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よくわからん短編たち

神は存在するのか? をてきとーに論じていくお話(謎)。

作者: へーがたくちくかん

駄文です。駄文ですよ! 大事なので二回。

それでも読みたいってかただけどうぞ。

覚悟はいいですか?

神は存在するのか?

これは大きな命題だと私は考えております。わおお堅い文章だ。

いやまあ、実際大きな命題だとは思ってるんですけどね。

元々自分は、神なんざいねえと考えていました、が。

でも最近なんとなーく考えたのは、これでした。


――宇宙の始まりはビックバンだが、じゃあそれはどうして始まったのか?


です。そう、いやバカみたいな質問ですよ。

でも考えてみてください。何もなかったなら、もちろん何も始まらないはずです。

でも何かがあるってことは、何か必ず「始まり」がないとおかしいわけです。

ということを考えると――矛盾しているのですよ。え? と思った方はこの後を読めばわかるはず。


質量保存の法則と呼ばれているものがこの世界にはあります。ついでに言えば、原子は別の原子にならないというものも。

で、仮にですよ。ビックバンですべての自然界に存在している原子が生まれたとしましょう。

では、なぜ?

原子が別の原子にならないということは、そもそもそのものがないといけないのです。

確かに原子は陽子と電子と中性子からなっています。

そしてまあ、元々陽子とかがいたとしましょう。

しかしそれはどこから来たのでしょう?


はい。私が言いたいのはですね、「なぜ」をぶつけていくと、必ずこの質問に行きつくということ。


――果たして、「それ」はどこからきたのか?


始めにそれがあったという人がいれば私は迷わずこういいます。


だから、どうしてそれがあったのですか?


と。うわあ嫌な人だなあ、と自分でも思いますが、しかしこれは仕方のないこと。

知りたいと思う人がここまでひねくれていればこうなると自分は思います。

なんだかんだ神という話から逸れているので戻します。


で、自分が考えた答えは。


そこに、すべてを生み出した神がいるから。


そしてその神はある神に生み出され、その神もまたある神に生み出され――という永遠に続く関係の中にいます。


いや何言ってんだお前、と思った人もいるでしょう。

でもここで自分はあることを考えました。

もしかりに私たち人類が、死ななくなり、宇宙の果てに行けるようになり、テラフォーミングやさらには星をも生み出せるようになったらどうでしょう?


私たちは、「神」と呼べるのではないでしょうか?


文章にして思いましたがやっぱり考えていることを伝えるのは不可能ですね。

まあでもなんとか伝えようとは努力します。もちろん自分が変なことを言っているとは思うんですけど。


さて、と。

つまり私たちは、「神」に生み出されたとすると、私たちも「神」となれる可能性が十分にあり、そしてさらには私たちは進化した人類(もしくはそれ以上に進化した生物)――つまり「神」によって生み出されたのではないでしょうか。


自分は最近こう思うようになりました。


でも、何の宗教も信じてません。

旧約聖書の言葉の中には、どうしても人類至上主義だとか男女差別的な言葉が多々見られる気がしますし、仏教はある意味すでに宗教ではない(大乗仏教は宗教ですが、自分の思う本当の仏教の姿は小乗仏教――つまり悟りを開こうとする人たち――で、ほとんどそういう人がいない)ので、特に信じる対象でもなく。

そんでもって自分は神は存在するが、宗教的な意味合いの神はいない、と考えています。


ということを留学先の教師(カトリックの信者)に話したら「面白い」と言われましたが、人を間違えたら何も教えてくれなくなるかもしれない。


という考え方ともう一つ。

私たちの知っている世界ともう一つの世界――「イデア」があるという可能性。

簡単に説明しましょう。⊿これは、正確な三角形でしょうか? それとこれは? 

これらを拡大すると、点になります。つまり、三角形ではないということです。

しかし、これは私たちは三角形と呼んでいる図形です。

これが、「イデア」です。

古代ギリシャの哲学者プラトンによって考え出された考え方で、もともと私たちはその「イデア」の中にいたという考え方です。

これに沿って行くと、先ほどの「無限の神」問題が解決できる可能性があります。

どういうことか?

先ほどの「神」をイデアにおきかえましょう。

「イデア」が望んだか望まなかったかは別として、ビッグバンが「イデア」によってはじめられたとしたらどうでしょう。

補足ですが、プラトンの考えでは、私たちは「イデア」を望み生活しているとされています。

ので、人類が「神」になったとき、「イデア」を生み出すことが可能ということになります。

わお抽象的。

でも仕方がない。こうとしかいえない。

まあとは言っても、結局皆さんはこう思うはずです。


――こいつは何をいっているんだ?


と。自分でも正直なところそう思います。でもこれが自分の考えた、「神」とは何か。でした。

とても散文的なので、まとめると。


――神は世界を始めた存在にすぎない


ということです。それが「イデア」だろうと、進化した人類だろうと。

世界を始めるもの――世界を始める力を持つ者が「神」なのです。


まあ、あくまでも、あくまでも自分の考えです。

正直メタくそに言われるとは思ってますが。別にこれを読んだ皆さんが、どう思うかは勝手です。

あくまでも自分の目的は、こういうことを日常的に考えてほしいな、ということ。

そんなささやかな願望(野望かも)から生まれたこの文章を読んで、何かを考えてくれれば幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 学者でない我々がものを考える自由を実行に移している。 [気になる点] そんなにへり下らんで下さいよ。 [一言] 世界一理屈をこねるのが上手くて当時の論理学の権威の夢を再起不能にしたゲーデル…
2019/03/22 23:46 退会済み
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