46.囚われの勇者
十年前。
勇者と魔王の決戦は、勇者の勝利で幕を下ろした。
魔王は勇者によって倒され、人類に平和が訪れる。
長い未来、英雄として語り継がれる勇者は、さぞ幸福に満ちていただろう。
「とはならなかった! 勇者は呪いを受けてしまいました。魔王サタンが最期に残した悔い……それにやられてしまったわけです」
陽気な悪魔は高らかに語る。
昔話を。
「魔王の呪いは強力でした。いかに聖なる力に愛された勇者の肉体といえど、簡単に解呪することは叶いませんでした。そこで勇者は、仲間と協力し眠りにつくことにしました」
このままでは魔王の呪いに勇者の命が食いつくされてしまう。
全ての力を、意識を、呪いを抑えることに集中するために、生きるという機能の大半を停止させ、勇者は魔王の呪いと戦う道を選んだ。
眠りについている間は一人である。
周りに仲間がいようと、決して関わることはできない。
苦しくとも、辛くとも、目を開けて語り合うことは許されない。
何年、何十年後かわからぬ終わりを目指し、勇者は魔王と戦い続けていた。
「その戦いはまだ、終わっていません。そうでしょう? 勇者アナリス」
「――よく勉強しているね? 偉いと思うよ」
「これはこれは、勇者に褒めて頂けるなんて、光栄の限りです」
「そう? だったらこれ、解いてもらえないかな?」
アナリスは黒い触手によって四肢を拘束されていた。
触手からは特殊な粘液が放出され、アナリスの身体能力を著しく抑制している。
呪いによる弱体効果と相まって、触手を強引に引きちぎることは難しい状況だった。
加えてもっとも危機的状況なのは……。
(聖剣が取り出せない?)
「気がつきましたか? そのモンスターは、あなたを縛るためだけに生み出したものです。聖なる力を一時的に無力化できるんですよ」
「へぇー、そんなモンスターまで作れるんだね」
「ええ、当時は無理でしたが、時間をかけて準備し、研鑽を重ねた結果です」
「勤勉だなー。見習いたいくらいだよ」
余裕の軽口を叩くアナリスだが、内心では焦りを見せていた。
身動きがとれず、聖剣も取り出せない。
一人ではどう足掻いても、ここから脱出することはできなかった。
しかし焦りは自らの危機ではなく、戦地で分かれてしまった仲間たちの安否が気がかりだったからだ。
(みんな……無事でいてよね)
「さて、前置きはこれでに終了です。本題に入りましょうか」
「――! な、なに!」
拘束するだけだった触手が、うねうねと動き始める。
アナリスの手足を縛り、余った触手が首や太もも、胸の周囲を這いまわり、服の中へと侵入する。
「や、やめてっ! ん……」
「勇者アナリス、あなたは私の悲願をご存じでしたね?」
「……完璧な生命体を作る……とか言ってなかったかな?」
「正解です!」
狂気のグラーノ。
彼は悪魔の研究者だった。
魔導具や兵器の開発、モンスターの生成を得意し、その力と好奇心を魔王に買われて幹部入りを果たす。
しかし彼は魔王に忠誠を誓っていたわけではなかった。
彼が魔王の下についたのは、それがもっとも効率的で、自身の目的に近づくと考えたからである。
「私が魔王様に従っていたのも、全ては完璧な生命体を作るために必要だったからです。先にお伝えしましょう。私はあなた方を恨んではいません。魔王様を倒したこと、仲間たちを殺したこと、何の恨みも抱いていません」
「そう、だろうね! 自分の部下もモンスターにしちゃうくらいだから!」
「ええ、どうでもいいんですよ。私以外がどうなろうと、いいえ、私自身目的を達成できるならばどうなろうと構わない。ただ、私の全てを捧げたとしても、完璧には遠い……そこで考えました」
グラーノは語り部口調で続ける。
この間にもアナリスは蠢く触手に抵抗し続けていた。
「この世で最も、完璧に近い存在は何なのか……そして見つけました。誰だと思いますか?」
「さぁね? いるのかな? そんなの」
「あなたですよ。勇者アナリス」
「――! 私?」
「そう。正確には勇者と魔王こそが、この世で完璧に近い存在だと私は考えました」
人類の希望、勇者。
悪魔たちの絶対支配者、魔王。
それぞれの頂点にして唯一無二の存在。
代わりは存在せず、たったひとりの有無が世界の命運を分ける。
グラーノは彼らこそが、完璧へ至るためのヒントであると考えた。
「そんな完璧の二人が今、一つの身体に宿っている!」
「……」
「気づいているのでしょう? あなたの中に、魔王様の意思が、力が宿っていることに」
魔王が最期に見せた呪いとは、自身の魂を解放し、新たな肉体へと乗り移る。
いわば転生の儀式でもあった。
勇者に敗れた魔王は、崩壊する肉体から魂を切り取り、新たな肉体を求めて彼らに襲いかかった。
そうして魔王の新たな依代に選ばれてしまったのは、宿敵である勇者だった。
「魔王様にとっては大誤算だったでしょう! 勇者の肉体では、魔王様の力は抑制されてしまいますからね。だから魔王様は必死に、その肉体を奪おうとしている。今も尚……そうでしょう?」
「……」
図星だった。
これは彼女自身しかしらない。
仲間たちを不安にさせないように、人類の平穏を維持するために。
彼女は一人、魔王と戦い続けている。






