番外編 黒猫日和
「ごきげんアニマルパジャマ」とは、とあるおもちゃメーカーが販売している着ぐるみ型のパジャマである。
毛布のように起毛した保温性に富む布地で出来ており、乳児がよく着用しているロンパースのごとく上下ひと続きで、前面のファスナーで脱着する。
頭部にはそれぞれの動物を模した耳つきのフードがついていて、背面にはしっぽもついている。
フードにつけられたセンサーによって着用者の感情を読みとり、それらの耳としっぽは動くのだ。
「――といっても、所詮おもちゃレベルだから、大雑把なものらしいわ」
クリスが猫屋敷の正式な住人になって、しばらく経ったある日の午後のこと。
先日いじめすぎたお詫びと仲直りのしるしに、とアリスの持参したプレゼントの包みを開けたクリスは、当惑したような顔で二人の保護者たちのほうへ振り返った。
「着てみたら?」
真後ろを向いてソファの背にあごをのせ、ダイニングテーブルの前のクリスとアリスを眺めていたユージンが、面白がって勧める。
半身をひねってクリスたちを見ていたトーマスは、咎めるような一瞥を隣のユージンに投げた後、クリスにはにこやかに微笑みかけた。
「嫌なら無理に着る必要はないんだよ」
「イヤとは言ってないじゃないの。ねえ、クリス?」
身を屈め、背の低いクリスの顔を覗き込むアリスの耳元で、細長い金色の耳飾りが揺れた。白いスーツの胸元は深く切れ込み、大人の男でなくてもその奥へとつい視線を誘われる。
最初会ったときは怖い印象だったが、こうやって改めて見ると、綺麗な女の人だとクリスは思った。
「大きめのを買ってきたから、服の上からでも着れるでしょう。着て見せて。きっと可愛いわよ」
アリスはパジャマをクリスの前に当て、ほら、というようにソファの男二人を向かせた。
トーマスが見る限り、それは作業着のツナギに似た黒一色の服で、特に可愛いというものでもない。
「……カワイイ?」
クリスは無表情にアリスの言葉を繰り返す。
「着てみろってクリス、絶対可愛いから! 君もそう思うだろ、トーマス君?」
使用後の姿を想像しているのか、だらしなく笑み崩れるユージンに「ただの黒いツナギじゃないですか」などと反論する気にもなれず、
「そうですね。きっと可愛いでしょうね」
と、トーマスはおざなりな相槌をうった。
「着てみるよ」
言うが早いか、クリスはアリスからパジャマを受け取った。前面のジッパーを開き、中にもぐりこむようにして着こむ。仕上げに、アリスが電源を入れたフードを被せた。
くたっていた三角の耳は、数秒後、少し伏せられた状態で立ちあがった。後ろについている長いしっぽが不安げにゆっくりと揺れている。
フードから覗くクリスの表情は変わりなく無表情で、瞳だけが大きく見開かれている。
「黒猫クリスだ。可愛いなあ」
ユージンがたまらないといった風に呟く。
「私の見立ては完ぺきよ。どう? 可愛いでしょう? ディー」
黒い子猫の肩に手を置き、アリスはトーマスに向って誇らしげに片眉を上げた。
「これは可愛いなあ。クリス、似合ってるよ」
目を細めたトーマスがそう言ったとたん、クリスのパジャマの耳としっぽがぴんと立ちあがった。しっぽなど、歓喜のあまりぷるぷると震えているほどである。
しかし、フードの中のクリス本体の表情は、あまり変わりない。よく見れば、鼻の穴が広がり、口角も微妙に上がってはいるのだが。
「すっげえ嬉しそう、クリス」
「よっぽど気にいったんですね、あのパジャマ」
「喜んでもらえてよかった。あなたたちの分も忘れてないわよ」
トーマスとユージンが囁き合っているのを見たアリスが、企むように笑った。いつの間にか、クリスに渡したものよりも一回り大きな包みを二つ持っている。
それを見た男二人は、慌てて後ろ向きだった姿勢をもとに戻す。
「まさか……」
「あの師匠なら、当然やるだろうな」
「僕は絶対に嫌ですからね」
「俺に言うなよ」
腕組みをした肩を竦めるトーマスに、ソファにもたれかかったユージンがぼやく。
「クリスならいいですよ。まだ子どもだからああいうのも似合うし、可愛い」
「訂正しろ、トーマス君。クリスは子どもだから可愛いんじゃない。もともと可愛いし、大人になっても可愛いに決まっている!」
トーマスのほうに向き直って力説するユージンと、横を向いて聞き流すトーマスの間に、黒い子猫のままのクリスがちょこんと座った。立ち上がったしっぽが興味深そうにゆらゆらと揺れている。
「何の話?」
「もちろん、どちらがこの『ごきげんアニマルパジャマ』を上手く着こなせるかっていうお話よね?」
ソファの背後から伸びてきた手が、ユージンとトーマスの前に一つずつ包みを置いていった。
もう一つのソファを一人で独占し、くつろいだ様子で足を組んだアリスが「開けてみて」と促す。
ユージンはおとなしく包みを開け、クリスと似たようなそれを着るために黙って立ち上がったが、トーマスは憮然として腕組みをしたまま動かない。
「聞こえなかった? 開けてみて、と言ったのよ?」
「聞こえましたよ。自分の耳が遠いからって、他人もそうだと思わないください」
「せっかく持ってきてあげたのに。他人の好意を無にするつもり?」
「好意と言うなら、まず自分が着たらどうなんですか、この『ごきげんアニマルパジャマ』」
アリスとトーマスの間でどんどん張り詰める空気とともに、ぴんと立っていたクリスの耳としっぽはしおたれていく。
「いやあよ。だって私のスタイルじゃないもの」
「僕のスタイルでもないですよ。こんなもの、好きこのんで着る大人がどこにいるっていうんですか!」
「ここにいるわよ。ほら」
アリスの指さす方向には、『ごきげんアニマルパジャマ』黒猫タイプ・大人用をフードまで着用したユージンがいた。
「これ、あったかくて軽くてすごくいいよ。ありがとう、師匠!」
大きな黒猫の耳としっぽは、嬉しそうに立っている。
照れもせず、それなりに着こなしてはいるが、大人だからなのか美形ゆえか由来のはっきりしない微妙な違和感はぬぐえない。
「オーカス、あなたって最高!」
「実用性が高ければ何でもいいんですか、あなたは……」
アリスは笑いをこらえるように肩を震わせ、トーマスは呆れるように額に手を当てる。
「おそろいだね」
ソファから立ちあがって大黒猫に抱きついたクリスのしっぽと耳もまた、嬉しそうに上を向いている。
それを見たトーマスは、お茶を淹れるために立ちあがった。
今日はまたたび茶にするべきだろうか、と思案しつつ。
〈了〉
拍手に置いていたSSです。