還るべき場所
まるで罰則規定のない停戦協定を結んでしまった気分だった。
誰もが自国の建て直しに腐心している。懸かりっきりの……はずだ。
でも、どこかが一歩先んじて動いたら? 何らかの方法で、この難局も打開して?
たとえば、そう……もの凄い幸運などを理由に。
そんな訳がないと自分に言い聞かせながら、対応に追われる日々が続く。
自分が苦しい時は、相手だって苦しいはずだ。いまは損害の軽減に努めるべきで、動くべきじゃない。
だが、しかし……――
「蕎麦栽培の指導員は? 欠員の補充は出来たの?」
僕の問いへ、即座に少し声のくぐもった文官が答えてくれた。
「補充は何とか。騎士の方々が手伝いを申し出てくれましたし。それよりも候補地の選考で――」
「交通の便が悪いところ――物資の運搬が難しいところを優先で」
「陛下! 買い付け担当の者が、またも予算の無心を――」
「安心して! 用立てるよ!」
「しかし、若! もう領k――国庫に余裕はありませぬ!」
やはり、籠ったセバストの進言は的を射ていた。もう、ほとんど空のはずだ。
「も、問題ない。朱鷺屋に――ポンドールに話はつけてある」
思わず声が裏返りかけてしまったけど、なんと予定通りだったりもする。
……まさかの散財が、だ。
実は密かに北王国――というか正確にはドゥリトル領近郊で、重篤な経済危機が起こりかけていた。
有り体に言うとスーパーデフレだ。
未来技術チートで農村や女性の生産力が十倍となれば、市場の商品量も十倍に増える。
しかし、金本位制どころか、ダイレクトに金を通貨にしている時代、それに応じて流通貨幣を増やせれない。
結果、十倍の商品に対し、全く量の変わらない金貨だから、もの凄く貨幣の価値が上がってしまう。
そんな馬鹿なと思われるかもしれないが、ほぼ近世レベルの生産力を先取りすれば、その分だけ商品だって値下がりしてしまう。
つまり、前世史では、ゆっくり千年かけた変化を数年で!
そしてデフレとなれば金融業の天下であり、地主の権威が失墜する。生産者よりも、現金を持っている者の立場が上となるからだ。
……資本主義の苗床となった、近世の縮図とすら?
さすがに、まだ好ましい流れではなかった。そもそも封建君主は規模が大きいだけで、その実情は地主に過ぎない。
そこで高貴な者の義務として散財を! 一心不乱の散財で以って、インフレ方向へ!
嗚呼、仕方がない! 心苦しくとも、これは君主の務め!
……なに買おうかな? やはり船!? ここはバーンと軍艦や大型貨物船を!
金鵞兵を大増員でも悪くない。むしろ一領地の常備軍から一国の規模へグレードアップは必然ですら!
……などと胸を膨らまs――痛めていたのに、この疫病騒ぎだ。
予定以上の金額を使わさせられたし、想定以上にインフレへも戻せた。
なんとか不可避なデフレへの軟着陸――緩やかな新しい価値観へのシフトも可能だろう。
これだけが唯一、不幸中の幸いと呼べるかもしれない。嗚呼、一生に一度あるかないかの大散財の予定が……。
疫病なんて、大っ嫌いだ、ちくしょーめ!
