5話 試練開始
なんだかんだしっかり眠れた。朝ごはんもしっかり食べた。歯も磨いた。セーナさんが選んでくれた動きやすくて可愛い服を着てメイクもした。髪はいつも通り邪魔にならないように結んだ。昔お兄ちゃんがくれたヘアゴム…試練の時に切れたら嫌だし今日は別のにした。ラミさんにでも預かってもらおうかな。そして、頬を掌で叩いて気合いを入れた。
「うん、今日も私は可愛い。だから、試練も大丈夫」
「可愛い事と試練に何が関係あるんだよ…」
「あら、女の子はいつだって可愛くしてなきゃよ?」
「そうそう、ラミさんだってもっとお洒落すれば可愛くなるのに。ん、可愛いより綺麗になる…かな?」
「はいはい、どうせあたしは飾りっ気も可愛げも無いよ。」
ラミさんとセーナさんが迎えに来てくれた。一人言を聞かれたのはちょっと恥ずかしいけど小気味良い会話のおかげで良い感じに緊張もほぐれてきた。うん、やっぱりこの二人にはずっと着いてきてもらわないとかな。
「それじゃ、行こっか。私、頑張るね。」
そうして私はこの街イレパスの教会に二回目の試練を受けに向かった。教会の中は広く大きな神様(と思われる)像がありお祈りをする人達がたくさんいた。その中で司祭の女性が迎えてくれた。年は40後半ぐらいで顔付きだけで優しそうな雰囲気を出す、いかにも聖職者って感じの人だ。
「ようこそ、願望者よ。昨夜はよく眠れましたか?」
「あはは…それが緊張して中々寝付けなくて…でもダルさとかは全然無いから大丈夫です!」
「そうですか…無理に今日行う必要は無いのですよ?万全の状態で挑んではどうですか?」
優しい声色で私を気遣ってくれる。それがかえって私を勇気づけてくれる。うん、この人は本当に良い人なんだと思う。教会に入った時に荘厳な雰囲気に飲まれそうになったけど、この人が声をかけてくれただけで私の心は落ち着いて安心して話すことが出来た。きっと街の人達にも人気の司祭様かな。
「いえ、今日が良いんです。私、やりたいことはすぐにやっちゃいたいんです。」
「わかりました。では、こちらへ…あぁ、同行者の方もご一緒にどうぞ。貴方達も見届けたいでしょう?」
そうして、私達三人は教会の奥の部屋へと案内されていった。その部屋は小さく、先程の像とは違う物が置いてあった。よく見れば顔付きとか服とか装飾品なんかは同じようだけどポーズが違う。さっきの像は両手を組んだお祈りをしていたけど、この像は両手を差し出している。
「では、願望者はこちらで膝を付き祈りを…あ、貴方の元の国の形でかまいませんよ。」
言われた通りにすると、像のポーズが違う理由がわかった。願望者に何かを授けてるように見えるんだ。
「そのまま目を瞑り、貴方の願いを強く思いなさい。やがて、試練が始まるでしょう。」
私の願い。一人生き残ったお兄ちゃんの幸せだ。誰か良い人を見つけ、良い家庭を築いて、新しい家族と友達に囲まれて…それで、私とお父さんとお母さんの死を乗り越えてほしい…。
ごめんね、お兄ちゃん。私、こんなことしか出来なくて。出来れば私がもうちょっと面倒見てたかったんだけどね。私がお兄ちゃんに相応しい人を見つけてあげて女の子の喜ぶプレゼントとか教えてあげて…一人じゃ出来そうに無いしなぁ…大丈夫かなお兄ちゃん…
「おいおい…俺は唯から見たらそんなに頼りない兄貴だったのかよ。」
「え…」
後ろを振り返る。そこにはお兄ちゃんが居る。
「な、なんで…ここに?」
「そりゃ唯がいるからさ。」
「ここ、異世界だよ?いや私もまだ半信半疑だけど。それに私は死んだからこの世界に来れたし…お父さんとお母さんは来てないみたいだし…なんでお兄ちゃんは来れたの?」
