第二話 日常『現実』
ゲームのウィンドウを空中に表示して、俺はゲームをログアウトする。
次の瞬間、俺の視界は黒く染まり、気が付くと俺は蚕の繭を思わせる形をしたゲーム筐体の中から出ると、錠前のように筐体の出入り口についているカード挿入口から一枚のカードを取り出す。
「まあ、今日の稼ぎはこれくらいか」
俺は手にしたカードを見ながら、二重の意味で呟くと、そのカードを持って駅の地下に存在するにしては嫌に明るいゲームセンターの店内を潜り抜けていく。
このカードはこの店の会員証になっており、埋め込まれたコンピューターチップによって、遊んだすべてのゲームのセーブデータを管理していると同時に、仮想通貨を通じて電子財布とポイントカードとしての機能も持っており、お会計とポイントの還元を同時に行う機能を持っている。
ついでに言えば、このカードはよその店でも使うことのできるので、事実上の財布である。
店の受付に行くと、全身を金ピカに染めた見るからにロボット然としたアンドロイドが店番をしており、そのアンドロイドにカードを渡して会計をする。
なんでもこの店、『ブラックリバー』のオーナーが、昔のSF映画のファンだとのことで、店先の店番に置かれているロボットは、宇宙戦争を題材にしたアンドロイドだが、その性能は簡単な計算しかできない低性能なもので、映画で見る様な陽気さは全くない。
今日び、あの程度の人工知能なら幾らでも入れられるはずなのに、オーナー曰く、「映画みたいな人工知能を入れてこき使ってたら、キレて叛乱を起こされるぞ」とのことで、差し出した会員証からゲーム代を差し引いて、返すくらいの事しかしない。
ちなみに、ブラックリバーとはオーナーが好きな映画監督の名前が黒澤というから、そこから取ったらしいが、それだったら黒川だろ。って突っ込んだら、「細かいことを気にしたら、禿げにするぞ?」との返事をいただいた。
それって単に暴力振るっているだけじゃねえの?仮にもアンタ、国会議員やってなかったけ?
そう言ってやりたかったが、流石にそれ以上の問題を起こす気は無かったので、その場は黙って引き下がった。
まあ、そんなことはどうでもいい。俺としては好きなゲームを思う存分できればそれでいいんだから。
俺はロボットから返された会員証を財布に戻すと『ブラックリバー』を出て、そのまま深夜の地下鉄便を目指して地下のトンネルを歩き出す。
※※※
今の時代、公共交通機関は全自動化が進み、その影響で24時間のフル稼働が基本となっている。
その為、俺の様に午前を回るまでゲームセンターに引きこもっていても、帰りの足には困らないから助かる。
人気の無くなった電車の車内は、真昼の様な明るさをしているが、その窓に貼られた特殊フィルムの効果で車内の光が漏れることは無い。車輪の音に関しては、車輪とリニアモーター式の併用であるハイブリッドリニアという方式によって、車輪其の物をわずかにレールの上に浮かせているので、そもそも音が出ることが無い。
沿線沿いの人々が音や光がうるさくて眠れないという訴えを起こすことを無くしたのは、もう数十年も前の話しだ。
俺は、車窓を流れる夜に沈む町をぼんやりと眺める。
二十三世紀に入ったこの時代は、二十一世紀の大量エネルギー消費時代の反省から、夜の電力消費を落すための技術が無数に開発され、今では夜は人の眼には完全な闇しか見えなくなっている。
そんな闇の中を人々は技術の力を借りて真昼よりも明るくしているのだから、それは純粋にすごい事だと思う。
ただ、光の見えなくなった底にある何かってのは、光よりもなおも深く強く、人を惹きつける何かが有るのだろう。かくいう俺も、その人を惹きつける何かってものに引き寄せられて、今もこうして夜遅くまでふらふらとしているのだから、これほど説得力のある言葉はないだろうな。
そんな、益体もないことを考えながらぼんやりと鏡のように光を照り返す特殊ガラスをのぞき込む。
そうしていても、やっぱり俺の目に映るのは夜その底に沈んだ街ばかりだった。
そうこうするうちに、高校一年生の春を乗せるにしては、やたらと遅い地下鉄が今日も俺の家の最寄り駅につく。
其処からぼんやりと、時折りポツンポツンと街灯の建つ家路を辿り家に着く。
今時珍しいボロボロのアパートの、錆び付いて今にも崩れ落ちそうな階段を上がってアナログ全開の鍵穴式のカギを開けて、三日ぶりの我が家の中に入る。
