五十万年前からの伝統
養蜂をしている村の一角には僕の予想に反し、僕の知ってる木箱が幾つか置いてあった。
それは現代人が思い描くような蜂の巣箱で、シンプルな木製だ。ただし、なぜか積み重ねてはおらず、一段のまま幾つも並べてある。
……妙だ。でも、肝心の何がなのかを思い出せない。
とにかく何が起きるのだろうと僕ら四人と一匹は、建物の陰から様子を窺う。
顔だけ縦に並んだ様子――下からタールム、エステル、僕、ダイ義姉さん、サム義兄さん――は、もしかしたら珍妙に見えたかもしれない。
「あの箱が蜂の巣なのかしら?」
「俺が見たことあるのと違う。なんか、もっと丸かったんだけどな」
「あの小父さん、シーツを頭から被って、お化けさんみたいなの」
「たぶん、義兄さんが見たのは雀蜂のだよ。実は蜜蜂って外壁にあたる部分は作らないんだ。適当に木の洞とかを利用するだけで」
なので木箱に蜜蜂が巣作りしても、おかしくはない。むしろ雨風に曝されないので好むぐらいだ。
そして色々と思い出してきた。
驚くべきことに養蜂は、紀元前二十五世紀には実践されていた確実な証拠が発見されている。学者によっては、紀元前一万年頃とする説もあるくらいだ。
しかし、それなのに近代となるまで非常に高価で、たいして生産もできなかったという。
……どうしてだっけ?
などと考えている最中にエステルのいうところシーツのお化け、おそらくは防護服を被った蜂飼いは――
謎に箱の一つを燻し始めた!
なぜ!? いや、なぜも何も煙で燻せば中の蜂は死ぬか気絶かする。
でも、それって天然物な蜂の巣を駆除する時にやる方法で、それでも蜜は採取可能だけど群れが崩壊しちゃって――
思い出した! だからだ!
最も原始的な養蜂は、巣を全壊させて収穫する。
生き残った女王蜂と働き蜂は巣の再建を強いられ、一応は生き残りを狙うも、その成功率は低かったはずだ。
さらに養蜂する側からいえば、群れの生死は以後の収穫と無関係で、つまるところ喪失と変わりない。
そもそも蜂の群れを獲得できるかどうかすら、実のところ偶然頼みだ。
冬を越して春を迎えた群れは新しい女王蜂に巣を託し、それまでの古い女王蜂が働き蜂の半数を連れて旅へ出る。これを分蜂という。
このシーズンに合わせ蜂の好みそうな巣箱を数多く用意し、運よく入居してくれたら養蜂の成功だ。
しかし、そんな苦労の末に捕まえた蜂の群れも、原始的な養蜂では一代限りの使い捨てとしてしまう。
結局は天然の巣を探さないで済むだけだ。非常に高価となるのも止む得なかった。
村の蜂飼いは二人掛かりでノコギリを使って、手際よく木箱の天板を外していく。……助手?の方は小柄だから、子供だろうか?
次いでノコギリを縦に差し込むように使い始めた。巣箱の壁と巣を切離している……のかな?
そして遠目でも解ってしまった。二人は決死といって良いぐらいに急いてる! もしかしたら時間的余裕がない?
「収穫できたみたいだぞ! うん、あれは見たことある。蜂の巣だ!」
「でも、あんなに蜂蜜まみれなの!?」
二人が驚くのも無理はなかった。
いまにも滴り落ちそうなほど蜜を蓄えた蜂の巣は、蜂飼いたちによって大きな容器へ仕舞われていく。
「あっ! 蜂さん、起きたみたい! ど、どうしゅるの!?」
エステルの指さす先には、確かに何匹かの蜂が飛んでいた! ……もしや煙による昏睡が浅かった?
だが、僕らがハラハラと見守っている中、蜂飼いたちは恐るべき選択をした。
なんと『何もしなかった』のだ!
当然、復讐心に燃えた蜂達には刺されるし、何度か苦悶の呻きも上がる。
しかし、それでも鋼の意思で以て仕事を完遂しようとしていた! 見物しているこちらの肝が冷えるほどだ。
「……終わったの?」
「そうみた……いっ!? あの人達! こっちへ走り出したよ!?」
「み、みんな逃げるぞ! ステラ、走れるか?」
「とにかく! 皆、走るのよ!」
そうして僕ら四人と一匹も、手に手を取り合って逃げ出し始める!