「……陛下?」
「ああ、悪いね。ちょっと考え事してた。で、なに?」
「集会の禁止令に、唯一神教徒より抗議が。いまこそ疫禍平癒の祈りを捧げるべきだと」
「……べつに集まらないでも、真摯にお祈りすれば神様は聞き届けてくれると思うけどな」
「そうリュカ様が仰っていたと伝えれば?」
「とんでもない! とにかく駄目と! 僕の感想とか教えたら駄目だからね!?」
あやうく聖人扱いされてたのを忘れるところだった。
……カーン教の聖人が唯一神の司祭に宗教的指導したら、もの凄く複雑な問題が発生してしまう。
「カーン教といえば……市井では寺院製の痛み止めが流行っておりますが?」
「嗚呼あぁ!? 駄目だよ、それ! 意味ないから! アスピリンは流感に効かないよ! というか副作用すらあるのに! すぐに止めさせて!」
「はたして聞き届けますかな? いまやカーン教は、その権勢を強めていますぞ?」
「……了解したよ。時間が出来次第、聖母を説教してくる。それで少しは大人しくなるでしょ。それより! 病人には水飴水を飲んで、安静に寝ているよう――」
視界の隅で義兄さん達が入ってきたのが見えた。
……三人して、もの凄く引いている。ドン引きだ。
まあ、部屋にいる文官という文官が、残らず口元をスカーフで覆っている様は、かなり異様かもしれない。
しかし、疫病の対策会議が病気を流行らせてしまったら藪蛇だ。
それにマスクの概念――瘴気というオカルトもセットになってしまうけれど――は、紀元前から発想されている。
スカーフ・マスクをするように説得も、それほど苦労はしてない。
「迎えにきたよ、リュ――陛下」
三人の中では慣れている方?な義兄さんが代表して教えてくれた。
「え? もうそんな時間!?」
驚いて窓の外を見てみれば、ちょうど大きな篝火が点火されるところだった。
それは収穫祭の夜に灯される迎え火で、現世に祖霊を導く目印だという。
……これも西洋と東洋で右回りと左回りに違う、それでいて同じところか。
東洋でも迎え火は焚かれるけれど、それらは個々人で行われる。
だが、ここ西洋では皆で焚き木を持ち寄り、盛大な篝火とするのが通例だ。
しかし、その意味することは同じで、黄泉路を戻られる祖霊が迷ってしまわぬように灯す。
とにかく四人で指定された場所へと向かう。
「絶対に顔を出せって、どういうことだろ」
「ドゥリトル家の習慣に御座いますか?」
「違うんじゃないかな? 少なくとも僕は聞いたことないよ」
それぞれ師匠に厳命されてしまっては、否やはない。……ルーバンだけはウルスからのようだけど。
「何か試練を受けろとか言い出されそうで、少し警戒してるぜ」
まだ沈みがちなルーバンは、そんな憎まれ口を叩くけれど……これで僕らと一緒の時は、気持ちが上向いているらしい。
それに目的地へ――霊窟へ着いたら、すぐに杞憂とも判明した。
予想外に人が多かったし、それでいて畏まった雰囲気に支配されていたけれど、なぜか酒盛りが行われていたからだ。
ただし、騎士だけで。
もう一目で分る。ここには騎士しかいない。
高齢を理由に引退したはずの騎士もいるが、とにかく騎士に叙任された者だけだった。
「よくぞ来られた。騎士リュカ、そしてダマスカス鋼の剣士達よ」
「我らは祖霊達を名代し、貴君らを歓迎する」
お道化るように騎士ティグレが、ついで格式張った挨拶でフォコンが締める。
それへ満足げに頷いたウルスは、質素な盃を僕らへと配っていく。
「我らは師として、御身らを同胞の戦士と認める。そして血肉を喪いし騎士リゥパーに代わり、騎士ルーバン! まずは貴君に一献を傾けよう」
しばし呆然としていたルーバンだったが、並々とエールを――昔ながらのガリアの酒を注がれ、やっと理解の色を示す。
「ああ、今日は収穫祭の――祖霊が現へと戻られる夜。そして俺達が――騎士が還るのなら、霊窟なんですね?」
「我らの魂が戻るのは、この地を措いては考えられまい」
「少なくともリゥパーの奴めは、抜かりなく還っておろう。……酒宴を辞退するような男ではなかったからな」
この場に騎士しかいない理由が分かった。
今日だけは喪った同僚を嘆いても許されるのだろう。
同じ感慨を抱いたのかルーバンは、無言で盃を献げてから乾した。……なかなかの飲みっぷりだ。
「リュカ様、よう頑張られましたな。これまでも何人か弟子をとりましたが、この夜に一献を傾けるのが楽しみでして」
どうやら無事に弟子を叙任させた師匠が、この夜に最初の一杯を献じる仕来りの様だった。
隣を見ればティグレとフォコンも、義兄さんとポンピオヌス君の盃を満たしているし。
ルーバンを見習って、盃を高く献げる。
それで僕にも視えた。ここには歴代騎士達の魂が還ってきている。
……僕のような転生者がいる以上、なにか魂と呼ぶべきものも在るはずなのだから。
そして密かな恐怖――今生が終わっても、また次の生を得るかもしれないという迷妄も晴れた。
人に魂があるとすれば、僕の還る場所はここだ。もう根無し草のように転生することはない。
ほんの少しだけ残念に思いつつも、そう安心もできた。




