽しい大学生活を送ってはいるぞ?
ただちょっとばかり、「彼女が欲しい!」と叫び出したくなるだけで。
ちなみに叫ぶでもなく呟いたら。
[これまでの行動と、周囲からの評価を鑑みて、告白をしなければゼロをイチにするのは難しいと思われます]
だから心を削ってくるんじゃねーっての。
◇◆
標高650m。それが今僕らが今住んでいる場所だった。
尤も、山の上に住んでいるわけではない。そこそこの規模の城下町である。
[現在の標高は709m。気温は11度、湿度は38%]
大学を機に一人暮らしを始めた、地元の近くの高い山より高い位置にあるこの街を、俺は結構気に入っていた。
寒暖差は激しいが、基本的にからっとしていて気温が上がっても不快ではない。
[心拍数上昇。体温上昇。まめな水分補給と塩分補給を推奨]
だから本来なら今、俺の額から滝のように流れ落ちる汗もきっと気にならない筈だ。
そんな現実逃避をぶち壊す声が聞こえる。
「…………本当にこの先に公園なんかあんのかよ」
「……………………」
そう疲労感をこれでもかというばかりに言葉に乗せるのは鉄平だ。
無言で死んだ目をしているのは博明。
俺も含めて三人とも、自転車を漕ぐのはとうに諦めていた。
こうなると押して歩く分だけ荷物でしかない。
誰だちょっとしんどいけど、景色のいい公園があるらしいから、VRとかじゃなくてリアルで見に行こうぜ、なんて言ったのは。
あぁ、残念なことに俺だ。
◇◆
「へー、望はあの辺に住んでるのか、温泉もあるし、登ってく道を(自動車で)ちょっと行けば見晴らしのいい公園もあるしな、彼女とか連れて行けば夜景が綺麗だぞ」
「まじすか? あの道の先って峠かと思って行ったことないんすよね、(自転車で)行ってみようかな」
「おー行ってこいよ、地元の都会じゃ見れない、田舎すぎても見れない空の星と地上の星がいい感じに見れるぞ…………え、お前彼女いんの?」
「残念ながらいねーっす、でも大学入って仲良くなれた奴らはいるんで、野郎どもで予行演習してこようかなと」
「…………なるほど、先客がいたら邪魔してやるなよ?」
夜景スポットなどは、地図アプリを元に想定することはできるものの、実は未だに口コミも強かったりする。
――その恩恵を受けたことは無いが。
とまぁ、バイト先でそんな話を聞いたと、鉄平と博明に話をしたのは昼の事。
鉄平が、人助けからの出会いよりも、AI同士の相性マッチングの方が効率がいい論に傾きかけていた時のことだった。
「よっしゃ、じゃあ早速今晩ならいけるぜ? 予行演習は早いほうが良いだろ!」
「いや、予行演習が早くても相手が早く出来るとは限らないけどね」
「自分にも刺さる正論を言うなよ、AIかお前は!?」
◇◆
「バイト先の先輩との話ではちょっと行けばって話だったんだけどなぁ」
見えるのは木々と、先が見通せない曲がりくねった坂道。意外と舗装はしっかりしているが、先の見えなさと暗さが不安を誘う。
[望? 一応、知らない状態を楽しみたいという要望で声をかけておりませんでしたが……]
「……絶望的な話か? それとも希望的な話か?」
[現実的な話です]
「……もうちょい待ちで」
足が棒のようだ、というけれど、棒になった後でも意外と前には進むものだった。
止まったらもう登れない。
時折ヘッドライトを点した車が僕らを避けるように通り過ぎていく。自動運転とはいえ、自分の車を持つには免許は必要で。そして、レンタルで周回してくれている格安のタクシーはこんな場所までは来ず、特別にナビ指定すると高かった。
「……なぁ? 車ですぐ、チャリだと無理、とか言わないよな。俺、楽しみのためとか言ってAIにナビ頼まなかったの後悔し始めてるんだけど」
「めっちゃありそう、先輩達ってみんな車持ちやよね? 冬は凍結で二輪は危ないって理由で。望の先輩ももしかして」
ポツリとこぼす鉄平に、博明がうんうんと頷く。
「薄々気づいてはいたけど、やっぱりそうかも、でもここまで来たら戻るのもな……」
俺が、認めつつもそう悔しさをそのままに吐き出すと。
「同感」
「………まぁね、チャリに乗って坂道を下りたい欲望は高まってるけど」
二人とも気持ちは同じようだった。
限界は近いが。
「じゃあ次! 次のあのカーブでも先が見えなかったら、AIのナビ聞いて、考えるか……」
俺のその言葉に頷いて、先程までより心持ち上がったスピードで登っていく。
そして曲がった先には――。
◇◆
坂道を登り、大きなカーブを曲がった先。
そこには美しい夜景が広がって……は残念ながらいなかった。
