方針の決断
久方ぶりに会った老人は、もの凄い齢を重ねたかに見えて、まだ六十代のはずだった。
現代日本だと定年すら迎えてない可能性が高く、指導者の場合は若手にすら分類される。……まだ人生が二、三十年は残っているのだから、晩年とすらいえないだろう。
だが、この時代にあっては珍しい高齢で、もう自他共に余生との認識だ。やはり、未開の時代は厳しい。
「お久しゅうございます、若様――いやさ、騎士リュカ」
「ご無沙汰だったね、シュエット。それとも長老シュエットと呼ぶべき?」
「なんとでも、お好きなように。それよりも、まずは御一献を」
そういうや震える手で僕らの空いた盃を満たしてくれる。……今日はかなりの量を飲まさせられそうだ。
「あー……シュエット殿? リュカ様は御即位をされたし、レオン様も御帰還なされ――」
「黙らっしゃい! お主のような洟垂れ小僧に注意されるほど、まだ耄碌はしておらん! 図体ばかり大きくなりおってからに!」
なんとウルスが一喝されて!? それも洟垂れ小僧扱いを!? いや現役最年長といっても、さすがに真の最長老騎士だと?
そしてシュエットは、そんな些事よりもとルーバンを労わる。
「胸を張りなされ。お前さんの師匠は――あの子は、誉れを果たしたのだから」
やっと僕らも思い違いを悟らされた。
この老人は、いまだ現役の騎士だ。なぜなら心の在り様こそが、それを決める。
それから僕とポンピオヌス君を均等に見比べながら――
「いまは分らずとも、お前様も聞いておくがいい。
リュカ様? 御身は迷うておられますな?」
ぎくりとすることを口にした。
「あの子は胸を張って逝ったはずですじゃ。我らはそのように鍛えられ、また鍛えてもおりまする。
されど御身に迷われては、我らが忠誠も甲斐なきものとなりましょうぞ。
そして問題となるは、善悪や正誤ではありませぬ」
半世紀近くを騎士として生きた男の言葉だけあって、有無を言わせぬ重みがあった。
でも、君主たる僕が善悪や正誤に留意しなくて、誰が!?
「大切なのは、御身が胸を張って為されることですじゃ。
いかなる行いであろうとも、御身が真っ直ぐに立たれてていれば、我らに異存などありませぬ」
……極論だ。
でも、しかし、問答無用に納得をも!?
そして世界各地の中世期で、君主の暗殺が成立しなかった理由が分ってしまった。
もちろん、実現が難しいこともある。
しかし、そんな事情よりも、つまるところ王の為すべきではないからだ。
なにより謀殺に頼るようでは、旗下の将兵も納得すまい。
誰かに命を懸けさせるのなら、慰めの華が必要だ。人は夢がなくては酔えないし、狂えない。
そして将兵が従わない王など、ただの道化だ。
時には裏切ることもあるだろう。騙すことや、諮ることも。不意を討ったり、奇襲したりもするかもしれない。
だが、全ては生ける旗印な僕自身が胸を張れてこそか。
……案外に王太子なら、堂々と胸を張っての暗殺を企てそうな気もする。いや、それとも「王侯貴族は互いに狙わないルール」とか言い出すか?
機会があったらエステルに訊いてみよう。調べてくれるかもしれない。
「ありがとう、シュエット。迷いは晴れたよ。自分らしく征くことにする」
「この老骨めが御役に立てたのなら、なによりですじゃ」
応えて不敵に老人は嗤った。
後日、霊窟での一件に影響され、王宮の一角を設計変更した。
そこは城の裏手で、軽くだけどドゥリトル山も登らねばならず――俗に隠れ庭園などと分類される類か。
もう王の私的な庭ともいえる。そんな内々向けな場所へ、シンプルな慰霊碑を建立した。
そうするべきだと――それが正しいことだと思えたからだ。
「金鵞城に建てるか、王宮にするか悩んだのだけど……ここにすることにしたよ」
「……トリストンの奴めには、過ぎたる御心遣いかと」
涙を堪えているのか、ジナダンの目は赤かった。
可哀そうなトリストン。あの日、僕が余計なことをしなければ――僕に発見さえされなければ、まだ生を謳歌できていただろうに。
いや、トリストンだけじゃない。
同じように多くの金鵞兵も戦場に倒れ、やはり慰霊碑へ刻まれることとなった。
……全ては僕の大望が故に。なにか素晴らしいことの為と信じて。
「少し小さくありませんか? これでは我ら全員の名を刻めぬでしょう?」
突拍子もないことを言い出したのは、ベクルギ騎兵を束ねるヒルデブラントだった。
これを不遜と思われる方もおられるかもしれない。
しかし、ベクルギ騎兵も多くの戦死者をだし、その名を目の前の慰霊碑に刻んでいる。
むしろ言外の思いを汲めば、申し訳ない程だ。
「こ、これでも立派な石を探してきて貰ったんだよ! それに……これを埋めきるようなことには、ならないと思うし!」
が、ゲルマンの戦士は不満げだった。
でも、最後の一兵に至るまで、この慰霊碑に名前を刻むとか言われても困る!
