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緑の冠  作者: 黒木露火
2/2

番外編 竜と虎と、赤い花

 夏の宵は良いものだ。

 例えそれが人工的に作られたものだったとしても。



 食べ物系のイベントに弱いユージンに連れられて、七月末の夜、トーマスとクリスは近場の鰻屋に出かけた。

 彼らの住むカトは日系人が大半を占め、日本独特の風習や行事が行われることも多い。毎年この時期は、ウナギ・キャンペーンに乗せられた人々が鰻屋に参じる。

 本物の備長炭で焼き上げた鰻は美味いのだが、炭火を使うため火災リスク管理費と酸素使用税が加算されていて、はっきりいって高い。にもかかわらず店は盛況で、席順待ちの人々が薄暗い歩道にまであふれていた。中には涼しげな浴衣姿の客もいて、エキゾチックな夏の夜の雰囲気は悪くない。

 和風の小物で飾られた店内を物珍しげに眺めていたクリスも、出てきた鰻丼一人前を完食した。細かった食も人並みになり、半年で身長も体重も増えた。

 食事のあと精算を終えたユージンが店の外に出ると、既に店を出ていたトーマスとクリスが少し先の道の途中で立ち止まっている。

 視線の先には電子掲示板。近づくと、市の南区主催の夏祭りの告知ポスターが光っていた。三十秒ごとに映像が変わっていく。花火や浴衣の家族連れのイメージ映像が目を引いた。

「夏祭りか。毎年やってるよな。君は行ったことあっただろ?」

「ええ、何度か」

 近づくユージンに気づいて、トーマスは振り向いた。クリスは熱心にポスターを眺めている。

「来週だな。行ってみたいか?」

 はっと気づいたようにユージンを見上げたクリスは、考え込むようにうつむいた。



 ユージンの認識では、子どもといういきものはよくしゃべる。

 最初は人見知りをして親の後ろに隠れていても、しばらく時間が経てばいつの間にか隣に座っている。そして、自分の好きなもの、嫌いなもの、学校や幼稚園でのささいなできごと、家族の――つまりユージンの友だちである父親や母親の家庭での様子などをマシンガンのように暴露するのだ。

 世の中には根っから無口な性質の子どももいるのかもしれないが、とりあえずお目にかかったことはない。それはつまり、彼の友人たちが子どもたちとよく話し、子どもたちの話をよく聞いていることに他ならないということだろう。

 クリスが無口なのは、生来の性質のせいではないようにユージンには思えた。彼らと一緒に暮らすようになった当初、言いかけては口を閉ざすことが多かったからだ。何か言うたびにうるさいと怒られていたのかもしれない。

 その続きをいちいち促すトーマスの律儀さとねばり強さにあきれつつも感謝しているうちに、クリスが猫屋敷に来てから半年が過ぎていた。

 四月からはGATEコースのある学校に編入し、同じような年齢で知的レベルの高い子どもたちと一緒に学んでいる。学校は楽しいらしく、「クラスの誰がどうした」という他愛のない話も自分からするようになった。

――まだ遠慮があるのか。それとも信頼されてないだけか。

 人工的に作られた薄闇に紛れてユージンが苦笑していると、クリスはやっと、ためらいがちに頷いた。

「そうか……」

 とはいえ、人混みが嫌いなユージンは、こういうイベントはできれば行かずに済ませたい。

 自分は行かずにトーマスに頼めばよいのかもしれないが、なんでもかんでもトーマス任せというのも、保護者として無責任ではないかという、という自責もある。

 なによりも最近、トーマスとクリスはことあるごとに結託するので、家庭内でいろいろやりにくいことこの上ない。そういう意味でも、あまりトーマスにクリスのことを任せるのは不都合がありそうだった。

