驚異的な成長
フランスを大雑把に形容すると、歪ながらも正方形を横へ倒した菱形と見做せなくもない。
その上の角は北王国、右の角にフィリップ王、左の角が王太子と、それぞれ支配下へ置いている。
中央の政治的空白地と下の角は、依然として王太子の起こした混乱に陥ったままだ。
しかし、ドゥリトルの斥候やソヌア老人の諜報網による報告だと、王太子は真っ直ぐに東部を目指したという。
また大叔父上の密書によれば菱形の外側――南東からゴート諸族と謀り合っての挟撃もで!
これを看過すれば中央の空白地を押さえられてしまう上に、下手をしたらフィリップ王の勢力も瓦解してしまう。
そして北王国もフランスを上下で区切られたら、海へしか活路なくなる。
もちろん友好寄りな南部の勢力とは連携が断たれるし、南部も南部で各個撃破され始めたら耐え切れない。
最悪予想では、もう王太子の制覇が目前であり、こちらも動かざるを得なかった。
また色々と読み間違えて王太子惨敗だろうと、勝者がフィリップ王に変わるだけで、どちらにせよ介入の必要がある。
だが直接介入すると決めても、しかし、まだ問題は多かった。
この時代、走って三日な距離への命令に、約一週間も掛かる。
おおざっぱに百キロ――東京駅から熱海程度の距離感で、届くのに三日の時間が。
そして速やかに回答を送り返しても、さらに三、四日を見積もらねばならない。
当然に指示ではなく軍を差し向けようとしたら、もっと時間が必要だ。
練度にもよるが、百キロ先まで進軍するのに五日から一週間は掛かる。これは最低でもだし、全軍が出撃体制のまま準備していてだ。
しかし、それでも決定的なタイミングから十日は過ぎている!
籠城戦ならともかく野戦で十日もあったら、決着はおろか軍の再編成すら済ませられる。
それでは手遅れだし、介入の意義も喪ってしまう。
もう開き直って現地の近くへまで軍を送り、全ての判断を現地の将に任せるしかなかった。
これならタイムラグを日単位でなく、時間単位へ抑えられる。
この手法は前世史でも、旧日本陸軍辺りまでは使っていた。……日本海軍や連合国は、もう少し文明的だったようだけど。
なので歴史に残るような『軍部暴走』や『ターン』、『味方殺し』のような大失策も散見できてしまうが……まあ時代なりだろう。たぶん。
少なくとも当時の武将たちは失敗しただけであって、暴走したわけでも気が狂ったわけでもない。
能力不足から判断ミスしただけだ。
が、さらに今回は難しい。
どのタイミングで、どちらの軍と、どこまで戦うか。
その全てが決まっていない! 敢えていうのであれば――
「北王国に都合がいい方と。それも短期的ではなく、長期的に」
……だろうか?
そして敵対するは、帝国の侵略を押し返した旧ガリア正規軍か、やはり戦歴は同じで王太子が率いる西軍の、どちらか。あるいは最悪で両方となる。
つまるところ決戦レベルの重要な戦いを、臨機応変かつ柔軟にで!?
さらにさらに問題点は尽きない!
兵数だ。おそらく北王国が最も兵数で劣る。
推定人口約五十万の北王国でも、兵力として捻出できるのは十分の一――約五万が限度一杯だ。
これ以上を求めると、今度は逆に自分が廃されかねない。
その総力約五万も『負けたら人類滅亡』だとか『負けたら全員隷落ち』でもなければ――もう国家を総動員しての本土防衛でもなければ動かせないし、動いてもくれないだろう。
常識的な権力争いの決戦で、その半分が良いところ。外征ともなれば、さらに半分か。
つまり、北王国の外征力は、一万強となる。
それはフィリップ王や王太子も、懐事情は似たようなもの。どころか北部は国土面積――人口で優位に立っていたはず、と仰られるかもしれない。
しかし、版図を広げた直後だし、まだゲルマンにも教訓を与えれてなかった。
つまり、ライン川の防衛も手抜けなかったし、かといって他から戦力を間引けたりもできず……結果として、それほどの数を用意できなかった。
なんと第一陣は五千しか捻出できてない。
防衛となる東部は、すべての不満を棚上げして全員で力を合わせてくるだろう。
数字でいえば、北部の倍は堅い? さらに防衛施設もあるし?
