パリスィの戦い(三)
案内された天幕は、華々しき戦争の闇――捕虜の尋問用だった。
眉を顰められる方もおろうが、しかし、時代を問わず捕虜の尋問は行われている。
そもそも誰よりも敵情を詳しく知るのは、直前まで敵陣にいた者に他ならない。
当然に欺瞞工作を仕掛けられる可能性もあるけれど、幸いなことに情報源はウンザリするほど手に入る。
敵軍全員が偽情報を持たされでもしない限り、そうそう騙されたりもしない。
また熟練の尋問役であれば玉石混合な話からでも、値千金の情報を掬い上げられる。
その価値を考えたら、止める理由なんて全くなかった。なにより友軍の命が懸かっている。
「陛下!? このような所へ御越しになるとは……」
出迎えてくれたのは、意外なことにリゥパーだった。このような汚れ仕事に従事する騎士は珍しい。
そして尋問の真っ最中だったらしく、粗末な椅子に顔面血だらけな敵兵が縛られている。
……地面には何本かの歯が落ちていた。何人分かにもよるけれど、あまり良い卦とは思えない。
「あまり芳しくありません。どうやら王太子が、すでに陣を引き払ったと――」
「すぐに王太子殿下が、お前らを誅して下さる! 思い知るがいい、僭王と汚れた召使共めが!」
縛られていた兵士は気概を見せ、僕へ必死に血の混じった唾を飛ばす。
慌てて別の尋問官が猿轡をするけれど……まあ、それくらいなら甘んじて受け入れるべきか。
黙認の形であろうと、この拷問をやらせているのは僕だ。その罪科からは免れようがない。
「王太子がイコゥナ攻めを放棄して撤退? 確かなの?」
「何名か同じことを。下士官より上の者を集中的に絞り上げましたし――
いまフォコンが捕縛した騎士にかまを掛けて裏を取っています」
「それなら今日の無理攻めにも説明がつきますね。もしかして王太子軍は、送り狼に悩まされてるんじゃ?」
シスモンドの指摘はイコゥナからの追撃だろう。
「可能性は高いね。というか熾烈な撤退戦の真っ最中だと思う。
実のところ王太子は、ゴート諸族との共闘を目論んでいたんだ。南から陽動を仕掛けさせて、東部の戦力を二分させる狙いでね」
「ちょっ……初耳ですよ、陛下!」
「仕方ないだろ、僕だって知ったのは今さっき――今夜なんだから」
大叔父上の密書については、さりげなく惚けておく。
「……王太子が逃げ帰る理由にならないのでは?」
「陽動を担う大叔父上が離反した。いまや王太子は敵地へ孤立した上――
僕らに退路を塞がれている訳さ」
三人して微妙な顔で見合わせてしまった。
そりゃブブネの後詰が強行突破を図ろうとするはずだ。納得する他ない。
「何時、ギヨーム様が離反されたかで物事は大きく代わりますよ、陛下!?」
シスモンドに指摘されて、やっと問題点に気付けた。
同時性の担保されていない時代、情報の入手は個別にタイムラグがあって当然といえる。
現代であれば大叔父上の表明は大ニュースとなって、即時に世界を駆け巡るだろう。
しかし、中世の今、それを僕が知ったのは今夜――マレーの密偵が来訪してからだ。
つまり、僕のところまで情報は歩いてきた訳だし……その元となった報せもまた、徒歩の類で届いた。
何日掛かったのだろう? 一、二週間か? いや、下手をしたら半月から一ヵ月過ぎていても、驚くに値しない。
だが、さすがに当事者たる王太子は、もう少し早いはずだ。……僕らには致命的なまでに。
「……拙いね。いつ王太子軍が到着してもおかしくないぞ。イコゥナへ放った物見の報告は?」
「まだ戻ってません。というか……その事情だと街道を使えなさそうですから、戻れたとしても前後しそうですよ?」
それもそうか。下手をしたら街道は激戦の最中だ。かといって避けて森を進めば、遅くもなる。
「こうなったら東部と――王と共闘して王太子を討っておしまいになられれば?」
「いや、それは駄目だよ、リゥパー。それもそれで好ましくない。王太子に一人勝ちさせるよりは、まだマシだけど……東部対北部の図式へ持ち込むのは、時期尚早に思える。もし王太子が東部軍から追われてたら、逆に僕らで助けるようだね」
本当に親征を選択しておいてよかった。
一つひとつの決断が政治的過ぎる。こうなると正しい判断力より、責任の取れる身分かどうかの方が重要かもしれない。
「とにかく! 小官は可能な限り早くの陣地移動を進言します!」
確かに、このままでは逃げてきた王太子とブブネの後詰に挟まれてしまう。
かといって完全撤退も機会の喪失と成り兼ねない。
「とりあえず街道は空けてしまおう……今夜のうちにね。どうしてか嫌な予感がするんだ」
揺れる蝋燭灯りの下、地面へ転がる歯は頼りないほど少なくて……無性に不吉と思えてならなかった。
虎の子だった秘密兵器――カーバイトランプを使い、夜を徹して最初の陣地――街道沿いの丘へと戻る。
夜の行動は無謀にも近いのだけど、これだけ明るいと苦にもならない。
しかし、強烈過ぎる光は僕にすら非現実的で、皆の感想も推して知るべしだった。
……畏れ多い感じに見られるのだけは、いつまでたっても慣れられそうにない。
「ちょッ!? 義兄さんッ!? 大丈夫ッ!?」
「……変だぞ? なんか船にでも乗ってる気分だ」
私物の荷造り――といっても、ほとんどが僕の物だ――をしていた義兄さんは、あろうことかフラフラしている!
「これは……拙いかな? よし、サム。兵糧菓子だぞ」
さすがに不安になったのかルーバンは、炭水化物バーを義兄さんの口へ捻じ込む。
そんなことをされたら怒ればいいのに義兄さんも、大人しくモシャモシャと食べ始める。
……これ、どっちを叱るべき?
「む? 少しマシになったかも」
「とりあえず食べれば治るだろ、お前なら」
この話の怖ろしいところは、本当に義兄さんが元気になってきたことか。
「さすがはサムソン殿に御座いまする!」
「って、ポンピオヌス君!? 義兄さんの食意地に感心してる場合じゃないよ!? どうしたの!? 顔、真っ赤だよ!?」
慌てて額へ手を当ててみれば熱い! この子、熱が出てる!
「く、薬! 薬飲んで!」
「貴重な秘薬をポンピオヌスめになど! なに、これしきの熱は気合で!」
柄にもなく体育会系なことをいうけれど、これは時代の常識だ。
病気への対策は一に気合で、二に気合。それから呪いや御祈りか。
「とにかく薬は飲んで! でなきゃ帰国してもらうからね?」
半ば強制的に二人へ万能薬――蜂ヤニを飲ませる。一応は抗生物質だし、多少は期待できるだろう。
でも、いつの間に? それに症状から考えて、風邪ではなくウイルス性疾患の類?
いや、この時代ならば疫病と呼ぶべきか。
疫病といったら天然痘や赤痢、コレラを連想してしまいがちだけど、麻疹やインフルエンザも立派な疫病だ。
そして厄介なことにインフルエンザは、毎年のように流行する!
未開な時代では、短期間で患者――感染者の死亡する赤痢やコレラより厄介なんじゃ!?
さらに明け方、王太子軍の到着が確認された。