 どうしたものかと思案しつつポスターを眺める彼の目に、飛び込んできた文字があった。

「利き酒大会?」

「ああ、それなら毎年やってますよ。酒造協会が協賛してて、利き酒に使ったお酒は会場でも販売してるんです」

「へえ」

 ユージンはさっそく自分の携帯端末を出し、夏祭りの協賛企業をサーチする。

「ヤマダ酒造が入ってるじゃないか! ここの酒はなあ、製造元直販が基本でなかなか売ってないんだよ。そこまで高くはないんだがな。でも、いい酒なんだよなこれ……」

「クリス、帰ろうか」

 ポスターに向かって蘊蓄を傾けはじめた一名を残して、トーマスはクリスの手を引いて歩き出した。



 今年の南区主催の夏祭りのポスターには、カップル向けや学生や友人同士向けのものもあるのだが、親子連れのイメージ映像も使われていた。親子で揃いの、または色違いの浴衣を着ている。

 彼はショッピングサイトへアクセスした。キーワードで「キモノ」「ユカタ」で検索をかける。

 検索にひっかかった品物のあまりの数の多さにくらくらしていると、ピックアップ・コーナーが目に止まった。閲覧すること暫し。まさにうってつけのものを発見する。

 鰻屋の中で立ち働く和服の店員や客の涼しげな色の浴衣を見る、クリスの憧れるような視線を思い出し、彼は楽しそうに秘密のたくらみを実行する。



 夏祭り開催当日、四月から通い始めた学校の夏期講習から帰宅したクリスがリビングに入ると、普段よりやや低めの声の二重奏が「おかえり」と出迎えた。

 見ると、ソファに腕組みをしたユージンとトーマスが厳しい顔で座っていて、いつになく空気が張りつめている。まるで、殴り合いの三十秒前のような。

「どう、したの……?」

 ただいまを言うのも忘れてクリスが尋ねると、

「待ってたんだよ、クリス」

「お前に決めてもらおうと思ってな」

二人が口々に立ち上がって、ソファの前のテーブルを指さす。

「どっちがいい?」

「どっちを選ぶ?」

 再びハモった。

 見ると、テーブルの上には服が置かれていた。形はバスローブに似ているかもしれない。一つは紺、一つは白。

「ほら、綺麗だろ?」

 ユージンは襟の部分をつかんで取り上げると、クリスに紺色のローブの背を見せた。子ども用らしい大きさの背面に描かれていたのは、金糸銀糸で縫い取られた雲上の竜で、アラベスクのように平面的な図案が装飾的で美しいとクリスは思った。

「こっちのほうが格好いいと思います!」

 トーマスが広げて見せた白いローブの背には、竹林とその奥から出てきたばかりの虎が描かれている。これもまた手の込んだ図案で、虎の縞模様と竹林の緑のコントラストが美しい。

