急行
相手は一、二キロ先――カサエーの街道でなら、全軍が急いで小一時間程度の距離だった。
しかし、問題は御先祖様の継ぎ足した支道があることか。
ちょうど丁字路の状況だ。僕らが横棒の端に、相手が縦棒に位置している。
「若様、申し上げ難いですけど、撤退を勧めますぜ。千対四百もの戦力差が、覆った試しはねえです」
さすがは筆頭百人長のシスモンドで、戦術家として正しい判断だ。
前世史でも二倍半の戦力比から絶望的といわれ、それでも勝った例は全てが伝説化している。
しかし、戦術的に正しかろうと、戦略的に間違っていた。
「駄目だよ、そんなことはできない! 僕らが見逃せば、必ず敵はドゥリトル城下まで押し寄せる。ここで全員が討ち死にしようとも、絶対に食い止めねばならない!」
兵家が本拠地を見捨てたら、何の為に集ったのか分からなくなる。武門としての名誉や誇りどころか――拠り所の全てを喪ってしまう。
……信義を重んじるからこそ、暴力装置は正しくいられる。
そして街道の欠点が浮き彫りになっていた。
自分達が同盟領へ急行できるように、敵対勢力にも機動力を与えてしまう。……こうなると廃棄や分断すら検討したいぐらいだ。
でも、通常の警戒網は何を? いや、今頃は領都へ急報が届いて?
「ならば次善の策で、いまから可能な限りに進軍を。見敵と同時の突撃をも視野に入れた強行軍です。……おっぱじめるのなら、狭い道の方がマシでしょう」
なるほど。
歩道も含めて七、八メートルもあるカサエーの街道より、幅三メートル程度な支道の方が守り易い。
この狭い道――隘路の戦術的優位は馬鹿にならなかった。
映画『300』のモチーフにもなった『テルモピュライの戦い』でも、僅か七千の寡兵で二十一万のペルシア軍が押し止められている。
その際、街道の最も幅が狭い部分は十五メートルほどだったという。
『テルモピュライの戦い』に倣って、序盤で支道を押し進めるだけ進み、会敵したら『隘路へ立て籠もりながら追撃』の形とするつもりか。
「その案でいこう。細部は任せるよ。今のうちに聞いておくべきことは?」
「この場で隊の分割を。タウルス殿、どちらか任せても?」
「ふむ。ならば俺は鈍足たちの面倒を。若には幕僚長殿が必要だ」
寡兵をさらに割いてでも、ここは速度を重視するべき瞬間か。
いや、倍の戦力差を引っくり返すつもりなら、もうイチかバチしかない。
「決まりだね。 ――皆、支道まで駆け進むよ! 荷が重いものは下ろしても良し! 運ぶのはタウルス達に任せるんだ。それでも最低限度の具足と武器だけは持つように! 何もかもは、支道を獲ってから考える! 皆、ドゥリトルを守ろう!」
不格好ではあったけれど、なんとか鼓舞に成功した。
前方を指し示す指揮杖へ、皆の剣や槍が応じて掲げられる。進軍の開始だ。
進みながらもシスモンドは再編に余念がなかった。……僕ら騎兵はともかく、徒歩の兵士は走りながらで大変だ。
しかし、後続のタウルス達は平気だろうか?
