表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少女と怪異についての掌編集  作者: 柊秘密子
1/43

ひばり

 昔、祖母から聞いた話がある。

 一族の男がある一定の年齢を迎えると、とても美しい……この世のものとは思えないほどの美貌の少女が現れる。少女はきっと、わたしをたべて、と乞うだろう。少女は、自分の血肉を分け与えたくてどんなことでもする。けれども、決して食べてはいけない。少女が現れてから何もすることなく、ひと月待ちなさい。

 その時、全てが元通りになる。と。


 僕の元へ件の少女が現れたのは、27の春のことだ。

 社会人として落ち着き始めたものの、忙しい日々もあってか大学時代から付き合っていた恋人との仲は少しずつ冷め始め、孤独感と共に自分のありようについて、深く考え始めた時期であった。

 朝目が覚めると、現代日本ではなかなか見ることはないだろう、シミひとつない色鮮やかな銘仙の着物を身に纏い、長く豊かな髪を三つ編みにまとめた可憐な……とても美しい少女がいた。少女はどこへ行くにもついて周り、僕以外は触れられず、その存在は周りから見えることはない。

 そして目が合うとにっこりと無垢な天使のような笑みを浮かべて僕を見つめ、甘やかな声で、わたしをたべて、と乞うのだ。

 ああ、これか。と僕は察した。

 ひと月待てば勝手に少女は消えてしまう。それまで待てばいい……簡単なことだ。


 少女を無視し、一週間経った晩、これくらいは大丈夫だろうと僕は少女と関係を持った。恋人に相手にされない寂しさと欲求、自分を欲してくれる彼女の美しさに若い僕は耐えられなかったのだ。

 少女は僕の言う事はどんな事でも聞き、どんな事でも恍惚とし、些細なことでも快感を得て悦びを感じた。まるで半身であるかのように彼女の肉体は心地よく、次第に彼女もそうした快感を求めるようになり、痴態は過激さを増していき、時と場所すらも選ばないこともあった。

 ことが終わったあと、何者なのか、その肉を食べれば何が起こるのか彼女に訊いたことがある。

 少女は快感に熱った頬をそのままに、潤んだ瞳に影を落とすように長いまつ毛を伏せ、怒りや悲しみで桜色の唇を震わせる。

 「わたしは鬼です。かつては神の使いでした。あなたの祖先が富と引き換えにわたしと結婚の契りを交わしたけれど、その約束を違えたのです。名前は…あなたの祖先はひばりと、そう呼んでおりました。……わたしは約束を果たして欲しいだけ。あなたが死ぬことはありません。けっして。」

 僕は、とたんに彼女が哀れに思えた。

 その日から、僕は彼女が消えてしまう数週間の間、少しでも怨みつらみが薄れるよう、話しかけて親しくなろうと試みた。

 毎日快感を求めるだけの行為から、恋人にするような愛情を交換するような……愛しむようなものへ変え、好きな食べ物や物事を聞き、時には現代の少女が好きそうな服や化粧品や、可愛らしく甘いお菓子を見て回った事もあった。

 しかし、それと同時に悪夢のように会社はクビになり、恋人からは別れを告げられ、しまいには友人が勝手に借金を押し付け、僕は全ての財産を失くした。

 今考えれば、これは全て少女の仕業なのだろう。

 けれども、その時の僕は目の前の、僕にしか見えない少女を愛し、信頼し、依存していた。

 彼女はつらい、苦しいと泣く僕を細い腕で胸に抱き、まるで聖母のようにだいじょうぶ、と囁く。そして誘われるまま少女とまた夜を共にし疲れて眠る。そんな毎日を過ごしていたある日、少女はいつもと同じように僕を抱き寄せて口を開いた。

 「お辛いのなら、わたしをたべてくださればいいのに。そしたら、わたしと永遠にいっしょにいられますよ。あなたは、わたしを置いてゆかないと信じておりますもの」

 猫のように囁く声に、我慢ができなかった。

 孤独に耐えかねたのかもしれないし、彼女への愛情がそうさせたのかもしれない。僕は恐る恐る大きく口をあけ、着物の衿を開くと柔らかな胸へ歯を立て少女をかじった。

 それは甘く柔らかく、お菓子のような食感だった。


 その日から、少女は姿を消した。

 悪夢の日々が嘘だったかのように、何もかもがまた通りになり……いや、以前よりずっと豊かで幸福になっていった。僕は結婚をし、子どもも孫も産まれている。

 しかし、前と変わったことがある。少女が消えてから左手の薬指と小指が少しずつ腐り、しまいには千切れてしまったのだ。医者に聞いても理由は分からない。

 そしてもうひとつ。ずっと、少女の声がするのだ。延々と、眠っている間も……食事をしている時も、ずっと。


 たべて、ひとを食べて、わたしといっしょに、鬼になりましょう。愛しいあなた。あいしているわ。あいしているわ。


 僕はまだあの甘く柔らかな肉の味が忘れられずにいる。

 彼女のそれには到底及ばないだろうが、今夜は昨年娶った若い……6人目の妻をたべることにしよう。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