しかし、かといって何も無いわけではない。
続く坂道の途中に看板があった。
そこには駐車場のマークも読み取れる。
「なぁ、これが言いかけてたやつか?」
[はい。この先300m先に、公園と展望台があります。車で時速40kmだとここまで最後に寄った無人コンビニから10分ほどです]
なるほど、確かに現実的だ。
俺は二人の方を振り向いた。おそらくそれぞれ、脳内に俺と同じように現実が突きつけられていることだろう。
「まぁ、行くか」「流石にこれはね」
坂を自転車を押して上がるには中々辛いが、ゴールが見えれば気力も戻ってきた。
何よりここで帰るのはあまりにもこれまでが無駄になり過ぎる。
「はぁ、はぁ。もし僕が明日の講義はリモートのVR参加だったら、筋肉痛で動けないと思って」
先程まで死んだ目をしていた博明が、少しばかり元気を取り戻したように、でも後ろ向きな宣言をするのに笑った。
俺たちが産まれた年に、世界的なパンデミックがあってリモートが普及したというのは学校で習った近代の歴史だが、なんだかんだで学ぶためではなく、友人と喋るために通っていたりする。
天候だったり、完全に寝坊した場合などは別だが、一人暮らしで引き篭もるよりは、せっかく気が合う友人とリアルに会うのが、少なくとも俺は好みだった。
「俺は意地でも行くぜ? 偶然の出会いは出掛けなきゃ始まんねぇからなぁ!」
リアルとは別に、SNSでもマッチングでも出会いはあるが、二度ほどそれで失敗したらしい鉄平は、リアル寄りの思想で意地でも行くらしい。
かつての『お見合い』がAIによる相性診断に基づいたマッチングに移り変わっているというのは少し前のニュースでよく取り沙汰されていたが、いつの時代も考え方は多様だ。
ちなみに俺はと言うと。
『また今度連絡するね』
昼に言われた可愛い女の子からのセリフの為にリアルで行こうと思う程度には、期待をしてしてしまう男子だった。
社交辞令かもしれないけど、行動しないと何も変わらないんだよ! ワンチャンくらい妄想してもいいよな?
――この甘い考えが砕けるまで、後15分。
◇◆
「「「…………」」」
人間、本当に綺麗な夜景を見ると、言葉が出ないのだということを知った。
高い建物や光の強い建物がないと、夜空が暗いことを知った。
暗いと、民家の明かりは点々と、でも意外と見えることを知った。
そして、三人とも感じていただろう事を、鉄平が口にする。
「……なんで野郎どもでこんな良い景色を」
「思ってても言うなよ」
とりあえず突っ込む、でも誰かが口にしていただろう。そのくらい綺麗で、ムードのある夜景だった。
街の灯りと、空の灯り。
それが、星だけではなく、ここ10年で数十倍に膨れ上がったという衛星だろうと、誰かの残業の結果だろうと、美しさは変わらない。
「…………とりあえず車かな? 地元だと欲しいと思ったこともなかったけど」
「バイト、免許、車、彼女の順だな」
「おお、車までは行けそうだね!」
「馬鹿野郎最後まで行かないと意味ねーだろうが!?」
俺が少し空を見上げている間に、馬鹿二人が馬鹿なやり取りをしているのが耳に入ってきて笑う。
ムードもクソもない。
「ん……?」
そして周りを見渡してふと気づく。
今いるのは駐車場で、ここからでも凄い夜景だが、どうやら展望台にも登れるようだった。
[展望台からは、より広範囲の夜景が楽しめるようです。データ上は高さ10mとなっております]
「なるほど。なぁ、鉄平、博明、展望台せっかくだから登るか?」
「へぇ、そうだな! ここまできたら行くところまで行ってやろうぜ!」
「いや、展望台に登るだけで大袈裟すぎでしょ? あ、勿論僕も登るよ」
――翌朝の俺は少しだけ思うことになる。この時登って良かったのか、良くなかったのかと。
◇◆
展望台は螺旋の形の階段を登る作りになっていて、少し休んだとはいえ最後のトドメのようなそれに何とか足を持ち上げながら、ようやく俺たちは、無言で一番上に辿り着いた。
そして、気づく。
先客が気づかなかったのは、俺たちが疲労から階段を無言で上がっていたからか。
「え……?」
ふと俺の口から声が漏れていた。
そこには確かに、展望台の下とは比べ物にならない夜景が広がっていた。
確かにこれは、恋人同士のデートスポットとして最適だろう。
まるで物語の一シーンのようだった。
そう、目の前で繰り広げられる、展望台の肩を寄せ合い、キスをしているシルエットの男女は、一つの映像作品の登場人物のようで。
だからだろうか?
