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2.本日は7月23日木曜日です

書いてたら思ったより長くなってしまいました。

「おはようございます、今日は7月23日木曜日です」

 今日もまた優しい声で夢から覚める、いや……できればこっちが夢であってほしかった。

一週間前、目を覚ますと知らない綺麗な女性が部屋の中にいて、心臓が止まるんじゃないかってくらい驚いた、辺りを見渡すと昨日までとはまるで違う部屋で、意味不明すぎてパニック寸前だったが、突然女性の持っている鞄から鳴りだした着信音で思考がストップする。


「はい、もー……そう思っているならですね……」

 電話越しの誰かに怒っているようにも見えるが、時折こちらを向いて綺麗な笑顔になるその人にいつの間にか見惚れていた。

「近くに来たらまた連絡してください、家の鍵を開けるの」

 そう言って電話が終わるとその人はこちらに歩み寄ってきた。

「驚かせてごめんなさい、私の名前は結月ゆかり、貴方の……なんて言ったらいいんでしょう」

 結月ゆかりという名前の女性は、ごそごそと鞄を明後日メモ帳を取り出すと楽しそうに私に話しかけてくる。

「とりあえず私も現状を把握したいので、お名前をこちらに書いてください、あと年齢を、思い出せないとかあれば言ってください」

「えっ……あ、はい」

 突然紙をペンを渡されてニッコリと笑顔もサービスされた、いやいや話の流れが全く分からない、この人もなぜこんな状態なのか分かっていない様子だし、でもさっき家の鍵とか言ってたからここはこの人の家ってことだし、もしかして拉致とか監禁されてる?


「あの……」

「はい、なんでしょう、もしかしてお名前も忘れてしまいましたか? それでしたら年齢だけで大丈夫ですよ、それもわからない場合はそのままでも大丈夫です、あくまでそこに書いてもらうのは、『今、貴方は自分のことをどれだけ覚えているか』を確認するためのものですので」

 私のことを私がどれだけ覚えているか? 少し頭を傾けて考える、自分のことや記憶に関して特に欠落していることはない、昨日食べた朝ごはんや一年前の出来事だって覚えている、なのにまるで私が何も覚えてないんじゃないかという想定で話が進んでいる。

「結月……さん? は僕のことを知っているのですか?」

「はい、ですが今の貴方について私が知っているのは貴方のお名前だけです、ですので円滑なコミュニケーションのために貴方のことを教えてください」

 この人は私のことを知っているみたいだが、私は全くの初対面……それに『今の私?』って言い方が妙に引っかかる。


「なにも書かなかったらどうなるの?」

「このあと怖い先生に痛い注射とか頭がくらくらする飲み物とかを無理やり飲まされます」

 可愛いジェスチャーとは真逆の言葉に少し引いてしまうが、冗談ですと笑われた。

「そうですね……できれば年齢だけでも教えてもらえると私も貴方に話せることが増えます、目覚めたときの反応や言葉遣い的に30歳以上ってこともありませんし、ある程度こちらでも予測できますが、正確であればあるほど私としては貴方とお喋りできることが増えるので嬉しいんですよね、それに貴方自身自分の身体に違和感があるのでは?」

 そう言って結月さんは鏡に向かって指をさして私にそれを見るように促した。

「ん……?」

 鏡に映る姿は紛れもなく自分の姿なのだが、所々に違和感がある、髪の毛の長さ・腕周りや腰から太ももといった身体周りの太さが妙に昨日までの自分と違う、だが目つきや鼻の高さ、口元や歯並びほくろの位置は紛れもなく自分の記憶通りだった。

「自分の名前と年齢以外にも確認事項はその紙にあるので、書いてもらっても大丈夫です、もちろん個人情報がどこかに出回ることはありません、確認が終わったら多分燃やされるか粉々のゴミになってます、正直先程も言いましたけど、私たちは今の貴方について何も知りません、ですので少しだけでもいいので教えてください」

 つい聞きほれてしまい、いいように言いくるめられてしまいそうになるが、目の前の女性は綺麗で誠実そうで言葉の節々に優しさがある気がした、まるで昔からそばにいたかのような錯覚さえ生まれてしまいそうになる。

