最後の森へ
宿を出て、馬に乗り、方位磁石を見る。そして、示された方へ向かう。
この一歩が、リリーナとの明日へと、繋がると信じているが、いったい、[マザー]にいつ出会えるのか…
町の奥に通じる道に向かうと、どうやらまた森に向かう様だ。
町を抜け、どんどん進んで行くと、今までとは違う景色が見えてきた。
どこまでも青く澄み渡った空の下、赤い岩山が聳え立つ。岩山は、層になっていて、下に向かう程、緋色の如く見えた。その麓に、深い森が生い茂り、まるで人を拒むかの様な姿にただ、立ち尽くすしか無かった。
俺は、ここに[マザー]がいる、と、確信していた。これほどまでに、神々しいまでの岩山と森は、見たことが無い。
森に入ろうと思うが、なかなか一歩が出ない。
神の領域に、足を踏み込むようで、躊躇する。
しかし、[マザー]に会わなければ、リリーナとの未来はない。
俺は、覚悟を決めた。
森へ向かおうとした時に、 「お兄さん、おにいさーーーん。待って!行ったらダメだ!死んでしまう!」と、声が聞こえた。
俺に言ってるのか?と、訝しみながらも、振り向くと、昨日の少年が走ってきていた。
「どうした?なんで、死んでしまうと分かる。」
「その森は、人を拒む森なんだ。森の周りには、薬草が生えてるから、それを取りに行く人は、たまにいてるけど、お兄さんは、薬草を摘む人には、見えないし…旅の人なら、その森に入ってしまったら、死んでしまうから、急いで追いかけて来たんだ。助けてくれた人を、死なせたくないって思ったんだ…」
「そうなのか。親切はするもんだな。」俺は、ニヤッと笑った。
「教えてくれて、ありがとう。だが、俺はあの森に用があるから、行ってくる。自分で決めていくんだから、君のせいじゃ無いからな。気にしなくていい。そうだ、一つ頼まれてくれないか?俺が戻るまで、この馬の世話を頼んでもいいか?これが、馬の餌と君の手数料だ。」
俺は、この少年に金貨を2枚手渡した。
「多すぎるよ。金貨1枚でこの町では、半年は暮らせるよ。」
「いや、いい。少し長く世話を頼むかも知れないし。う〜ん、そうだなぁ。半年過ぎて俺が戻らなかったら、その馬は君のものにしてくれていい。その馬の名前は、アローだ。頼むよ。」
これでいい。何かあっても死ぬのは俺だけで済む。アローは、この旅に付き合ってくれた友とも言える…死なせてしまっては、可哀想だ。
少年は、引き留めようとしていた様だが、俺の決心は変わらない。
「お兄さんが戻るまで、この馬は大事に世話をするよ。必ず、死なないで戻ってきてね。」
少年は、諦めた様子でそう言った。
「あぁ、必ず戻るから馬の世話、頼むな。」
そう言って、俺は森へ向かった。
鬱蒼としている森だが、思いの外、日差しが入り明るいと思っていると、急に霧が出てきて何も見えなくなってきた。その霧は、普通の霧とは違う様だ。霧のはずなのに、体に纏わりつき、重く、手足が動かしづらい。前に進もうとする事を拒まれている様だ。霧は、顔も覆い尽くし、前も見えず、息もできなくなってきた。
苦しくて仕方がない。リリーナの顔が浮かぶ。
リリーナ……リリーナ…
その時、リリーナの『息ができなくなる様な事があれば、これを口に含んでください。1度だけなら、それで助かるはずです。』その言葉を思い出した。
あれは、比喩ではなく、物理での事か!!
リリーナは、知っていたのか?あの時の会話は、言える範囲での助言だったのか?