「これ……何?」

 驚きのあまり無表情になったクリスの問いに、二人はまたもや同じタイミングで答えた。

「浴衣だっ!」

「浴衣ですっ!」

 一週間前の夜の記憶がクリスの脳裏をよぎった。

 確かにあのとき、浴衣を着ている人を見て、自分も着てみたいと思った。でも、一瞬思っただけで口に出したわけじゃない。なのに――。

 どうしてわかったんだろう、ふたりとも。

 ユージンなんか「俺は超能力者じゃないんだから、言わなきゃわかんねえよ」が口癖のくせに。

 瞠った目の縁に涙がじわりと盛り上がる気配がした。

「クリス、これ、お揃いで大人用もあるんだぞ」

「あっ、僕のだってお揃いですよ」

 今度は大人サイズ、同じデザインの浴衣を取り出して、それぞれにお揃いアピールをする二人。

「虎なんて、昔はタイの寺に行けばそこいらにごろごろ寝転がってたペットじゃないか。そこへ行くと、竜は神秘の聖獣だぜ」

「竜なんてウエールズ人じゃあるまいし、虎のほうがカッコイイですよ」

 まばたきをして涙を散らしたクリスの耳に、玄関の呼び鈴の音が聞こえた。

「あ、カトーさんの奥さんだ」

 トーマスは自分の端末に向かって「今、鍵あけますから。どうぞ入ってきてください」と愛想よく呼びかけた。

「なんで隣のばあちゃんが来るんだよ?」

「浴衣の着付けを頼んだんです。僕はできませんから」

 なるほど隣に住む老婦人は、いつも上品な和服を着ている。

「俺は浴衣くらい着付けできるぞ。クリスだって俺が着せるつもりだったんだから。動画で文庫結びもマスターしたしな」

 決着もついていないのにユージンは無駄に勝ち誇り、トーマスは悔しそうに横を向いた。

「あらあら、にぎやかだこと」

 濃い紫色の布包みを持って現れたカトー夫人は、今日も藤色の和服を着ている。髪は白いが皺は少なく肌も若々しいので、白髪が却って明るく華やいで見える女性だった。

「こんにちは、みなさん。お手伝いに来ましたよ」

 波乱の雰囲気を見事にぶったぎって、おっとりとした足取りでリビングに入ってくる。

「それで、クリスちゃんの浴衣はどれかしら?」

 とげとげしくまとわりつく空気をふんわりと無視し、笑顔で小首を傾げる夫人に、彼らはそれぞれの選んだ竜と虎の浴衣を掲げて見せた。

 少しの沈黙のあと、

「あらまあ。でも、彼女にはもっと違う柄のほうが似合うと思いますよ」

彼女は立ったまま手持ちの紫色の包みをほどき、中に入っていた布をはらりと広げて見せた。

「……バラ?」

 言いながら、クリスは思わずその浴衣に手を伸ばす。糊の利いたシーツのような手触りがした。

「これは牡丹というのよ。娘が小さい頃に着せたものなんだけど、あなたにも似合うかもしれないと思って持ってきたの」

 余計なお節介かもしれないと思ったのだけれどと付け加えながら、夫人は広げた浴衣をクリスにあて、二人のほうを向かせた。

 黒地に乱舞する赤とピンクの多弁の花びら。その間を飛び交うように描かれた金色のチョウ。

 少し大人びた柄が、いつもは年齢より幼く見えるはずのクリスに思いのほか映えた。

 クリスには、せっかく二人が自分のために浴衣を買ってくれたのだから、そちらを着たいという気持ちはある。しかし、二人のうちのどちらか一方なんて選べないし、正直なところ、夫人の持ってきてくれたほうに心惹かれてしまっていた。

 クリスはどうしようという表情で、二人を見比べた。

「花柄いいなあ、花柄」

「そっちのほうが可愛いですね」

 笑顔のユージンとトーマスが互い違いに頷く。

「それじゃ、こちらで」

 広げた浴衣を簡単に畳んでいる夫人に、「着替えは応接室を使ってください」とユージンが声をかける。

 「行きましょ」と夫人がクリスの肩をおして部屋の出口へと向かう。と、途中で思いついたように足を止めて振り返った。

「お二人もその浴衣を着るといいと思うわ」

 買った浴衣をそれぞれ箱にしまいかけていた二人が顔を上げる。

「そうですね。せっかく買ったし」

 言いながら、トーマスが自分の白い浴衣を箱から再び取り出した。

 「着付けはできるかしら?」という問いに、「私が」とユージンが片手をあげる。

「そう、では後ほど。楽しみね」

 夫人はそう言うとクリスをリビングから押しだし、後ろ手にドアを閉めた。布包みを持ってすたすたと歩き出した夫人の背中に、クリスは呼びかける。

「あの、おばさんの持ってきてくれたの、すごく素敵なんだけど、やっぱり買ってもらったのを着たいんです」

 立ち止まった夫人が半身をこちらに向ける。

「どうして?」

「浴衣、着てみたくて。でも何も言わなかったのに、買ってくれて、すごく嬉しいから」

「……そんなこと」

 夫人は薄紫の片袖で口元を隠すようにして、ころころと笑った。

「気にしなくていいのよ、クリスちゃん。あれは両方とも『男物』なの」

「そうなんですか?」

 髪を梳くように優しく自分の頭を撫でる夫人を、クリスが見上げる。

 鰻屋の店員が着ていたのは、男女とも紺色の着物だったはずだ。しかし美しい花柄の浴衣を着ていたのは、確かに女性ばかりだったような気がする。

「あなたは似合うんだから、もっとかわいいものやきれいなものを着てもいいのよ。トーマスさんもユージンさんもいい人だけど、女っ気がないからかしら、そういうことがわからないのね。本当に仕方ない人たちねえ」

