転章・潮流
もうドゥリトルは僕の地元でなく、いまや出身地か実家と呼ぶべきなのだけど――
それでも城が見えてきたら、やっと帰ってこれたと思ってしまう。……独立心が弱いのかもしれない。
さらに今回、ほとんど気分は凱旋将軍だったから、感慨も一入といえる。
僕は、勝った!
確かに南部は、これから戦禍に塗れる。それを決定づけたのも僕だ。
でも、ヨーロッパ全土が五百年も混迷するより、南部統一戦争の方が――ゴールの明確な方が、まだ救いはある。
長引いても数年で終わるだろうし、最悪の事態と比べれば、その被害は無きに等しい。
ただ、前世史を知らぬ者には、非道かつ利己的に映ることだろう。
もしかしたら後世の歴史家とやらは、僕を戦乱を玩ぶ狂人と誹るやもしれない。
しかし、そんなのは織り込み済みで、覚悟の上だった。
人知れず敗北に呻くより、独り成果にほくそ笑む方が遥かにマシだろう。
「ずっと謎だったんだけど……どうしてブリュンヒルダ姫は、僕らに同道してるの?」
「それだ! 俺も確認しておきたかった! リュカが賓客として招いたのかい?」
「いや僕は、べつに……ならステラが招待したのかも――」
馬を進めながらな僕と義兄さんの雑談に、なぜかルーバンが血相を変えて乱入してきた。
「ちょっと待てサム! それ……マジで言ってんのか!?」
エステルに続き?不機嫌な十代となったルーバンは、最近、僕や義兄さん、ポンピオヌス君へのあたりが厳しかった。なにが気に入らないんだろう?
ただ、話を聞いていたらしいポンピオヌス君も唖然としてたから……なんというか嫌味の類ではないようだ。
「なあ、ステラ? ブリュンヒルダ姫は、ステラが招待した――」
どうしてかエステルは、馬上で頭を抱えていた。我が義妹ながら器用だな。
「それじゃ俺がブリュン本人に訊いて――」
「とんでもありません、騎士サムソン!」
なんと従士ベロヌが強い口調で義兄さんを叱った。
この礼儀正しい妹弟子が口を挟むなんて余程のことか。でも、なんで?
「もういいじゃない、にいさん達……ブリュンヒルダ義姉様は、私の客人。それで……」
なぜか虚ろな目のエステルは、乾いた笑いを漏らす。
……まあ、それで別にいい……かな? 姫が誰の客人であろうと。
子細は分からないけれど、なにがなんでもガリアを訪れたかったらしいし。
やさぐれるルーバンを宥めるベロヌを眺めながら、そう結論づける。下手な考え、休むに似たりだ。
しかし、なぜブーデリカは、そんな弟子に溜息を?
わざわざ城の正門まで父上と母上は、出迎えにいらしてくれた。
形式的には主従関係とかの――そういう立場的な理由もあるけど……まあ普通に親愛の情を示して下さったのだと思う。
そして二人から一歩下がる形で着飾ったポンドールと、それに付き添うかのようなグリムさんが。
ネヴァン姫の姿が見当たらないけれど、おそらく彼女は王都だろう。
たぶん「留守を預かる身として、なんとかかんとか」と理由を付け、居残ったのじゃないだろうか。
当然に女の子達の監督役なレト義母さんや、女官長を自認しているダイアナ義姉さんも右へ倣えだろう。
なので後にはドゥリトルの騎士やら北王国の官僚などが続くのだけど――
そんなことより母上のお腹が大きかった!
「ど、どうされたのですか、母上! そのお腹は! 御病気ですか!?」
「挨拶もそこそこ、突然に何を言い出すのですか、吾子は! ただ母は、身籠ってるだけです!」
な、なんだって!? こ、こんな小さな女性を……に、妊娠させるだとッ!? 父上は鬼かッ!? 僕のッ! 僕だけの母上だというのにッ!
「――義兄さん! 拗らせてないで、クラウディア様に御祝いの言葉を!」
エステルから小声で叱責されて、やっと正気に戻れた。
そうだ! これは言祝ぐべき慶事じゃないか!
「お、おめでとうございます母上!」
「来年に吾子は、兄となるでしょう」
そういうことだった。生まれるのが弟か妹か分からないけれど――
どっちだろうと僕は、兄として生まれてくる子を守らねば!
「この子は生まれながらにして王太子で、ドゥリトルの跡継ぎでもあるから……少し大変な人生かもしれない。
でもリュカなら直ぐに、その重荷を減らしてくれると信じてるよ?」
そう母上の肩を抱くようにして父上は、白い歯を見せる。
なるほど。確かに暫定的な北王国の王太子に相応しいし、王家とドゥリトル家を分けるのも手か。
さらに重荷を減らすとは――王家の跡継ぎは、自前で拵えなさいという意味だろう。でも、それには協力者が!
……その協力者候補は、まあ例によって怒り狂っているし。でも、今回ばかりは、意味が解らないよ!
「や、やあ! ふ、二人とも! わ、わざわざ王都から出向いてくれたんだね!」
……王妃候補が大勢なんていう気の狂った人生を送ってると、研ぎ澄まされていく勘があった。
これから僕は、厳しく詰められる。間違いない。でも、なぜ!?
目を三角に怒り狂うポンドールと、いまにも泣き出さんグリムさんを前に、ぞくりと背中に戦慄が奔る。
だが、絶体絶命の寸前――
「ブリュンヒルダ義姉様のことは、ちゃんと皆にも説明するから」
なぜか疲れた様子のエステルが、二人を止めてくれた。
ありがとう! 九死に一生とは、このこと! 訳が分からないけど、ありがとう!
「へ? でも……義姉様って……うちらにとっても?」
「そ、それは……なんと申し上げましょうか……喜ばしいことで……」
不思議なことに二人は、面喰らった様子だった。
おそらく女の子が、毅然とした年上の女性を姉と呼び習わす風習だろうけど――
義兄さんとブリュンヒルダ姫は同い年ぐらい――つまりはポンドールやグリムさんとも同じのはずだけど……違ったのかな?
だが、しかし! そんな些細な事よりもぉッ!
僕は虎口を脱した! それが全てだ! さらに咎なく詰められかけたことを非難しても――
「心配させる、リュカ様が悪い」
しかし、据わった目のポンドールは、どうしてか僕を詰め始める! なぜに!? どう考えても八つ当たりじゃ!?
いつもは助け舟を出してくれるグリムさんも、ポンドールの言う通りとばかりな様子だし!
あ、ありのままに起こったことを話そう!
数か月ばかり公務で音信不通となっていたら、王妃候補達に吊るされかけている! 正直、理解不能だ!
さらに相手が複数で同時なのも、非常に良くなかった!
たとえば一人なら――ポンドール一人なら、抱き寄せて謝りでもすることで、ちょろりと有耶無耶にできただろう!
でも、それをグリムさんの前で? あるいは逆にポンドールを放置して?
となれば僕に許されたコマンドは『せっとく』と『あやまる』だけで――
なんとか二人の機嫌を治すのに、かなりを時間を必要とした。……一体全体、僕に何の咎が!?
でも、これを僕は、ちょっと困るけれど家庭的な幸せと享受するべきだった。
なぜなら、やっと手に入れたと思った平穏は、フン族のアッチラ王による建国宣言と、東ガリア王フィリップとの同盟締結で喪われてしまうからだ。
もう僕の尽力を嘲笑うが如く、結局はガリア全土へと戦火は広がっていく。
……すぐそこまで中世暗黒時代が迫ってきていた。




