三竦み
俄かにドゥリトル城の人が増えた。
まず特筆するべきはティグレ夫人――レディ・フルールか。
なんと我らが剣匠ティグレは、妻帯者だった! それどころか息子まで儲けてたし、もうすぐ二人目すら!
それで前倒し気味ながらレディ・フルールが、生まれてくる弟か妹の乳母に内定となった。当然、お腹の中の子は、乳きょうだい候補で。
さすがに先回りし過ぎと思わなくもないけれど、まあ家格的に早過ぎでもない……と思う。
しかし、この大人しくて控えめそうな貴婦人が、なんと姉弟子の親友だったりする。
未熟な頃の失敗を全て知られている上、嫁さんの親友――もう詰みに等しいのではなかろうか? どおりでブーデリカに頭が上がらない訳だし――
フォコンが独身主義なのにも肯かざるを得なかった。
ローマ共和政時代の残滓で、現役兵士の結婚を忌避する思想もあったけれど……それだけとは思えない。ティグレの窮状を見てしまうと、特に。
あるいはなんでもできるフォコンといえど、円満な結婚は難しい!?
また当然だけどティグレ一家の長男――ティグレ・ジュニアも城へ上がっている。この子が可愛らしい子で――
弱冠五歳という幼さで、母上達の護衛とばかりに頑張っちゃっている!
……あやうく不審者として噛みつかれかけたほどだし。顔見知りだった義兄さんが止めてくれなかったら、けっこう危なかった。
どうやら憧れていたサム義兄さんと同じ立場と喜んでるらしい。
いつかは子虎少年がサム義兄さんの弟子として騎士を目指す日が来るのだろうか?
さらに護衛といえば、子虎少年の後をモフモフの仔犬が付き従っている。……ゴールデン系統の祖先だろうか?
とにかく生まれてくる僕の弟か妹の守り犬に違いない。
タールムにも、こんな頃があったのかなぁ? そのうち義姉さんか義兄さんに訊いてみよう。
それと何時の間にかタールムとバァフェルの息子や娘たちは、ジュニアを除いていなくなっちゃったけど――
こんな風に貴人の家々へ貰われていったのかもしれない。
同じことの繰り返しなようでいて、少しずつ変わっていく。能うのならば、より良き方へ。
それが伝統というものなのかもしれない。
他にも二人目の孫の誕生に立ちあおうと、ゼアマデュノから御祖母様がいらっしゃったし――
いつまでも王都へ帰らない僕に痺れを切らしたのか、レト義母さんに連れられネヴァン姫達も――僕の彼女達もドゥリトル城を訪れている。
……まだ数えで十五歳というのに片手じゃ数え切れないほど恋人がいるなんて――
もしかして僕は、どうしょうもなかったり!?
でも、僕と彼女達より不可解かつ大問題なのが、義兄さんとブリュンヒルダ姫だろう。
なんでもエステルとルーバンの説明によれば――
「ブリュンヒルダ姫はプロポーズをし、それを義兄さんは断らなかった」
らしい。そんな馬鹿な!
僕も目撃していたというけれど、そんな記憶はないし、事実だとしても――
「女の子というものは、挨拶代わりに『お嫁さんになってあげる』という生き物だろ?」
と諭したら、全員から白い目で見られる始末! どうして!?
仕方ないので義兄さんと二人頭を突き合わせて考えてみるも、いまいち妙案が思い付かない。
義兄さんも義兄さんで――
「ブリュンは、もう友達みたいなものだし……あまり可哀そうなことをしたくないし……これで仲違いしちゃうのも……」
と煮え切らないし!
もう不機嫌な十代となってしまったルーバンが、機嫌を直すまで待つしか!?
僕らを窮地から救い出す悪知恵を捻りだしてくれるだろうし! たぶん、きっと! おそらく!
だが残念なことに、母上の出産や義兄さんの窮地脱出にだけ注力とはいかなかった。
……まだ医者や産婆の説得が残っているにも拘らずだ。次の話し合いは、過激なものとなりそうだというのに!