家に入るなり、珍しい顔を見た。
「よっす。ケンおはよーお、久しぶりじゃん顔会わすの」
そう言って、ボサボサの髪の毛を掻きながら透け透けのネグリジェで家の奥から出てきたのは、俺の母親である道場・北斗。
まあ、息子の俺が言うのも何だが、かなりの美人だ。出るとこ出てて、引っ込むところの引っ込んだ体つきに、八重歯と緩くウェーブのかかった柔らかな髪の毛が特徴的な男を誘うようなあどけない顔つき。
鋭い目付きの三白眼と、バキバキの剛毛が特徴的俺とは似ているところが1つもない。
本当に俺とこの人の遺伝子が繋がってるのか疑問だが、母子手帳によると確実に親子なんだよな。
「よっす。久しぶりって、高々三日顔を顔を合わせないだけだろ?そんなに顔を見合わせないんだから、今更になってもなあ」
「あっはっはっ。言いおる。すっかり一丁前になったなー。できれば早く彼女を取っ捕まえて、あっちの方も一人前になりなさいよー?私みたいな美人の子供が童貞で死んだら、立つ瀬がないじゃない」
「息子相手に下ネタかますとか、アンタほんとに母親か。まいいや。母ちゃんは今日はどこの男の所に行くの?まあ、何処の男の所に行ってもいいけど、修羅場だけは勘弁だべ」
「うーん。昨日、吉崎のおっさんから手切れ金もらったから、暫くは別に男を引っ掴えまなくても大丈夫かな?というか、私が今まで一度でも修羅場を起こしたことがあるかっつーの。そんな半端な男の引っかけ方はしてないってーの」
胸を張って得意げに言う自慢にもならないことを言う母ちゃんの姿に、俺はへえへえと呆れた声を上げることしかできない。
高校生の、というか親子の会話としてどうなんだ。とも思わないでも無いが、これが我が家の日常会話何だから、我ながら異常だと思う。
とは言え、今日はまだマシな方だ。少なくとも、母ちゃんの顔が腫れあがっていないし、体のどこかの骨が折れて倒れて動けない。ということも無い。
そうなると、話し云々以前に何もしゃべることなく、ただ延々と俺に謝り続ける母ちゃんの身体に、俺が黙々と傷の手当てをするだけの時間が流れるだけで、この上なく苦痛に苛まれる。
……ガキの頃から、母ちゃんの身体に包帯を巻きつけている所為で無駄に病気や怪我に詳しくなったのは、誇ってもいい事なのかどうか。
母ちゃんがどういう生き方をするのも、どういう商売をするのかも勝手だ。
少なくとも、そうやって稼いでくれた金で飯を食わせてくれる身分で、それに口を出す権利は無い。
…………ただ、息子として危ないことをすることだけはやめてほしい。とは切実に思う。
「……とりあえず、腹減った。何か食い物は有るの?」
「へ?私が知るわけないじゃん。吉崎のおっさんは何かごそごそしてたけど、最後に全部捨ててたし。何かあるんだったら、私の方が食べたいんだけど?今日は一日中ねてたから何があるのか分かんないし」
「オイマジかよ。俺三日前から家を留守にしてるから、マジで何があるかわかんねえんだけど?」
この三日間、母ちゃんは愛人契約でどっかの会社のお偉いさんと色々と乳繰り合っていたから、そこから逃げる為に俺は暫くネカフェとゲーセンを往復する生活をしていたから、家にある物の内容を把握していない。
急いで冷蔵庫の中を確認すると、中身は完全に空っぽで、しなびたレタスが一本だけ残っているばかりだった。
「……家出る前に、一応中身を買い足していた筈だけど。あっさりと無くなってんなあ。ナンデヤネン」
「うーん?いやあ、ほら吉崎のおっさんって色んなものを突っ込みたがるけど、突っ込んだ後の物って大概捨てちゃうし。それでじゃなーい?」
「何だそりゃ?どこに何を突っ込むんだっつーの。あ!言わなくてもいいからな!聞きたくもねえし、知りたくもねえから」
俺の言葉を聞いて何事か話かけた母ちゃんの機先を制してその言葉を遮った俺は、呆れを通り越した諦めの表情で頭を掻いて、冷蔵庫の扉を閉める。
「まあ、無いもんはしょうがねえや。そんなんだったら、飯食いに行こう。駅前の『大吉屋』だったら、ィ日中開いているから、今でも飯を食えるだろうしな」
「分かった。待って、今から母ちゃんお金と着替えの用意するから」
「分かった。それじゃ、外出て待ってるから早くしろよ?」
「おおけえ、おおけえ。だいじょうぶって」