夜景の月明かりと星明かりの下だと言うのに、昼に少し会話した女の子が、明らかに恋人の距離感で幸せそうにしているのがよく見えたのは。
そこからの俺たちの行動は早かった。
その瞬間は、日本人の血に眠る忍者の資質でも開花したのではないかと思うほど迅速に、しかし静かに。
「「「…………」」」
美しい夜景を見た時と同様の無言で、再び自転車の元へと辿り着いたのだった。
◇◆
ライトに照らされた木々が凄いスピードで流れ去る、俺たちは疾走していた。
「くっそー! 俺も彼女欲しいー!!」
そう言いながら鉄平が滑るようにして前を走っていく。
恐怖もなくはないのに、俺もこのまま慣性に任せて駆け下りたい気分だった。
そして同じように叫ぶ。
「おおおー! そうだそうだー! 俺だって、恋人と夜景が見てぇ!!!」
「見せつけやがってー!」
明らかに馬鹿なテンションだった。
でもそれくらい、何か叫び出したい気持ちに駆られていたのだ。
入学して半年。あれだけ可愛い子に相手がいないなんてことはそりゃないよな。
そしてこれだけの夜景だ、言われていたのに先客の可能性を失念していた俺たちが悪い。
でもこのタイミングで、何が悲しくて知り合いのいい雰囲気のキスシーンを見なければならないのか!?
運命の馬鹿野郎!
俺たちは三人いた。普通は誰か冷静な奴がいるだろう。でも、この時の俺たちは、三人とも馬鹿だったから誰も止めるものがいなかった。
ただ風を浴びながら、夜景の元となっていた街へと向かって下りながら、衝動のままに叫ぶ。
「おっしゃー! 俺たちは今風になっている!」
「うおおー!!」
改めて言うが馬鹿だった。
[望達が風になれるかどうかは定かではありませんが……]
そんな俺に。いや、俺たちに呆れるような声で脳内で響いた声が、間を置くようにして、続けて言った。
[あなた達の今こうしている時間は、俗にいう『青春』というものなのではないでしょうか]
その通りだと思った。
「おお、たまには良いこと言うじゃん! そうだー、これが青春だぜー!」
[尤も、この青春の先にあなた方が欲しがっている、『彼女がいる未来』が存在する確率は極めて低いかもしれませんが]
……その通りだと思った。
「だから!!! 上げてから落とすようなところだけ人間っぽくなるんじゃねーって言ってんだろうがぁぁ!!」
俺の魂の叫びは、いよいよ自転車の限界速度に達しそうな風圧と共に溶けていった。
始まることもなく終わった恋路と、風になるように駆け下りたこの瞬間を、俺はきっと忘れることはないだろう。
風が気持ち良かった。
景色が良かった。
でも、都合が良い未来なんてものはなかった。
だけど、何より自由な気がしていた。
俺たちはまだ始まったばかり、子供と大人の間。
これは、AIと共に生きる時代の、それでも変わることのない馬鹿な青春を送る、とある大学生の物語である。
〜 Fin 〜
お読み頂きありがとうございました。