太古の動物
『――火を使うことにより、ホモサピエンスが地球上での一大勢力となったのだ』
わたしは資料館で借りた歴史板を放り投げた。いつもならば寝ている頃合いだった。ただ、友人のファツラから聞かされた与太話が妙に気にかかり眠れなかったのだ。
「遥か昔のことだ。地球上にそれはもう奇妙な姿をした動物がいたらしい。だが現在その動物は存在しない。なぜならおれらのご先祖さんが根絶やしにしちまったからだ。その動物の最後の一匹は死ぬ間際に『絶対に殺してやる』と言い残したらしい。んでよお、この話を聞いた奴は、夢に現れたこの動物に想像もつかないような恐怖を味わわされるんだそうだ。お前も頭をおかしくされないように気をつけろよ」
話を知らないことが一番の対処法だったのに、どう気をつけろというのか。しかし太古の動物とはどのような姿をしているのだろうか。興味はある。祖先が打ち勝ったというなら自分に勝てぬ道理はない。過剰に恐れる必要はないのではないか。
わたしはだんだん強気になってきた。太古に存在したという動物が復讐しにきても、返り討ちにして魚の餌にしてやればいいのだ。
安心したわたしは睡魔に任せ、意識を手放した。
意識が覚醒する。しかし奇妙なことに光が無かった。目に力を籠めると、ゆっくりと明かりが入ってきた。これが目を開くという行為だろうか。目が慣れると、わたしは白い部屋に寝かされていることに気が付いた。しかし体が動かない。口周りは透明な半円状の物体でおおわれており、そこから管が伸びてどこかへつながっていた。すると突然、奇妙な動物がわたしを覗き込んだ。湿った球体がギョロリとこちらを向いた。顔の中央が出っ張っており、二つの深淵がぽっかりと開いている。頭頂部から毛がだらりと垂れている。対して薄橙の肌には血管が薄っすら透けて見えていたので、この動物はこんな肉体でよく生きていられるなと感心してしまった。動物は口をパクパクと動かして何やらこちらに語りかけているように思える。何も聞こえない。動物の眼球が潤み、体液がしたたり落ちた。嫌な感じだった。
不意に、逃れようのない睡魔がわたしを襲った。まぶたが落ちる。閉じれば何かが終わる気がした。動物はわたしを激しく揺らした。動物の行動が予測できない。それ以後は、わたしの腹部に顔を埋め、くぐもった音で鳴き声をあげていたようだった。
そしてわたしから光が消えた。
意識の覚醒と同時に光を認識した。目覚めると同時にわたしは自分の尾を掴んだ。エラで何度も深呼吸をした。全身が震えていた。脳内に歴史板の一節が響いていた。
「――火を使うことにより、ホモサピエンスが地球上での一大勢力となったのだ」
今現在地球上を支配する種族に、老衰の概念と現実から目を逸らすためのまぶたは無かった。
参考:朝里樹・2019・『日本現代怪異事典』・笠間書院・P.225 太古の動物