摩天楼撮影
私は鉄道が趣味だった。撮るのも乗るのも幼いころから好きだった。社会人になって生活に余裕ができると、日本全国を飛び回り車両の姿をカメラに収めるようになった。
四十を過ぎた今、私にはある夢ができた。それは非日常の環境にある、誰も見たことのないような状況の車両を撮影することだ。先日テレビで報道された、大雨による増水で水没したE7系、W7系の姿が目に焼き付いて離れなかった。それがこの夢を抱くきっかけだった。
夢をかなえるにせよ、災害現場の車両をとらえるのはマスメディアでもなければ困難だろう。撮り鉄のイメージも悪くなる。
次の案として何らかの自然現象と共に撮影することを考えた。しかし、運要素が強すぎる。努力でどうにかなるものではないからチャンスがあれば、ということになった。
行き詰まったそのとき、私が注目したのは都市伝説上の駅、いわゆる異界駅だった。異界駅ならば、全く新しい列車の顔を撮影できるはずだ。
そんなわけで、私は東海道線の夜行列車に乗り込んでいた。異界駅の有名どころとして真っ先に名が挙がるのはきさらぎ駅だが、うっかり迷い込んだ場合に危険すぎる。なので今回探す異界駅は『月の宮駅』だ。
月の宮駅は名古屋駅に似ているというが、雰囲気は薄暗いそうだ。駅構内には、真っ黒で細い人間のような存在がいるらしい。そして何より、高さ三百メートルを超す摩天楼が駅周辺にそびえたっているという。月の宮駅で撮影が出来たらどれほど幻想的な光景になるだろうか!
もちろん、盲目的に月の宮駅にたどり着けると信じているわけではない。遭遇に条件があるのかもしれないし、そもそもいたずらで流布された噂の可能性もある。でも夢をかなえられる可能性があるのなら、少しチャレンジしてみてもいいだろう。
今夜の目標は、月の宮駅の存在を確かめるまでだ。駅に降りる方法は見つかってから考える。
私は横になり、窓の外を眺めた。徹夜する用意は万端だ。私は愛飲しているエナジードリンクをぐびっと飲みほした。
丑三つ時のことだった。いつの間にか、列車がビル群の中を走っていた。記憶に間違いがなければ、この時間帯に目の前に広がるのは田園であるはずだ。
まさか月の宮駅!
私は食い入るように風景を凝視した。空がうっすら紫色に染まっていた。ビルの最上階は霧に包まれて確認ができない。摩天楼と形容して差し支えない。
通り過ぎる駅を決して見逃してはならない。口が乾いていくのを感じた。
私が見たのは『月の宮駅』の駅名と、カメラと三脚の群れだった。
瞬間、フラッシュが焚かれ一時的に視力が失われる。視力が戻ったときには摩天楼は影も形もなく、田園風景が広がるだけだった。
参考:朝里樹・2019・『日本現代怪異事典』・笠間書院・P.241 月の宮駅