涙の宝石は、大切にしまっていたから、息苦しい中で取り出すのは苦労したが、口に含むと、宝石はゆっくりと溶け出した。
溶けてしまうと、不思議な事にこの霧の中でも、動ける様になってきた。
方位磁石を取り出し、[マザー]の場所を探る。森は、道は無く、木と木の間を縫う様にひたすら歩いた。
[マザー]は、この森にいる。
確信めいたものが、頭から離れない。かなり歩いたはずだが、全く疲れは無かった。
気が付くと、霧はすっかり晴れ、ツタが絡まる高い木が多く茂った場所に、辿り着いた。
磁石は、ツタの中を指している。ツタを掻き分け中に入っていくと、フカフカした苔の生えた広い場所に出た。苔は、どんな上等の絨毯よりも足触りが良く、歩くのが心地よい気持ちになった。
どんどん進んでいくと、そこに繊細な装飾を施した木の椅子に座っている女性がいた。
方位磁石は、その女性を指している。大体、この様な森の中にいる事ができる人など[マザー]以外に考えられない。
「初めまして、私はステアルト・ヒペリカムと申します。貴方が、[マザー]でしょうか?」
「ステアルトさん、ここまで大変な道程だったでしょ?お疲れ様でした。そう、私が[マザー]と、呼ばれる者よ。会えて嬉しいわ。」
[マザー]は、にっこりと笑顔を見せた。
[マザー]の姿は、神々しい姿だった。足元近くまであるプラチナブロンドの髪が煌めき、瞳は虹色に輝いていた。微笑みの形で止まっている唇は、慈愛に満ちていた。
「ステアルトさん、リリーナが、私の事を何も言わなかった事を、その許してね。人形は、人には知られてはいけない秘密が、いろいろ有るのよ。ただ、ここまで辿り着いた貴方には、疑問に思った事は教えてあげるわ。でも、先に言っておくけれど、人形の秘密はこの森を出たら、記憶には残らないわ。残るのは、納得した気持ちだけ……あぁ、貴方は人形の秘密を知りたくてここにきたのでは無かったわね。…リリーナを愛しているの?」
「そうです。俺は、いや、私はリリーナ以外、誰も愛せない。私の人生は、リリーナと共にいる事しか考えられないのです。リリーナと人生を共に歩む許可をいただけないでしょうか。」
私は、祈る様な気持ちで言った。
「リリーナは、人ではないわ。人の様に成長する事もないし、時期がきたら、砂になってしまう人形なのよ。貴方は、貴族でしょう。子が必要なのではなくて?」
[マザー]は、先程の笑顔はすっかり消え失せ、厳しい顔で現実を突きつけた。
「リリーナが、人形でも人でも関係ないのです。一目惚れだった事は否めませんが、一緒に過ごした時にリリーナをより深く知り、愛したのです。リリーナだから、愛したのです。リリーナ以外愛せない私は、政略結婚で誰かと子を成す事など、もう無理です。私を廃嫡して、妹が爵位を継いでもらっても良いのですから。何より、リリーナがいない人生など、死んでいるのも同然なのです。」
「貴方は、その一心でここまで来たのですものね……」
「私は、リリーナと共に居たい。ですが、リリーナは妹の大切な友。リリーナに、託された種を次に繋げる事が、妹に課せられた役目でもあったのに、私の我儘で妹にも迷惑をかけてしまう…私の恋は、なんと罪深い……誰にも話をする事が出来ず、また多分…誰もが幸せになる道を見出す事は出来ないだろうとも思っています。[マザー]…貴方なら、リリーナも妹も幸せになる道が、見えていますか?私は、自分の恋を押し通す事が、皆の不幸を招くのではないかと。それならば、私は、この森で果ててしまった方が…」
私は、吐露できなかった思いを、ぶつけてしまった。
家を出てからずっと蟠っていた思いだ。この相反する様な思いを抱き、ずっと過ごしてきた。
[マザー]に打ち明けるべきではない事はわかっていたが、ここで私の人生が終わるかも知れないという状況が、私を饒舌にした。
[マザー]は、ずっと黙って私の話を聞いていた。
「本来、人形は育てた人の物なのです。体だけではなく、心も。リリーナは、貴方にも心を移しています。もう、リリーナは今までの人形とは、違う存在になってしまいました。もうすでに、他の人形と同じ道を歩んでも、心からの幸せにはなれないでしょう。」
私は、足元から崩れ落ちてしまった。
私が愛してしまったばかりに、リリーナの幸せを奪ってしまったのか。
私は、力尽きてしまい、立つことすらできなかった。