僕の使命は、一人でも多く平和な余生を送らせることだし!
「足りなくなれば、また増やせばよかろう。……刻まれた順番に意味がある訳で無し」
「それもそうか」
ジナダンの取り成しにヒルデブラントは納得しちゃったけど、そういうことじゃないよ!?
しかし、なおも言い募ろうとしたところで――
「陛下、これを」
と、同行を譲らなかったネヴァン姫に百合の花束を渡された。
もごもごと礼を口にすると、喪服の奥から控えめに微笑み返される。
一応は婚約が内定している訳で、彼女にドキドキしても拙くはないのだけど……なぜか背徳感を!?
「あ、ありがとう! ど、どうにも男は細かいところに気を配れなくて駄目だね」
「まこと、陛下の仰る通りで。けれど王妃様の御配慮には、あ奴らも感無量かと」
「それはそうかも知れぬが……王妃様と御呼びするは、まだ早かろう? 失礼に当たるぞ?」
「いえいえ! そのような御気遣いは御無用に! ……それに今晩あたり、そうなったとしても――」
我慢しきれずに大きな咳払いをしてしまった。……どうしてか最近、喉がいがらっぽくていけない。
そんな僕にネヴァン姫は不満げだったけれど、こちらにも事情というものが! だんだんと愛人が複数人なことに慣れつつあるし!? 油断してたら流される確信すら!
「ジナダン、ヒルデブラント。昇進だよ。二人とも正式に百人長へ任命します」
現状で二人は百人以上の部下を従えていたし、事実に肩書を追いつけさせただけといえた。
しかし、百人長からは士官であり、敢えて現代風に言えば尉官級で、一般的な騎士とも同格となる。
「そして金鵞兵、ベクルギ騎兵、共に増員を――まずは倍の規模へ増員を考えています。
さらに増員の目途が整い次第、もう一度の昇進を――上級百人長へ任命を」
さすがの二人も驚いていた。
これも敢えて現代風に言えば佐官級であり、つまりは大隊規模へ増員と知れるからだ。
「将来的に、金鵞兵とベクルギ騎兵を束ねる役職は、筆頭百人長へ昇格を考えているのだけど……――」
「へ、陛下? 筆頭百人長の位は、一人で占める慣例ですが? そのシスモンド閣下は――」
「むむ? そしたらシスモンドも昇進させちゃうか! それとも新役職作る?」
退役後の年金生活が楽しみとか宣う御仁には、かなりの嫌がらせとなろう。……一人だけ安穏な隠遁生活など送らせるものか。
それに地主と軍事力の分化は、封建制度から絶対王政への移行で必須といえる。
つまり、純粋な軍事力である軍部は、これから強力に推していかねばならない。
少なくとも地主の軍事力――諸侯や領地持ちの騎士と拮抗可能なぐらいは必要だ。
そして予想される軋轢の矢面にも、シスモンドは打ってつけの人材だし!
「陛下は金鵞兵を、軍団規模へ!?」
その総司令官に筆頭百人長――将官級を据えようというのだから、ジナダンの予測は正しい。
「うん。僕は戦って征く道を勝ち獲るつもりだよ。その為には二人の助けが要る」
なにが相手であろうと――それこそ『歴史の特異点』が相手でも、正道を貫く。……まあ僕なりに?
それこそが付き従ってくれる皆への礼節であり、胸を張って征くということだろう。
「全ては御心のままに!」
「露払いは、我らにお任せを!」
感極まってしまったのか二人は、跪いて臣下の礼を示す。……この習慣、なんとかならんものか。
そしてネヴァン姫! こういうのはうっとりと眺めるものじゃないような!?




