47.君の名を呼ぶ
「私にとっては好都合でした。今のあなたの肉体は、私が求める完璧を作るための苗床です!」
「苗……床?」
「あなたは多くの命を孕むことになります。モンスター、悪魔、亜人種……昆虫や動物も試しましょう。勇者と魔王の力が、私の研究を新たなステージに導いてくれます!」
「――! そんな勝手に……」
アナリスは抵抗する。
しかし力は入らず、触手は徐々に服を食い破る。
「無駄です。それはあなた専用に作ったモンスターなのですから。拘束するだけではありませんよ? あなたが子供を孕むための準備もしてくれます」
(――嫌)
「驚いたよ! 魔王軍の幹部がこんなことして楽しむ変態だったなんて!」
(――怖い)
「ふふっ、そうですね。せっかくなら私の子も試してみましょう。いえ、最初は選ばせてあげましょう。誰の子供を孕みたいか、あなたが決めてください」
(――やめて)
アナリスは強気の姿勢を崩さない。
悪魔に対して弱さをみせることなど、勇者という肩書が許さない。
だが、彼女自身の心は繊細で、弱く、優しい。
彼女は勇者であり、一人の女の子でもある。
多くの者たちが忘れていることだ。
彼女が常に笑顔でいるのは、恐怖や不安を誤魔化すためだった。
人々の期待に応えるために。
辛く苦しくとも耐えられたのは、仲間たちの存在があったからである。
今、彼女は一人だった。
呪いにより肉体は弱体化し、触手にすら好き放題されて抵抗できない。
聖なる力も聖剣も取り出せず、この状況を切り抜ける術もなく、仲間もいない。
「十数えるうちに希望を言ってください。言わないのであれば、最初はそのモンスターにしましょう。人間と触手の子供……面白いものが生まれそうだ」
「随分と暢気だね? 十秒もあれば、みんながここへたどり着くよ」
「それはありえませんね。ここは私だけが知る特別な研究施設です。いかに彼らでも見つけることはできません。それより、驚きました。もう諦めたのですか?」
「え?」
「気づきませんか? 今、あなたは自身ではこの状況を覆せないと、敗北を認めたのですよ」
「――!」
無意識に、彼女は諦めてしまっていた。
自分だけで乗り越えることはできないと。
早く抜け出して、モンスターと戦っている仲間たちを助けに行きたい。
そんな気持ちすら抱けなくなるほどに、彼女の心は追い詰められていた。
「勇者も所詮、人の子だということですか」
「私は諦めてなんかない!」
「強がりですね。今のあなたの顔、ここに鏡がないのが残念です。とっても魅力的な顔をされていますよ」
「っ……」
恐怖や絶望は、勇者からはもっとも遠い感情……だとされている。
人類は思っている。
勇者は、かの英雄は、恐怖など知らないと。
まるでわかっていない。
彼らは、勇者が自分たちと同じ人間であることを忘れてしまっている。
アナリス自身、強さと仲間たちの存在が、恐怖を抑えているだけでしかなかったと、ここにきて思い知らされる。
「さぁ、カウントを始めましょう」
グラーノが十のカウントダウンを開始する。
数字がゼロになった瞬間、彼女は触手に侵されることになるだろう。
想像してしまう。
「八――」
「私を母親にしたって、へんてこなモンスターが生まれるだけかもしれないよ?」
恐怖する。
「七――」
「こんな方法思いつくなんて、さっすが変態だね!」
強がりが、徐々に崩れていく。
迫るカウントダウン。
蠢く触手になすすべもなく侵される自分を……想像してはならない。
だが、着実にその時は近づいていた。
アナリスの思考によくない考えが浮かぶ。
触手に初めてを奪われるくらいなら、まだ悪魔のほうがマシ……などと。
「三――」
もはや抵抗の声すら出せない。
逃げ出したい。
泣き喚きたい。
減っていく数字を聞きながら、彼女の心は勇者ではなくなり、その奥底から少女が顔を出す。
人は誰しも、絶望の淵に立たされた時、助けを求める。
もっとも信頼する人間を。
誰よりも会いたいと思う人の名を、叫ぶのだ。
「一――」
「助けて……ライカ」
アナリスの瞳から、涙が零れ落ちる。
「ゼ――」
「アナリス!」
「――!」
人々の悲鳴を、苦しむ声を。
彼らは決して聞き逃さない。
たとえ世界の端だろうと、絶対不可能な領域だろうと、あらゆる障害を突き抜けて、必ず救いの手を差し伸べる。
それが――
「迎えに来たぞ。アナリス」
「――ライカ!」
勇者パーティーである。
◆◆◆
「まだ終わりじゃねーよ。アナリスだ」
「そうね。チラッと見えたけど、やっぱりグラーノが絡んでいたのね」
「ああ……プラト、気配は辿れるか?」
「やってみる。少し待ってて」
エレンとエリンの活躍で、モンスターと化していた街の人々は解放された。
チラホラと意識を目覚めさせる者たちがいる。
本当なら手厚く保護したいところだが、今はそんなことをしている場合じゃなかった。
「ここの人たちのことは、他の冒険者に任せよう」
「そうだな。アナリスが優先だ」
「待て!」
「――! お前は……」
俺に声をかけてきたのは、助けた街の住人……ではなく、その中に紛れた冒険者の男だった。
そう、途中まで一緒に護衛をしていた彼だ。
呼吸を乱し、その瞳からは疑念が感じ取れる。
「無事だったか。よかったな」
「……なんで助けた? 殺せばよかったじゃねーか!」
彼は声を荒げる。
助けられたことがプライドを傷つけたか?
それとも……。
「お前一人を殺して他を助ける、なんて器用なことはできなかったよ」
「……」
「それに、俺たちが戦うのは、敵を倒すためじゃない」
「じゃあ、あんたらは何のために戦ってんだよ! 金のためか? 名誉のためか?」
「助けるためだよ」
きっと、アナリスならそう答えるだろう。
今ここに彼女はいない。
だから俺が彼女の代わりに答えた。
「助ける……なんの、ために?」
「理由なんて深く考えたことなかったな。だってそれが、俺たちの役割だったから」
そう、助けるのに理由を考える必要がなかった。
勇者パーティーにとって、困ってる人々を救うことは使命であり、当たり前のことだったからだ。
だけど今は、明確に違う。
彼女が攫われた。
助けたい。
助けなきゃいけない。
理由は考えずとも、ハッキリとわかる。
アナリスのことが大切だから。
仲間を想うこの気持ちだけは、使命や立場から生まれたものじゃない。