それというのも間の悪いことに、不都合な形で『天下三分の計』が機能してしまったからだ。
ガリア王と王太子、そして北王たる僕――この三名の内、誰一人として動けなくなった。
なぜなら誰が誰を狙おうと、残った一名に漁夫の利を与えてしまう。
そして動けぬのであれば、動かずに対処――
つまり、出来得る限りに戦力を温存しつつ、南部統一を促さねばならなかった。
「問題ないのではないか? 時間は掛かるやもしれぬが……余程のことがなければ、南部統一は為ろう。我らに友好的な指導者によって?」
長い沈黙の後、北王国の軍務大臣格たるロッシ老は見解を示した。
「いや手間取るのが大問題よ。陛下も御懸念されておるが、フン族めらの版図が――アッチラの土地とか申す領域が広がり兼ねん。我らの手に余るほどにの」
それを外務大臣格たるソヌア老人が正す。
……僕も同じ見解だけれど、他にも情報を得ているのだろうか?
「さらに王太子殿下の動向も気になります。かの御方が、この劣勢を看過とも思えません」
内務大臣格たる父上も同意とばかりに難色を示した。
……確かに。このまま指を咥えてみているってことだけは無いだろう。
「いっそのことガリア王の提案を受けてしまってはどうか?」
やや早口で同じく選王侯なスペリティオ侯ベリエが捲し立てる。……困った人だ。
「いまさらガリア王からの承認など不要であろう、陛下? それならば王太子との交渉に入った方がマシというもの」
それへ無言を通していた最後の選王侯――フィクス侯アンバトゥスが反対した。
……事態の推移を楽しんでる? 世捨て人というのも、違う意味で困りものだ。
「やはり出城が、少しばかり多過ぎたからでは?」
ライン南岸の代官格なウシュリバンも、やんわりと当て擦る。
独断でベリエが縄張りした城は、東ガリアに近過ぎるとの非難だろう。
「……ライン南岸は、陛下の……あー……ライン川防衛構想よ! それに口を挟むは、不遜であろう!」
賭けても良いけど、いまさっきまで『ライン川防衛構想』に配慮してなかったはずだ。
「いかなる意見であれ、リュカめには聞く用意があります。しかし、出してしまった以上、そう簡単に城を捨てることは適わぬでしょう」
この取り成しを聞いてベリエは勝ち誇り、ウシュリバンは微笑む。
……簡単にでなければ捨てられると、受け取ったらしい。あるいは受け取れなかったというべきか。
「やはり我らが南部へ赴き、埒を明けてしまうべきでは?」
友好国のベクルギを代表し騎士ヒルデブラントが進言してくる。
……当初予定では、そうだったんだけどな。
「それだとアッチリアに隙を晒してしまいます。情勢の見極めがつく迄、ライン南岸への戦力は手抜けぬでしょう」
ちゃっかり給仕係として潜り込んでるエステルから珈琲を受け取りつつ、提案を却下する。
おそらく皇太子に漏れるだろう、いくつかの情報は。見合ったリターンがあれば良いのだけど。
現代人へアッチラの土地を説明すると、最も実情に沿っているのは『武装勢力』だったりする。
つまり、母体が国や領土、民族、思想、信条ではない。
時代を問わず、常に騎馬民族帝国は、それらを縛らなかった。
逆説的に、あらゆる民族が、あらゆる国家が、あらゆる信仰者が、その旗下へと馳せ参じ得る。
ただアッチラを唯一の指導者と認めるだけで。
それだけがルールな寛大さと――
敵対者を決して許さない狭量さをも兼ね備えていた。
また、おそらくアッチリアは、上ライン北岸――ドイツ東部が中心だろう。
それなら東ガリアも後顧の憂い無く――ゲルマンの南下に悩まされず、僕や王太子の対処に専念できる。
さらに同盟の対価も朝献――単純な金銭契約に違いない。かの漢帝国がそうだったように。
なぜなら彼らは属国が関係を『従属』と見做そうが、『同盟』と考えようが、まったく頓着しない。……その対価を支払い続ける限りは。
それ故か何度となく同じ命題にも悩まされる。
果たして多大な犠牲を払ってでも、フン族と対立するべきだろうか?
彼らに恭順し、アッチラの土地の北王国領という道もある。
戦うことが目的でない以上、望ましい結果さえ手に入るのであれば――
そんな迷妄を振り払うかのように、臨時の宮廷へ伝令が駆け込んできた。
「奥方様にあらせられては、ご出産の兆しを!」
もしかしたら僕は、今夜、お兄ちゃんに!?