「わかりました……でもこれが終わったら僕にも色々聞きたいことがあるので」

「言えることならなんなりと、お互いのためですし」


 自分の名前、年齢・身長体重・学歴・バイト先・家族構成、まるでこうなることを予期していたかのようにその紙に書いてある確認事項の項目は細かくて、少し怖くて所々書くのをためらいそうになる。

「あの、この枠の下なんですけど」

「あ、そこは先生が書くところですね」

 太枠の下に日付と名前を書く欄があったが、ここは別の人が書くところらしい、多分先生と呼ばれていた人だと思う。

「今日って何月何日ですか?」

「はい、今日は7月16日です、カレンダーはあちらにあるので、確認もできますよ」

 どうやら数日眠らされてたりとかではないらしい、昨日からまだ一日しか経っていない、昨日はコンビニで毎週楽しみにしている雑誌を買ったのも覚えているし、今日も買わなくちゃいけない雑誌が二つもある、こんな状況なのに先週の雑誌の続きが気になってしまう自分に少し笑ってしまう。

「あー……そのカレンダー、先生のお知り合いの会社からいただくんですけど、いつも西暦も年号もないから替えてくださいって言ってるのに、いつまでたっても変えてくれないんですよね、ちなみに今は2015年で平成は27年です」


「え?」

「あっ……ごめんなさい、今のは聞かなかったことに」

 2015年? 2009年じゃなくて? でも同じ曜日で……え?

 意味の分からない言葉を脳が拒絶している、ふらふらと元居た場所に戻るとまたさっきと同じ着信音が鳴り響く。

「はい、わかりました、少々お待ちください」

 目の前の女性は電話を切ると申し訳なさそうに紙とペンを回収して部屋から出て行った、改めて辺りを見渡すと窓一つない青を基調にした空間、出入り口はあの扉ひとつ、近くにはあまり本が配置されていない本棚、見たことのない機械が置かれた机、天井は数メートルはあるだろう、手を伸ばしたところで全く届かない。

「どうやら余計なことをゆかりちゃんが口走ったようだね、パニック障害寸前な表情をしているよ」

「……どうしてここに?」

 まったく見覚えのない空間の中で一人、かすかに記憶の中の存在である人物が目の前にいた、その人は確かに先生と呼ばれ、私もそう呼ぶ人の一人だった。

「ゆっくり呼吸をするんだ、大丈夫……とりあえず落ち着いてくれ、ここは君の思うような場所じゃないし君に危害が加わることはない、ただちょっと退屈な時間を彼女と過ごしてもらうだけの空間なんだ」

 とめどなく鳴り響く心臓の鼓動と、重くのしかかって割れんばかりの頭痛でどうにかなりそうな頭を両手で支える、空間がまるで歪んでいるように見える……こんな状態でどうやって落ち着けと。


 覚えているのはそこまでで次に目を覚ますとまた同じ空間だった。

「おはようござ……いや、もう夜なので意味はないですね、今日は7月16日木曜日です」

 あれは夢じゃなかったらしい、あの時と同じ優しい声が耳に入って確認した。

「こちらにお名前と答えられる範囲で大丈夫ですので確認事項にご記入ください」

「えっ……それはさっき書いたはずじゃ……」

 そう言うと目の前の女性は目を丸くして驚いた様子で出した両手を引っ込めた。

「もしかして、朝のことを覚えてます?」

「……はい、結月ゆかりさん、ですよね?」

 名前を呼ぶと今にも泣きだしそうな表情で部屋を飛び出していったその女性と入れ替わるように先生が入ってきた。

「資料は確認したよ、おはよう……少年」

「その呼び方はやめてください……漫画やアニメの見すぎです」

「あはは、君が勧めてくれたんじゃないか、でも、こういうのが好きなんだろ?」

 からかってくる感じが昔と変わらないが、やっぱりどこか違和感がある。

「先生、説明してもらっていいですか? この状況を」

「そうだね……その顔つきなら大丈夫そうか、今は2015年、君がいた2009年から6年ほど先の世界なんだよ、あとその身体は君から見て未来の君の姿だ、身長は5センチほど伸びて体重は10キロ違うんだけど、パッと見じゃそこまで違いが分からないよね」

