カタラウヌムの戦い(一)
司令部の大天幕へ、ベクルギ騎兵の指揮官ヒルデブラントが入ってきた。何名かの副官も引連れている。
改めて考えるまでもなく、この時代にあって彼らは異質だ。
その構成人員の殆どが戦士階級で構成されていて、予算は北王国とベクルギの両国から捻出だから、もっとも近い形式はローマの軍団兵か。
ただし、騎兵単科の。
それは近代国家というパトロンを得るまで存在し得なかった。少なくとも前世史では。
また誉れある戦士階級だけの軍は、逆に古代式のままともいえたけど……もう封建国家化の始まったガリアやゲルマンには馴染まない。
なぜなら彼らの身分や権利は、日本でいうところの侍大将や戦国大名に匹敵するからだ。
僕と変わらない専門教育を受けたトップエリートで構成され――
北王国に旧ベック族、旧ルギ族の三カ国規模から予算を得て――
それでいて一つの指揮系統下にある。
もしかしたら近代の騎兵隊より優れているのかもしれない。
ヒルデブラントに説明するべく、数多の駒が並べられた地図へと近寄り――
両手で北王国の駒全てを集め、そのまま敵陣の真ん中へと進める。
「全軍で前進し、このように布陣を変えるつもりです」
だが、しかし、ヒルデブラントは不思議そうな顔をしていた。
……駄目か。あまりに無謀過ぎて、理解の範疇外?
「もし陛下が俺なんぞの意見を御求めであられるのなら、ただ一つを。
参謀長閣下は、この策を承諾されて?」
僕が雑に動かした駒を整えつつ、憮然とした表情のシスモンドが答える。
「朝早くに叩き起こされ、首を縦に振るまで陛下から説得を。
小官の好きなやり方じゃありませんし、いまでも反対ですが……まあ司令部の総意ではあります」
その言葉を請け合うとばかり、二人の選王侯も無言で肯く。……アンバトゥスは面白そうに。ベリエは緊張の極みで。
「ならば俺などが申しあげることは、なにも――
もちろん先陣の名誉は、我らが賜るということで?」
それは皮肉や当て擦りでなくて、真剣に心配しているようだった。
「違うんだよ、ヒルデブラント。これは決死の任務となるから、当然に拒否権も――」
しかし、優し気な表情で首を振られ、皆まで言わせて貰えなかった。さらに後へ控える副官らも続く。
「御身こそ威厳 ただ示されよ! 討ち滅ぼす敵を! 切り拓くべき道を!」
「我らが一族は赤子に至るまで、リュカ様の下僕! いまこそ御恩を!」
……僕は狡い。
ここまでの快諾は予想もしなかったけれど、ベクルギ騎兵ならと確信もしていた。
そして命より大切なものの為と、掛け替えのない命を他人に懸けさせる。もはや二枚舌の大悪党でしかないだろう。それでも――
「騎士ヒルデブラント、貴殿らに先陣を任せます。我らに道を!」
「御意! 露払いは、我らにお任せあれ!」
決死の任務だというのにヒルデブラント達は、微笑んですらみせた。
ベクルギ騎兵なら、必ずや切り拓いてくれるだろう。……その命に代えてでも。
「全兵員に糧食を――上等な食い物の振る舞いを進言します、陛下」
かつてないほどに仏頂面なシスモンドは、まるで何かを諦めたかのようだった。
「全て、良いように。……叶うのなら、全兵卒に兵糧菓子の追加支給も」
「あと酒だ。一人につき一杯の配給を。……俺だけが飲むとはいかぬしな」
そう言い捨てるベリエだけど、きっと当てが外れたのだろう。常識的にヒルデブラントが断り、作戦は中止されるという読みが。
「流石ですぞ、ベリエ殿! 先ず口を湿らせておいた方が、より死狂るえましょう!」
が、逆にアンバトゥスは、いまから大戦争だというのに饗宴気分だ。……人選ミスったかなぁ。
「先に動いた方が負ける」とでもいわんばかりに停滞していた戦場が、大きく動いた。
誰一人として想像だにしていなかった北王国の大攻勢によって。
それも東部・フン族同盟軍の、ど真ん中を通打するべく!