 夫人はそう言って、もう一度ころころと笑った。


 しばらくして、着替え終わったクリスとカトー夫人がリビングに戻ったとき、ドアはまだ閉じていた。ノックすると、待ちかねたように内側から開く。

「可愛いよクリス」

「やっぱりそっちのほうが似合うな」

 前髪を少しすくいとって造花がついたピンで留めただけで、普段のボーイッシュな印象は消えている。

 黒地に花や蝶が踊る浴衣に赤い帯を締めて、居心地悪そうに立っているクリスをユージンとトーマスは絶賛した。

 当のクリスといえば、赤い鼻緒のついた下駄は、ビーチサンダルだと思えば特に問題はなかったけれど、長い裾は履いたこともないタイトなロングスカートのようで動きにくいし、前髪を留めたピンも落っこちそうで気が気ではない。

「まあ。トーマスさんもユージンさんも、大昔のヤクザみたいでとっても素敵よ」

 クリスの後ろで、夫人が華やいだ声をあげた。

 誉め言葉としては微妙だが、胸の前で両手を組み合わせてうっとりしているように見える彼女は、本気でそう思っているらしい。

 トーマスの白い浴衣には、前面にもすっきりした青竹が入っていて、いつもより背が高く見えた。ユージンは妙に慣れた身のこなしで、テーブルやソファの上に置かれた箱や脱いだ服を片づけている。その背中には、紺碧を背景にした金色の竜が浮かんでいた。

「小道具が必要ならうちから持ってきましょうか? カタナならあります。主人の居合刀だけれど」

「ありがとうございます。でも、銃刀法に違反しますので」

 楽しげな口調の夫人に、竹林の虎を背負ったトーマスが丁寧に断る。

 「冗談ですよ」と笑いながら夫人は言ったが、一瞬本気で残念そうな顔をしたのをクリスは見逃さなかった。

「それじゃ、そろそろお暇しますね」

 背を向けようとした夫人の袖をクリスが軽くひっぱった。

「あの、今日は本当にありがとうございます」

 ぎこちなくお辞儀するクリスを見て、夫人は懐かしい何かを見るように目を細めた。

 「私からもお礼申し上げます」とユージンが深々と頭を下げ、トーマスも笑顔で感謝の言葉を述べる。

「私も今夜の夏祭り、行ってみようかしら。うちの人と」

 少女のような顔でうふふと笑った夫人は、クリスの耳元で「デートよ」と付け加えると、浮き浮きした足取りで出ていった。

「俺たちもそろそろ出かけるか」

 片づけ終えたユージンが、立ったままのトーマスとクリスに声をかける。


 外に出ると、あたりは日が落ちる少し前の色をしていた。

 まだ明るい光の中で、並んで立っていたユージンとトーマスの手を、後ろから来たクリスが掴む。それぞれの手を繋ぎなおすと、二人の男に挟まれた少女は歩き始めた。

 ユージンとトーマスの手をクリスが掴んだとき、小さく呟いた言葉を彼らは確かに聞いた。

「……二人とも、大好き」

 夏の宵は良いものだ。例えそれが人工的に作られたものだったとしても。

 穏やかに暮れていく時間を楽しむように、三人はゆっくりと歩いていく。

 竜と虎と、それから赤い花を背中にしょって。


〈了〉

虎がゴロゴロしてたタイのお寺は、動物保護の観点から当局の手入れが入り、今は虎はいないそうです。というわけで、そのあたりを含めて少しだけ修正が入っています。

ライオンの子どもは触ったことがあるんですけど、トイプードルに手触りは似ていました。虎も機会があれば触ってみたいものです。

彼らの過去や未来の話は、設定だけはあるのですが、なかなか調べものに時間がかかるので、またいつか機会があれば書きたいです。

お読みいただきありがとうございました。

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