迂回挟撃を狙われたり、伏兵による分断策を使われたら、もう為す術がない。完敗どころか全滅すら起こり得る。
いや、主力となった僕らだって、継戦能力は甚だ心許ない。
タウルス達と再合流を果たす前に散開などを強いられたら、その時点で落ち武者も同然だ。各個撃破どころの話じゃなくなる。
だが、それら全てのリスクに目をつぶっても、僕らには優位が必要だったし、なんとしてでも戦いへ引きずり込まねばならなかった。
ここで時間を浪費させてしまえば、きっと領都の方でも異変に気付く。どころか討伐部隊が向かっている最中かもしれない。
遅滞戦術に千金の価値があった。……僕ら全員が、ここで討ち死にしようともだ。
そんな焦燥感に焼かれながら進むと、ようやく支道への入口が見えてくる。
しかし、支道からの出口付近に、ゲルマンらしき集団も確認できた。
伝統的な蛮族の青はガリアと同じでも、僕らの差し色は白で、ゲルマンやケルトは黒だ。慣れれば意外と見分けられもする。
「……最悪です。相手に気付かれてたようで。 ――全軍! 並足! 体勢を整えるぞ!」
「どうしよう?」
「欲しいものは変わらねえんですから、押し通るだけで。まずは投石と矢で相手を怯ませて、そこへ騎士さん達が突撃。相手が逃げた分だけ前進の算段で」
……つまりはゴリ押しか。
しかし、躊躇していたら、その間にもカサエー街道を進軍してくる。いまは急ぐべき瞬間だ。
「おら! 兵隊共! 仕事の時間だ! つべこべ言わずに大楯で壁作れ!」
シスモンドは強襲へ体勢を組みなおし始めるが……――
「ねえ、幕僚長? ゲルマンの人達……足を止めちゃってない?」
「へっ? そんな馬鹿なことしねえと思いやすぜ? なんといっても相手の方が多い……ありゃ? あいつら支道へ立て籠もる算段ですね」
細かく観察可能な距離になると、相手の布陣も――意図も読み取れる。
なぜか僕らと同じく盾兵を前面に展開した防衛陣で、カサエーの街道を前進する気はなさそうだった。
「まてよ? ひょっとして奴ら……こっちの数が判ってない?」
なにやらシスモンドは人の悪そうな顔で考え始めちゃったけど、これが文明化されていない戦争の恐ろしさか。
まず、ほとんどの場合で両陣営共に正しく状況が理解できてない。
敵の総数どころか、相手の正体すら不明なんてのもざらにある。
後世の人々は諸条件全てを勘案して戦争指導者を批判するけど、当時の人にいわせれば甚だしく不公平だ。
まあ、だからこそ判らない情報を知力で補える人――軍師が重要な時代だったりするんだけど。
しかし、なぜゲルマンの人達は立て籠もって?
こちらとしては隘路で戦ってくれるのなら万々歳だ。結果として当初の予定通りに、相手へ狭さを押し付けられる。
だけど、ここで相手が馬鹿だからとか、間違えたとかで済ませるべきじゃなかった。それでは気付いたら絶体絶命の可能性が残る。
つまり、相手は「最適解として支道への立て籠もりを選択した」で考えてみるべきか。本当に裏があるのなら、それで判明する。
だけど支道に立て籠もるメリットは、敵が多くても勝負になるぐらいしか……――
うん?
素直に読み解けば、こちらより相手が寡兵? 千人いるのに、四百の僕らより少ない?
それとも前方警戒の斥候が間違えた?
いや、さすがに四百以下を千と観測しないはずだ。目視の印象頼りとはいえ、そこまで大きく間違わない。
そもそも千もの大軍を、どこの部族が?
北方の目ぼしい部族は、レイルの争乱で傍観を決め込んだぐらいで、余裕か野心のどちらかがない。
逆に、こちらを相手は千以上と考えた?
なくもないけれど、しかし、野良な軍隊――それも千以上の規模でなんて、まず想定しない。普通なら存在しないのだ、この辺境には。
それにいまや一目で僕らが四百以下――後詰と分かれたから三百以下か?――とも分かる。
相手は寡兵と知れば、広い場所へ陣取る――カサエーの街道へ展開するのが定石だ。
なのに立て籠もる構えのままで、動きはなかった。
「……そういうことか。 ――全軍停止! えっと……とりあえず相手の奇襲とか警戒する感じに! それとタウルスとの合流を優先して!」
「お、御曹司!? いま良い感じに閃いて……それに止まっちまったら、奴らが街道まで出てきちまいますよ!?」
……なぜだろう? シスモンドの閃きは、詳しく聞きたくなかった。
「大丈夫。それはない。いや、その方がマシまである? どうするかは別の話か。それは考えないと……ちょっと待ってね……あー……とにかく相手は動かない。賭けてもいいよ」
名称の理由なんていう場違いなことに思いを馳せながら、請け合っておく。
……専門家というものは、あれで無駄なネーミングをしないものだなぁ。
「ティグレ! 腕利きで胆力に優れた騎士を三名――いや、二名ほど募って」
「御指名を頂けるとは、至極光栄の至り。しかして、何を為されるおつもりで?」
なんだか乗り気になっちゃったけど、直衛部隊の指揮はどうすんの?
いや、これでティグレは剣匠だし、領内で一、二を争う腕前なのも事実か。
「普通に口上を述べに――いや、この場合は聞きに、かな。矛を交えるにせよ、宣戦布告ぐらいはしてもらわないとね」
「なるほど。御名代として相応しい、誉れある御振舞い! このティグレ、感銘を禁じえませぬ! さすれば露払いの役目は、我らにお任せあれ!」
……もう完全に冒険を楽しむノリだ。どうして騎士って人種は、こうなの!?