近寄り過ぎなかったのと逃走開始が早かったこともあり、被害は勇敢なターレムの鼻だけで治まった。
一匹だけ僕らを狙ってきた蜂を追い払うべく威嚇し、それで刺されてしまったのだ。……鼻を。
まあ蜜蜂での死亡例は少ないし、蜂の針さえ抜いておけば大丈夫だろう。
それに問題は機嫌を直す方法かもしれない。
ターレムにしてみれば護り犬として任務を果たし、いわば名誉の負傷な訳だけど……ご褒美にと骨を貰ってきてくれたレト義母さんが、思わず笑ってしまったのだ。見事に赤く腫れあがった鼻を見て。
それから我が守り犬殿は、ベッドの下に引き籠ってしまった。もうエステルが呼んでも出てきやしない。
まあ、ときおりフニャフニャと文句?を言っているし、自棄気味に骨を齧る音も聞こえる。
案外、明日になったら機嫌を直して出てくるかもしれないから、今日のところは放っておくしかなさそうだ。
なぜなら僕も俄かに忙しくというか……身柄を拘束されてしまっていた。
村人が領主館の庭へ、僕らを歓迎する宴を用意してくれたからだ。
なるほど。一度に入りきれる建物が無いなら、露天の会場とすれば済む。
まるで祭りか何かのような雰囲気だけど、おそらく収穫祭なども同じ形式かもしれない。
そして今や質素な長テーブルの上座は僕の為に開けられ、他の皆も座して待つばかりだ。
……ちなみに着席は吃驚するぐらいに短時間かつスムーズに行われた。
基本的に席次は明らかなのと、それでいて厳密なルールがある訳でもないからだ。
つまりは空気を読むというか、けっこう感覚的な判断で処理されている。
また、こんな時に間が抜けているようだと御馳走にありつくのは難しい。意外と誰も彼もがちゃっかりしているのだ。
ようするに新領主歓迎的な宴で、言い方が悪くなるけど村人からの賄賂的側面もある……んだろうなぁ。
いわば社長と社員な関係となる訳だから、できれば良好な人間関係を構築したいのが人情というものだ。
しかし、それは駄目社長な未来が確実視できる僕の方でも同じこと。精一杯に愛想を振りまいて、好感度を稼いでおくべきだろう。
などと考えつつ僕の席へ着くと――
シンと静まり返って、全員から注目されていた!
あれ、また何かやっちゃいましたか……じゃない! これから『何か』やらなきゃいけないのか!
そして今さらながら凄い光景でもあった。
まず僕や母上、騎士達に用意された、いわば貴賓席だ。下座に村の偉い人?枠なのか、代官のトマを含めて数名ほど村人も確認できる。
この延長線上な次の長テーブル群は連れてきた兵士や文官、村の男衆だ。もちろんジュゼッペも御馳走へありつくべく、適当な居場所を見つけている。
そして長テーブルは品切れとなったのか左右にも急拵えの席があり、それらは村の女衆や子供たちの分らしい。
……うん。意外と人数多いね。
もしかしたら三百人以上いるのでは? いや、もっと? 下手な結婚式より多いよ?
でも、なにか気の利いたスピーチをしなきゃ……いけないんだろうなぁ。
渋々と杯を手に立ち上がる。
「我が親愛なる領民たちよ! 歓待の心遣い、このリュカは嬉しく思う。また、我が父の勇敢なる兵士諸兄! 本日の精勤に領主として村を代表し、感謝の意を表したい! この宴はささやかではあるが、諸兄への労いである。遠慮せず召し上がって頂きたい! 嗚呼、このように話している間にも、せっかくの馳走が冷めて! さあ、すぐにでも村人たちの心尽くしを味わおう! ――ドゥリトルの繁栄を祈って!」
杯を天に掲げ口を湿らす。
……うえ。これ蜂蜜酒だ。前世を含めても初だけど、けっこうきついぞ。
慣れたもので母上や騎士達も「ドゥリトルの繁栄に!」と唱和と乾杯をしてくれた。
……最低限度の面目は保てた……かな?
しかし、着席するや否や、容赦なく義姉さんからツッコまれる。
「ねえ、リュカ? もう少し力を抜いた方が良かったと思うわ? ひび割れてしまってたじゃない、せっかく奇麗な声なのに。あと、ちょっと素っ気なさすぎじゃなかった?」
うん。読み上げる方は慣れるしかないけど、専属の演説の代書屋は雇うことにしよう。絶対にだ。
そして、なぜかエステルは席を立って僕の頭をポフポフと撫でてくれた。
褒めてくれてるのか、慰めてくれてるのか判らないけど……とにかく優しい妹は最高だぜ!
「それよりも食べよう! 凄い御馳走だよ!」
……演説の出来に興味なんてないのか、まあ、我らが腹ペコ義兄さんは通常運転だ。
今回は色々と考えられるケースの内、もっとも判り易いものを採用した。
燻す時間が短すぎるなど、やや創作の都合で盛った部分も。
ちなみに五十万年前の論拠は、人類が火を使い始めたとされるから。
蜜蜂そのものは一億年前に棲息していた証拠がある。