が、現代人であれば、そんなことは不可能と断じるもしれない。
まずは時代なりの事情を御理解して頂く必要がありそうだ。
東部とフン族の同盟軍を擬人化して考えたら、おそらく一人の巨人を思い浮かべられると思う。
そんな益荒男を二分なんて、凄惨な力技を連想をしちゃいそうだけど――
実情は、ぜんぜん違ってたりする。
どちらかといえば東部軍で一個人、フン族軍で一個人と――つまりは二人の別人が手を繋いでる状態に近かった。
よって手を繋いでるところへ、同じような人数が突撃すれば、容易く二分できてしまう。
これは東部・フン族同盟軍に特有な問題ではなく、どこの軍勢だろうと似たようなものだった。
北王国だって僕の直属軍、元々はドゥリトル所属だった北王国軍、ベリエ率いるスペリティオ領軍、アンバトゥスのフィクス領軍と、大きく分けても四人に。細かく分けたら、もう何十人ともなるし――
やはり、それらでスクラムを組んでいるだけの別人の集団ともいえた。
また、この一人ひとりは決して混じりいったりできない。
それは個々人の雇用関係に起因し、参戦の大前提であり、けっして覆されることはなかった。
集団で一個な巨大生物の如き振る舞いは、近世以降――ナポレオンの時代あたりまで待たねばならない。
……限定的ではあっても、それが可能な常備軍は、やはり時代の鬼子か。
さらに全軍突入の叶った理由は、死に物狂いで防ぐ必要が無かったからだ。
なるほど東部・フン族同盟軍という大きなケーキは、北王国軍という大きな楔で分断されてしまった。
でも、それで?
確かに分断されてしまったら、各個撃破されかねない。
しかし、同時に敵を挟み撃ちの好機とも! むしろ敵軍が自分から窮地へとすら!?
「こんな馬鹿げた戦術、聞いたこともねーですよ! 自分から突出し過ぎて不利になろうなんて!」
「……しょうがないだろ? 誰かが勢子となって逃げ道を塞がなきゃ――
フィリップ王に逃げられてしまう」
「小官は卑賤の出にて、鹿狩りなんて嗜んでおりません! 分かりかねるってもんです!」
これは戦略的に必然の行いが、戦術的な大失敗である好例か。
なんとしてでもフィリップ王一人に漁夫の利をせしめさせてはならなかった。
おそらく大局的に詰んでしまう。その予感が確かにある。
だからこそ不利を承知で初手を獲り、それでフィリップ王の退路を塞ぎ、否応なく戦場へと引き込んだ。
戦略的には、まったく問題ない。……戦略的には。
「なんと南部は呼応したぞ? 信じられぬ!?」
ベリエの言葉に南部の様子を窺ってみれば、確かに全軍で動いていた。……馬上からなら、さすがに僕でも見える。
「……早いな。まだ伝令は届いておるまい。独断か?」
アンバトゥスは何かを期待している風だった。……さすがに鼻が利く。
もちろん歴史の『強制力』やら『特異点』なんて微塵も信じていない。
が、それでも南部・ゴートの同盟軍は、特別な者ばかりだ。
まず前世史では南部を率いるテオドリックからにして、この『カタラウヌムの戦い』の勝者――つまり、日本の関ヶ原でいうと徳川家康にあたる。
そしてゴートのタカ派指導者なグンテルには、ジーフリートも帯同しているだろう。
彼に至っては、半人半神で神話の住人かつゴート系最大の英雄にあたる。日本でいったらヤマトタケル級か。
もしオカルトパワーなんてものがあったとしても、その力が南部に適う勢力はいないし――
「南部のフォローでフィリップ王の半包囲は成りました。これは重畳ですね」
「なに落ち着き払ってんですか、陛下! 相変わらず我が方も、包囲殲滅されかねませんよ! 西部軍に――王太子に動かれたら!」
「確かに参謀長殿のいうとおりだ。このまま後背を突かれては……――」
安心できる任務だろうと後詰を頼んだのに、まだベリエは疑っているようだった。
常識的で話せば分かるし……その野心も分かり易い。
ことの序に政敵でもある自分を削りにくるかもと、無用な警戒をしているのだろう。
なんとも野心家というのは、大変だ。疲れてしまいやしないのだろうか?
「あ、あれですよね! 陛下! いつものように陰謀を一つ二つ隠し持って――
例えば王太子殿下との密約とかを!?」
……これは嫌味の当て擦り……かな?
が、なぜかアンバトゥスは、期待に鼻を膨らましてる! クリスマス・イブの子供じゃあるまいし!
「いくら僕でも、それを内緒にしておく訳ないだろ! 冗談は、その辺にして――
そろそろ本陣の設営はじめて。長丁場となるんだから」
しかし、上手いことやり返したはずなのに、なぜか落胆の溜息で応じられる。
……なんでガッカリされなきゃいけないんだ?