駄目だ。頭がごちゃごちゃになってる。目の前に居るのはお兄ちゃんだ。見間違える訳が無い…だから、おかしいのに。居るはず無いのに。でも、でも…会えたらやっぱり嬉しい。今すぐ抱きついたい。
「急に黙り混んでどうしたんだ?いつもだったらすぐに抱き付いてくるとか腕を組んできたりするだろ?こんな感じで。」
お兄ちゃんが自分から抱きついてきた。これもおかしい。だってあのシャイなお兄ちゃんがこんな事出来るはず無いのに。目を合わせるのも十秒と持たないくせに。
「そ、そうだね…。ちょっと久しぶりだったから」
顔が赤くなってるのがわかる。おかしいはずなのにこんな事されて嬉しくなっちゃってる。これが試練なの?試練どころか幸せすぎてヤバイんですけど。
「顔も赤くなって…普段は俺の方がなるんだけど。でも、こんな唯も可愛いな」
「……っ!!」
ヤバいヤバい!お兄ちゃんがこんなホストみたいなイケメンムーヴ出来るわけ無いってわかってるのに滅茶苦茶嬉しい。あ、そういえば寝る前の妄想でこんなお兄ちゃん考えた事あったかも。
「おい、何か言ってくれないと俺が恥ずかしいんだけど…」
「あ…ご、ごめん…よ、よく聞き取れなかったからもう一回言って欲しいな…」
何を言ってるんだ私は!確かにお兄ちゃんに可愛いなんて言われたのは小学3年生の夏休みの時お爺ちゃんの家に行った時以来だけど…だからってもう一回だなんてどんだけ浮かれてるの私っ!
「え、だから…赤くなった顔の唯も可愛いなって…」
「んぅっっっっ!!」
嬉しさと恥ずかしさのあまりお兄ちゃんに全力で抱き付いて顔をグリグリさせたり頭突きしたりする。私、今すっごい幸せだよ。
「おい…唯のやつ大丈夫なのか?」
「私に聞かれても…唯ちゃんを信じるしか無いわよ」
「そうは言っても、もう三時間も立つぞ…おい、司祭さんよ、唯はいったいどんな試練を受けてるんだ?」
「さぁ…試練の内容に関しては本人にしかわからない事なので。」
今、唯は教会のベッドに寝かされてる。試練の為の祈りを捧げ始めたら突然倒れ意識を失った。脈はあるし呼吸も正常だから生きてはいるし、セーナが言うには魔法をかけられた様子も無いらしい。
「ただ、この場合夢の中で試練を受けているのかと。」
「夢の中…つまり精神力を問われてるって事かしら?」
「もしかしたら、このまま夢から醒めない可能性もあるかと…。」
「なっ…そんな事ありえないだろ、たかが夢見せられてるぐらい…その内起きてくるに決まってるさ。」
「この子が願いを強く持ち続けばきっと…」
「ふふ、ラミってば…やっぱり唯ちゃんの事気に入ってるのね?」
「…そんなんじゃねーよ。こいつが最後までやってくれないと金が貰えないだろ?それだけだ…」
気持ち良さそうに眠る唯の鼻を摘まむ…人が心配してるのに呑気な寝顔しやがって…。
「ね、お兄ちゃん。次はあの店行こっ!」
「うん、欲しいものは何でも言えよ?」
お兄ちゃんと再開してから私はすぐにデートに誘った。そうしたら、お兄ちゃんはどこで覚えてきたのか気遣いが出来る男になってた。過剰なぐらいの気遣いだけどされると中々良い気分かも。きっとネットの情報を鵜呑みにしたんだろう。デートが終わったらちゃんと教えてあげなきゃ。でも、今だけ…今だけは別にいいよね。
「うふふ…」
「どうした?急に笑って。」
「ううん、何でもないよ。」
お店に入れば店員さんが恋人扱いしてくる。それをお兄ちゃんは自慢して、私は兄妹ですって訂正して…道を歩けばお似合いカップルみたいな感じで見られて…すっごくすっごく楽しいデート。もうずっとこうしてたいぐらい!
