古典落語に見る隠れ酒のスリルと背徳感
本エッセイには、飲酒運転や未成年飲酒といった反社会的行為を推奨する意図は御座いません。
お酒は二十歳になってから。
健康の妨げにならない飲み方で、楽しくお召し上がり頂ければ幸いです。
【枕】そもそも隠れ酒とは?
登場人物が美味しそうにお酒を召し上がる落語は沢山ありますが、その中でも、人目を忍んで飲む「隠れ酒」は一際美味しそうに感じられるんですね。
‐二十歳になるまでお酒は飲まなかった。
そんな品行方正な皆様方も、平日が休みの時に朝から御酒を召し上がった事は御有りかと思います。
或いは、平日に休暇を取得して旅館で朝に一杯という事も。
そんな時、「今頃、他の人達は通勤や通学をしているんだよなぁ。」という気持ちに駆られた事は御座いませんでしょうか。
そうした些細な背徳感と優越感こそ、隠れ酒の醍醐味なのでしょうね。
今回のエッセイでは、そんな隠れ酒の登場する古典落語を三席紹介させて頂きたいと思います。
【前座】 「禁酒番屋」
〈あらすじ〉
酒癖の悪い藩士達の引き起こすトラブルの多さに業を煮やした殿様が取った解決手段は、藩士達への禁酒令と、武家屋敷の門に設けられた番屋での検問でした。
しかしながら、禁じられると余計に思いが募るのは人の性ですね。
ある酒好きの侍など、武家屋敷への酒の密入を馴染みの酒屋に要請する始末。
果たして酒屋の人々は、番屋の厳しい検問を掻い潜り、無事に酒を届けられるのか?
カステラの箱に酒瓶を詰めたり、油徳利にお酒を移し替えたり。
何とかして武家屋敷へ酒を持ち込もうとする酒屋の試行錯誤が、実に面白い一席です。
特にカステラの箱に隠した徳利が発見された時の「新しく発売された水カステラです。」という苦し紛れの言い訳は、今日の税関検査における珍騒動にも通じる所がありますね。
そしてその度に、見張り番に発見されて飲まれちゃうんですよ。
そのため、お酒を注文した侍本人は隠れ酒に失敗しているのですが、代わりに見張り番の侍が「役目の手前で取り調べる」と称してお酒を飲んでいるので、このエッセイに取り上げました。
最初は厳格だった見張り番が、押収した酒を飲んでいくうちに酔いが回ってきて、三度目の取り調べの辺りでは完全に出来上がっているのも、この噺の見所と言えるでしょう。
見張り番の侍達も、「取り調べ」の大義の下で大っぴらに御禁制の飲酒が出来たのですから、さぞ美味しかった事でしょうね。
彼らが「御禁制の酒を飲んでいる」という背徳感を抱いていたかは定かではありませんが、飲酒の出来る喜びを抱いていた事は確かのようです。
何せ酒屋が三度目に訪れた際には、徳利の中身がほのかに温かいのを、「用意の良い事に、燗をしている」と喜んでいたのですから。
【二つ目】 「蒟蒻問答」
〈あらすじ〉
江戸でしくじって兄貴分の田舎に転がり込んだ末、禅寺の和尚をやる羽目になったヤクザ者。
弁正という僧籍を得たヤクザ者は、寺男の権助と一緒に放蕩無頼の毎日を送るのですが、旅の僧侶が禅問答を挑みに来た事で、この楽しい破戒僧生活も風向きが変わってきます。
なにせ禅問答に負けたら、金棒で頭を殴られた挙げ句、寺を追い出されてしまうのですから。
追い詰められた弁正和尚は、今は蒟蒻屋として堅気になった兄貴分の助けを借りるのですが、当然ながら兄貴分も禅問答を知りません。
果たして彼らは旅の僧侶を迎え撃てるのか?
仏の教えも知らなければ、御経も読めない。
そんな破戒僧のデタラメな寺院経営が、全編に渡って面白い一席です。
当然のように、不飲酒戒も何処吹く風。
寺男の権助をお供に、泥鰌鍋を肴に本堂で一杯やっちゃいました。
さすがに酒だの泥鰌だのと大っぴらに言うのはまずいので、酒は般若湯、泥鰌は踊り子という具合に隠語で呼び替えていましたが、この隠語がなかなかに面白いんですよね。
特に「中に黄身=君が入っているから」という理由で、卵を「御所車」と呼び替えているのは、洒落が効いていますよ。
また、こうした隠語が伝わっているという事は、肉食や飲酒が禁じられている宗派のお坊さんにも、キチンと抜け道は用意されているという事ですね。
俗人には分からない隠語を使いながら晩酌の肴を考える時は、背徳感も手伝ってスリリングな愉しさを味わえた事でしょう。
もっとも、ヤクザ者上がりの破戒僧な弁正にとっては、背徳感など無縁の物なのでしょうね。
【真打ち】 二番煎じ
〈あらすじ〉
防火の夜回りで冷えた身体を暖めるため、番太小屋で猪鍋を肴に酒を呑み始めた旦那衆。
そこを見廻りに来た同心に見咎められ、「酒ではなくて煎じ薬です。」と誤魔化すのだが…
個人的には、この「二番煎じ」における隠れ酒が、私としては一番親近感が抱けましたね。
前述した「禁酒番屋」は武家屋敷の侍の隠れ酒で、「蒟蒻問答」は破戒僧の隠れ酒でしたが、こちらは町の旦那衆という普通の人達による隠れ酒なのですから。
気心の知れた顔見知り同士による隠れ酒のスリルに満ちた楽しさは、先生の見廻りに気を使いながら開催する修学旅行での秘密宴会に通じる物がありますね。
また、真意を知りながらも旦那衆の言い訳に乗っかって、「拙者も風邪気味だから煎じ薬を所望する」と言ってお酒をガブガブと飲んでしまう見廻り同心も、いい味出しています。
勤務中に役得で飲酒する点では「禁酒番屋」の見張り番に通じる所がありますが、こちらの見廻り同心の方が大らかな余裕があって好感が持てますね。
【サゲ】 落語の隠れ酒に見る人間心理
以上三席の落語における隠れ酒の場面を紹介させて頂きましたが、いかがだったでしょうか。
主君から禁止令が出されたとしても、禁飲酒戒がある仏門に入っても、「飲みたい」という気持ちは変わらない。
むしろ、「飲んではいけない」と禁じられるからこそ、余計に飲みたくなるのは人情でしょうね。
そうして人目を忍んで飲むお酒は、「禁忌を犯した」という背徳感と、「見つかったらどうしよう」というスリルがあって、普通に飲むお酒よりも美味しいのかも知れません。
飲酒ではないのですが、私が中学の時に行ったスキー合宿で、規定金額以上のお菓子を大量に持ち込み、宿の寝室でお菓子パーティーをしていた同級生がいたんですよ。
案の定というべきか、先生に見つかって緊急の学年集会で叱責されていました。
当時の私は「見つかったら先生に怒られるのは分かりきっているのに、何でわざわざルール違反をやるんだろう?」と疑問に感じていたのですが、あの同級生達も背徳感とスリルを肴にお菓子を楽しんでいたのでしょうね。
しかしながら、未成年の方や持病でお医者さんから飲酒を禁じられている方、そして自動車やバイク等を運転する予定のある方は、決して隠れ酒をやらないで下さいよ。
怒られるだけじゃ済まない事になってしまいますからね。
古人曰く、「酒は飲んでも飲まれるな」。
健康の妨げにならない飲み方で、楽しくお召し上がり頂ければ幸いです。
※ こちらの素敵なFAは、黒森 冬炎様より頂きました。