ネグリジェの裾に手を当てたまま自分の部屋に戻る母ちゃんを尻目に、俺は部屋の外に出て、母ちゃんが出てくるのを待ちながら、長雨が止んで空気の澄んだ、いつもよりきれいに見える星空を眺めた。
※※※
母ちゃんと一緒になって夜の町を繰り出した俺は、母ちゃんを連れて駅の近くで開いている牛丼屋に入ると、そこで一番安い牛丼の大盛りの食券を買い、ついでに母ちゃんの分までチーズを懸けたレディースサイズの牛丼の食券を買う。
「はあ、やっぱりケンちゃんは凄いねえ。もうとっくに自分で自分の稼ぎは手に入れていて、私の分までお金を出しているんだねえ。私には全然できないよ。今でも、どこかのおじさんに縋ってお小遣いをせびることしかできないもんね」
俺が自分の財布から取り出した『ブラックリバー』の会員証を使って会計をしている横で、ごく自然に自虐の言葉を吐く母ちゃんの姿に、俺は一瞬奥歯を噛みしめる。
怒鳴り声を上げて、母ちゃんのその言葉を否定したかった。
そんなことねえ。母ちゃんは凄い人だ。と、大声を上げてそう言ってやりたかった。
でも、そう言おうとする俺の脳裏に浮かぶのは、男に媚びを売り、馬乗りにされて男に殴られ、そして、俺に謝る母ちゃんの姿だった。
その頭の中の母ちゃんの姿に俺は否定の言葉をかけられず、出てきたのは当たり障りない言葉だった。
「……………そうでもないんじゃん。つーかいいのかよ、こんな時間に飯を喰ったら太るんじゃねえの?」
「それを言ったら、ケンちゃんもじゃーん?」
「いいんだよ、俺は。毎日学校の奴らを半殺しにしているから、それで十分につり合いが取れている」
「またそんなことを言って!そうしてたら、何時まで経っても友達なんかできないよ?」
「大丈夫だよ。それなら、とっくの昔に見つかっているから。それに、そうやって友達と一緒に殴り合っているから、こうして金も手に入っているしな」
まるで子供の様にあざとく怒る母ちゃんに、俺は財布から取り出した会員翔を見せながら、軽く笑う。
そう、あのゲーム、『幕末人斬り伝』では人を斬った分『斬ポイント』というポイントが溜まり、逆に斬られた分だけ『斬ポイント』は減る。
そしてこのポイントは世界最大の仮想通貨である『ノウイング』に変換できる。
つまり、あの世界では人を斬れば斬るだけ、金が手に入る。
今日もあのゲームで目につく奴ら全員を肉塊にするまで切り刻んだお蔭で、俺は今こうして母ちゃんの分の飯代まで出せている。
この、ポイントの換金システムは俺がこの四年間を薄暗いゲーセンで過ごすことの大きな理由になっている。
だが、俺が今もこうしてあのゲーム、幕末を続けているのは、もっと単純で、別な理由からだ。
子供のころから、暴力が好きだった。
というよりも、暴力だけが俺の持ちうる力の全てだった。
頭も悪けりゃ、見てくれも悪い。カネも無けりゃ、ひょうきん者でもない俺は、いつもクラスでは浮いていた。
ハブられるだけなら別に文句もねえし、友達がいないことも耐えられた。
ただ、それが理由で弱いと言われるのが無性に腹が立った。
弱いことが理由でイジメられるのが耐えられなかった。
だから、全員暴力で黙らせた。
男も女も関係ねえ。って言うか、俺の母ちゃんを半殺しまで殴る男が外では褒められる立場にいる癖に、身を守るために戦う俺が責められるのは理解できなかった。
だけど、そんな理屈は社会では通用しなかった。
俺が虐めたら弱い者いじめになるが、俺が虐められるのは悪い奴を倒しているだけ。
そんなクソみたいな理屈が、中学に上がる前の日常だった。
中学に上がると、そんな日常はよりクソみたいに進化する。
俺と同じでとにかく暴れまわりたい奴ら、今まで見たいにひたすら俺を見下したい奴ら、とりあえずそんな奴らに合わせている奴らが俺に喧嘩を売って死にかけるほどの喧嘩をして、そして学校の中では浮く。
そうやって、行き場がなくなった俺があのゲームに出会ったのは、天命だったのか、宿命だったのか。
あの世界では、暴力がすべてだった。
何よりもわかりやすく、目につく奴らの全員が敵で、目につく奴らの全員が獲物で、そして、目につく奴らの全員が俺を称賛してくれた。
或いはクソゲーと呼ばれ、掃き溜め其の物の様なあの世界は、俺の全てを認めて、受け入れ、そして肯定してくれる、ただ一つの居場所になった。