「2015年……ん? 身長も体重も変化してるってことは6年間寝た切りとかじゃなくて普通に生活していたんですか?」

「あんまり詳しいことは言えないけど、別に2009年に交通事故にあったとか、突然不治の病にかかってとかじゃない、ただ2009年の少年の精神が2015年に来ちゃっただけなんだ」


 それから私は先生に質問を繰り返した、とりあえず私は何不幸なく2015年まで生きてきたが、つい数週間あたりから異変が起こり始め、初期症状は物忘れが激しいことから始まり、次第に知らないはずの記憶を持っていたり、知らない人を自分の友人だと言ったりと様々な症状が出た結果、ある日を境に全くの別人になってしまった、そのほとんどが自身の置かれている状態を理解できずにパニックになり気を失い、数日目を覚まさないといったことばかりで、まともに会話できたのは今の自分が初めてだとか。

「だから、最初に名前と年齢を聞かれるんですね、でもどうして紙に書かせるんですか?」

「それは……彼女がお喋りが好きでついつい言わなくてもいいことを言ってしまうから、マニュアルを作ったんだよ、こうするべきだってね」

「めっちゃ怖かったですよ……最初に目に映るのが結月さん?じゃなかったら誘拐とかそういうレベルじゃないかって思いますよ普通」

 一瞬だけ先生の顔がなんとも言えない表情になる、どこか私の発言に変なところがありでもしたんだろうか。

「可愛いでしょ、彼女」

「えっ……いや、そういうんじゃなくてですね」

 慌てる私を見てニヤニヤする先生は6年経っているらしいが全然変わっていなかった、本当に性格がよくていろんなことが見えすぎている。

「まぁ色々あって少年はあんまり自由に行動できないんだ、だから彼女……いや、ゆかりちゃんとは仲良くしてあげて欲しい、身の回りのことはゆかりちゃんに聞いてくれると助かるよ、私も忙しいからね」

 頼りになれそうなのが今のところ先生だけだから……ってそういえば。

「僕の両親は……」

「すまないね、その質問には答えることはできないんだ」

 先生がギュッと私を抱き寄せる、つまり……そういうことなんだと理解した、そうだよね……はたから見たら気が狂ったようにしか見えないし、話を聞いている自分でさえ理解できる気がしない、そんなに仲は良くなかったしこの先の6年間も修復することはなかったんだろう。


「あの……せんせぇ……」

 ゆっくりと扉が開いて結月さんが申し訳なさそうにこちらを覗いていた、最初に会った時の冷たい心の距離のようなものはなく、少し目元が赤くなったままの姿を見てつい目をそらしてしまった。

「それじゃあ、あとはよろしくね、ゆかりちゃん」

「はい……それで、君のことはなんて呼べば」

「僕? 普通に名前でいいと思うけど」

「少年?」

「え、少年? え?」

 混乱した結月さんは私と先生を交互に見て慌てふためいていた。

「はぁ……先生のそういうところですよ、患者を名前で呼ばないのは変わってないんですね、わかりました……少年でも僕でも君でも好きなように呼んでください」

「好きに呼んでいいんだと」

 ニヤニヤしながら結月さんをからかう先生を見て、ふとあることを考える……結月さんは私の名前を初めて会った時から知っていて……でも私は知らないってことは。


「もしかして僕って、結月さんのことゆかりって呼んでたりしてました……?」

「察しがいいのは昔から変わらないね、それじゃあ後は若いものに任せて先生はお暇させてもらうよ」

「あっ、ちょっと!」

 部屋から出て行こうとする先生を追いかけようとすると、服をギュッと掴まれてその場で制止させられた。

「多分追いかけても外には出られないので……ごめんなさい」

「あっ……そうか」

 シーンとした空気が部屋を冷たくする、服を掴まれた手がいつまでたっても離れないせいで互いに顔を見ることもできない。

「結月さん……?」

「あっ……はい!」

 勇気を振り絞って名前を呼ぶと手が離れて代わりに背中に結月さんの腕と肩が当たる。

「これから……よろしくお願いします、色々迷惑をおかけするかもしれませんが」

「私の方こそ、先程はごめんなさい、それと……もう少しだけこうしてもいいですか?」

 私の返事を聞くまでもなく、少しの間だけ身体を寄せ合った、こんなに綺麗な女性とこんな至近距離でいることなんてなかったから、心臓の音がこんなにも響くなんて知らなかった。

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