そして計画的に反旗を翻した王太子は、勝ちが望める数を用意したはずだ。
後詰に同数――五千を用意の予定し、さらには介入だけが主目的といっても……やはり心許ない。
以上を踏まえると責任の取れる選王侯か――
僕自身が赴くしかなかった。
しかし、光王リュカの栄えある初親征にも係わらず、陛下にあらせられては道中で義妹君と盛大な口喧嘩を!?
……後世の歴史家とやらは、どう書き残すの、この事実!? というか、いまだ理解不能だよ、なんでエステルも同行してるの!?
「hの4に『車』でチェックです、閣下。
――義兄さん、まだ納得してないの? もう散々と話し合ったじゃない」
「閣下は止して下せえ……ってチェック? ……あっ! こりゃ拙い」
シスモンドと轡を並べて何をしているかといえば、驚くべきことに『目隠し将棋』ならぬ『目隠しチャトランガ』だ。
盤も駒も使わず口頭にて自分の手を伝え、その変化していく盤面も各々の脳裏にのみ存在という……変態かつ達人レベルにしか不可能な遊戯といえる。
「まだ間に合うから、大人しくドゥリトルに帰りなさい! この先は戦場になるし、危ないんだよ!」
「いや、陛下? 家族のことに口を挟みたくはないのだが……しばらく南部で戦争なんて興らんじゃろ。小競り合いが精々じゃ。
その程度なら騎士ブーデリカが守ってくれよう」
ソヌア老人の言葉へ姉弟子は、肩を竦めることで応じた。……その背後では妹弟子の従士ベロヌが、困ったような愛想笑いだ。
この二人が護衛役なんだから心配しなくてもいいし……母上の承諾も得ている証拠か。
ほぼ母上の専属護衛たるブーデリカと、将来の正妃――ネヴァン姫の護衛役候補なベロヌの二人を付けるなんて、かなり政治的に思えるし。
「というかサム義兄さんもいってやってよ! 大人しく帰るようにって!」
「……俺はクラウディア様と母さんに、口を挟まないよう誓わさせられたんだ」
それで不機嫌そうなのに黙っていたのか。しかし、母上達も念の入れ過ぎでは!?
「だいたい! 誰でしたか? あー……オーキデ嬢? そちらへの話だったとか」
「仕方ないじゃろ、陛下。あの娘は熱病で臥せってしまったのだ」
その代打なのだろうけど、どうしてエステルが!?
「……他に代わりは居なかったのですか?」
「むしろレトの娘であれば、わしが骨を折って当然というものじゃろ? ……誰も不思議に思わぬよ」
まだ南部へ渡れるうちに、北王の乳兄妹が南部へ非公式の御見合いに行く。
ソヌア老人を南部へ送り込むカバーストーリーとして十分どころか――
ついでに適当な家と同盟締結なんて考えちゃってるのでは!?
でも、まだエステルに婚約なんて早いよ! やっと数えで十三歳なのに!?
「……これは無理ですね。俺の負けです」
そして驚くべきことにシスモンドが投了した!
通常の勝負と目隠しで、その腕前は別らしいのだけど……エステルがシスモンドに勝つのは初じゃ!?
そしてエステルもエステルで、なんと馬上で空気を掴むポーズだ。
「こ、こらッ! エステルッ! はしたないよッ!」
さすがに自分でも酷いと思ったのか、すぐに居住まいを正した。
でも僕に叱られたのなんて、どこ吹く風な感じだ。堪えた様子が全くない。
先ほどからの説得だって右から左へ聞き流してる感じだし――
エステルがぐれた!? ぐれちゃったの!?
いつも僕に引っ付いて離れなかったエステルが……――
素直で可愛い、お義兄ちゃん子だったステラが……――
いつの間にか不機嫌な十代に!?