「さて、そろそろ暗くなってきたし帰ろうか。母さんが美味しい夕飯作って待っててくれるだろうし。」
「うん!お兄ちゃん、今日はありがとう!」
そのまま、家に帰りお母さんの美味しいご飯を食べながらお父さんの自慢の雑学を聞いて…お兄ちゃんと一緒にお風呂に入ろうかと思ったけどそれは流石に恥ずかしかった…せめてと思い一緒に寝ようって言ったらやっぱりオッケーしてくれた。その日は緊張しちゃったけどお兄ちゃんが優しく頭を撫でて背中を擦ってくれて、お兄ちゃんの温もりと匂いに包まれて幸せに眠る事が出来た。
「い…ゆ、い…」
「ん…?ラミさん…?」
「誰だそれ?寝ぼけてるのか?」
「あ、ごめん…おはようお兄ちゃん。」
「うん、おはよう。今日は学校だから早く準備しよ。」
そうだ、私は昨日はお兄ちゃんと一緒に寝たんだった。何故か誰かとお兄ちゃんを間違えたらしい。でも、そんな事はどうでもいいかって思って学校の準備をする。
「ん…なんか、久しぶりな気がする…あれ?」
朝ごはんを食べて、歯を磨いて、制服を着てメイクもした。そして、髪を結ぼうとした時、いつものヘアゴムが無いことに気がついた。
「あ、あれ?おかしいな…いつもここに置いてあるのに…」
「どうしたんだ唯?はやくしないと遅刻するぞ。」
「あ、あのね…お兄ちゃんがくれたヘアゴムが無いの…いつも使ってるし昨日もお風呂の前にここに置いた筈なのに…」
「別にヘアゴムぐらいなんでも良いだろ?それぐらいまた買ってやるよ。」
「ううん、あれじゃないと嫌。また、買ってくれるのは嬉しいけど…自然に切れるまで使ってたいんだもん。」
「わかったよ。俺も一緒に探すよ。部屋に置いてきてたりはしないか?」
「う、うん…ありがとう…見て来るね…」
なんでだろう、ヘアゴムが無いだけでこんなに焦るなんて。確かにお兄ちゃんから貰った大事な物なんだけど…正体不明な焦燥感が私を息苦しくさせる。
「部屋の中なんて…あるわけないのに…」
唯が試練を始めてから7時間…あたしはいい加減待ちくたびれて貧乏ゆすりを始める。
「ちょっとラミ、落ち着きなさい。あなたが焦ってもどうにもなら無いのよ?」
「わかってるよ、そんな事…」
司祭の奴は仕事があるからって部屋を出ていって、あたしとセーナ二人で唯を見守っている。あたしに落ち着けと言っているが、セーナもしきりに椅子に座り直したり足を組み直したりしてる。
「待ってるだけってのも…つまんないもんだな。」
「そうね…唯ちゃん、大丈夫かしら…」
「自分で信じて待ってろって言っただろ?」
「うん…」
「飯でも食い行くか?」
「ん…今はそんな気分じゃないかな…」
「そうか…」
「唯ちゃんが目覚めたら美味しいもの食べに行こっか。」
「ああ、酒でも飲ませてやるか。」
「飲んだこと無いって言ってたわね。唯ちゃんの国じゃまだ駄目っだからって。」
「関係ねーよ。ここは国どころか世界も違うんだから。」
「そうね…」
重い空気が続く…実は起きてるんじゃないかと唯の体を少し揺らしたり、頬をつねったりしてみるけど何も反応は無い…動かした時気付いたがヘアゴムが切れていた。
「まったく…とっとと起きないとあたしが勝手に結び直しちまうぞ」
眠る唯の手に預かったヘアゴムを握らせる。大切な物だから絶対無くさないようにって念を押され、それなら自分で持ってろと言ったけど、試練が戦いだったり激しい運動させられたりすると切れるかもって言われてしぶしぶ預かった。