第14話 狭苦しい幸せ
体は一切の逆らいを許されることなく落ちていく。なんとか助かれと願えど、恐怖心が勝って何も実現化しない。体が空を切っていく音を最後に、僕の視界は真っ暗になった。
そして僕は座り込んでいた。この手と足が踏みしめていたのは、あの赤い大地。空なのか分からない真っ赤な空間が広がる世界。そう、亡霊の世界だ。僕がここにいるということは、僕はまさか死んだのだろうか。
『こっち』
「へ?」
僕の目の前に誰かが立っている。襟元が破けた緑色の軍服を着て仮面をつけた子供だ。おいでおいでと、手招きの仕草をしている。
そんな子供を見つめていると、右手の痕が強く輝きを放った。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ♪」
手を鳴らしながら子供は駆け出す。何が何だか分からないが、子供を追いかけることにした。本当になんとなくだ。でも、バケモノのような悪い気はしない。だから、何の恐れもなく追いかけ続けた。
そうして追いかけ続けること数分。はるか向こうに、光が見えた。まるで、子供が僕を導いているようだ。
「鬼さんこちら」
「待って! 君は……何者?」
「……あたしは」
子供は仮面を顔からズラした。美雪さんの家にある写真に写っていた、美雪さんの姉にそっくりだった。
「もしかして……!」
襟元が破けた軍服とその姿。間違いなく、美雪さんの姉だ。もしかして、僕を助けるために?
「……勘違いしないで。あの人みたいな、情けないヒーローじゃないって思っただけ。あなたには、あなたなりの強さがある。誰かの手を借りずとも、やり切ろうと一生懸命になる強さが」
「え?」
「ほら、もう行けるでしょう? あなたは迷い込んだだけ。早く出ていかないと本当に死ぬよ」
彼女は光の方を指差す。でもそれ以上は動こうとしない。動こうとする素振りもない。
「え、行かないの?」
「あたしはもう帰れないの。美雪には、よろしく伝えておいて」
納得はできないが、また会える気がする。根拠のない謎の思いが、僕の中で巻き起こった。
「うん。えっと、名前は?」
「花岬 優花。じゃあね、もう迷わないように」
小さく手を振ると、優花はそのままうっすらと消えてしまった。僕は小さく肩を落として息を整えると、光へと駆け抜けた。
そして光を抜け出すと、鼓動がドクンと大きく脈を打った。その衝撃で瞼が開く。眩しい照明の白い光が瞳を痛める。何重もの布団が僕の体を温める。
「えっと……?」
「おっ、やっと目覚めたか」
「あ、ランマルさん」
腰に手を当てて、ランマルさんが僕の様子を見に来てくれたようだ。
「お前、病院の8階から落ちたんだ。この俺がキャッチしたからどうにかなりましたけど」
「キャ、キャッチ⁉︎」
その反動でかなりの負荷がかかりそうなものを、この人ときたら何一つ怪我していない。
「あ〜、俺の異能力は『筋肉硬化』だ。ダイヤモンドくらい硬くなる」
「な、なるほど」
ダイヤモンドまで硬くなれるなら、事務官よりヒーローに向いているんじゃないかな。いや、でもこの人には痕がないなら納得できる。
「お前、落下中に気を失ったらしくて1日中寝てたんですよ」
「へ、1日中⁉︎」
あの世界にいたのはたった数分のはず。もしかして、あの世界とこの世界での時間の過ぎ方が違う?
いやいや、でも美雪さんと行ったときは時間に狂いは生じなかった。となると、僕はあっちの世界でも気を失っていた?
あー、だめだ。これ以上考えたら頭が痛くなりそうだ。
「とりあえず状況報告だけしておきます。ヒーロー名ドラゴンバース、本氏名山賀藁 虎龍。霊力消失に伴い、桜による戦闘は不可、および異能力消失に伴い、ヒーロー活動も不可と判断しました」
「……そう」
それを聞き、ドラバースに会えた嬉しさが雲隠れし、寂しさの雨が静かに降り出した。
「ですが、もちろん朗報も。本日より、ドラゴンバースは対亡霊迎撃部隊・帝都防衛華荘団色組の司令に任命されました。以上です」
「司令って……え、僕の指揮権は?」
「それは残ります。司令というのは、モスイ長官にあった権利の一部に他ありません」
え、司令が権利の一部って。どれだけの権力があるんだ、あの人1人に。
「司令権と指揮権と出撃権。この3つの権利を持ってましたね」
「あぁ〜……すごい」
「……タメ口で話して良いかな?」
「へ?」
「かなり苦しいんだわ、敬語で語るの」
「別に良いけど急すぎない?」
かなりの急カーブな話題の変更に、僕は思わず心に思ったことそのまま言ってしまった。
「仕方ないだろ? 俺様だって敬語とかクソダリィんだからよ」
「アッハッハ! 俺様って、ヤンキーみたい」
「あ? 元ヤンキーどころか元ヤーさんの俺様だが、文句あるか?」
「あ、いや文句ないです」
通りでイカつい顔だと思った。
関わっちゃいけないような界隈出身の人すらスカウトしてるって、一体どこにまで手を回しているんだモスイさんは。
「元ヤーさんは冗談だ。元軍人だ」
「あ、なんだ」
「モスイのやつが言ってた通りの純粋くんだな。詐欺とかに気をつけろよ?」
「そうですね。今回で流石に自覚しました」
モスイさんのときみたく疑うことなく信じちゃった。なんでもかんでもすぐに信じちゃうの、ダメなのかな。
「まっ、俺様の用事は終わりだ。どうするよ、まだ寝てるか?」
「あぁいや、起きる。ドラバースにも会いたいし」
「ドラゴンなら部屋の前で待ってんぜ。行ってやんな」
「はい!」
「ブワッ⁉︎」
僕は重い布団を簡単に投げ飛ばす。それはランマルさんを押し潰すほどの勢いだった。
でも気にすることなく部屋の扉を押し開けて飛び出す。青いソファの上で眠るドラバースの姿を見つける。僕は鳴り止まない鼓動を抑えきれず、耳元で大きな声を出した。
「ドワァッ⁉︎」
「アハハハハハハハ! ビックリした?」
「……コイツぅ!」
ドラバースは僕の肩を左腕で抱き寄せ、右手で僕のこめかみをグリグリする。
痛いけれど、嬉しくて。苦しいけれど、温かくて。狭苦しい幸せを、僕はただただ実感していた――。