果たされる約定
いよいよ海岸線沿いを東進となるも、それなりに快適な道中となった。……絶え間ない揺れにさえ我慢できれば。
また船長がいうには、マレー港の小灯台とドゥリトル山腹にある大灯台の二つで、かなり航海は安全になったとか。
だが灯台なんて、七〇キロも離れたら視えなくなってしまう。
異常な視力や気象条件などが重なると、最大二〇〇キロというけれど……フランス最西端の『ラ岬』から『カレー海峡』まで五五〇キロもある。
……もう少し数が要りそうだ。明らかに足りない。
また炭化カルシウムは安く作れるといっても、その精製や運搬に人件費は掛かる。もちろん灯台の運用でもだ。
それでも珈琲航路で最大の難所、大西洋を無事に通過できるのなら安い?
中々に難しい問題といえる。正直、国を跨いてでも灯台料を徴収したいところだ。……聞いて各領主達は渋い顔だったけれど。
そんな話もしながら三日ほど――
アスチュアに片っ端から戦用糧食を食べられ――
それを見て思い出したのかソヌア老人が製法を聞き出そうとし――
初めからこれが狙いだったのかカルロスは、ひたすら蒸留酒を強請り――
相伴役を務めたキャストーは泣き上戸だったのか煩く――
なんとも滅茶苦茶な有様で進み続け、やっと『カレー海峡』を抜ける。
そこは前世史に『北海』、この時代の人々は『ゲルマン海』と呼ぶ、西ヨーロッパの運命を何度も翻弄した危険な海だ。
……まあ今回は、すぐにガリアへ上陸だけど。
そして最終合流地点では、先乗りしたシスモンドが陣営を終えていた。
ドゥリトルやベック族、客将達の騎兵に、どうしても陸送しなきゃならない攻城兵器を運んだジナダン達は当然としても――
フィクス領、ゼッション領、スペリティオ領と北部同盟からも騎兵込みで各々五〇〇ほど参陣してくれている。
騎兵だけでも一〇〇〇を超えてるし、合流前の歩兵も一五〇〇ぐらいだろうか?
そこへ船で移動してきたドゥリトルの歩兵が客将達も込みで約二〇〇〇。
さらにイベリアやブリタニア、マレー領も半数を陸戦要員として下船させ、さらに一五〇〇が追加だ。
つまり、歩兵五〇〇〇弱、騎兵一〇〇〇強、海上戦力一五〇〇――総戦力七五〇〇が集結となる。
これは今の僕の精一杯だけど、やり過ぎた……かな?
「ペテンにかけられてる気分ですぜ、本当に若様達が海からお戻りになられるとは。これはあの魔法の船が?」
出迎えてくれたシスモンドは、胡散臭そうに三隻の船を見据えていた。
まあイベリアやマレー領の旗艦、それにドゥリトルの海軍一号船――縦帆帆船は、この時代だと魔法も同然か。
なんといっても櫂を降ろしもせず、まるで海面を滑るように進んでいる。
後続の一番大きな船――ブリタニア自慢の五千壺級巨大船などは、櫂の数が三桁に届きそうだったし、それらを忙しく動かしているから猶更だろう。
もちろん他の横帆帆船だって、それに倣っている。この時代の船は、漕いで進むのが常識だ。
縦帆帆船は、前世史の十五世紀末にコロンブスが使っていたキャラック船が最も近く、もう中世の終り頃――ほぼ近世の技術といえる。驚いて当然だ。
また先遣隊の視点だと、半月ほど前に自分達を見送った僕らが、どうやってか先回りと思えただろう。
もう騙されているどころか、時空間の歪みレベルな違和感かもしれない。
「参謀長殿! 俺は考えても分からねぇことは、考えないようにしてますぜ?
例によって若様が『不思議なことを起こした』んでしょうから、俺らが首を捻ったって無駄というもので」
シスモンドに副将としてつけた騎士リゥパーは、なんとも太平楽な感想だった。……でも処世術としては正解?
「いや、でもですよ、騎士リゥパー? 自分も理屈なんて、どうでもいいとは思うんですが……その理解でも十分なのか、正直いって疑問に……――」
なるほど。シスモンドがビジネス問題人物な時には、リゥパーみたいに応じればいいのか。驚くべきことに丸め込まれかけてるし。
「お早い御越しで、リュカ様。御預かりした騎馬七〇〇、欠けることなく馳せ参じております」
リゥパーの意外な才能?に感心していたら、手隙の騎士を引き連れてティグレも顔を見せにきた。
今回の副将にフォコンとリゥパーを抜擢し、ティグレは騎兵隊の指揮を任せている。
副将と比べたら格はおちるけど、花形の役職だ。バランスは取れているだろう。
なんといっても当初の目論見通りフォコンやティグレ、リゥパーを経由して、上の世代な騎士との接点を作れた感じがする。提言に従って大正解だ。
……まあ、そのアドバイスをした当人は、あろうことかリゥパーにあしらわれちゃってるけど。
そのまま母上直伝の曖昧な笑みを浮かべつつ騎士達を労っていたら、その後ろへ付き従う乗り手や従士も確認できた。
もちろん義兄さんやルーバンの姿もあって、それとなく合図をしてくれる。
……なんか、もう殆ど大人といっても良く、若手騎士といっても通じちゃいそうだ。
戦場では、師匠達の後ろで槍を持って? それとも今回は馬が足りているから、騎兵として参戦?
置いていかれちゃったみたいで寂しいような、それでいて感慨も深くもあって……なんとも複雑な気分だ。
「まずは北方征討への御参陣に感謝を! 皆様の熱き友誼に、このリュカめは身震いを覚えるほどに御座います!」
大天幕に――それも大天幕の大テーブルに集ったのは、君主格だらけだった。
僕からにしてドゥリトル領主の名代だったし、カルロスは北部イベリアの領主、ソヌア老人はマレー領の先代、アスチュアだってブリタニアの一勢力とはいえ御曹司だ。
そして北部同盟はゼッション領からは、予感でもしたのか先代領主のロッシ老が。
同じくスペリティオ領からは、なんと領主本人のベリエが参陣している。
……正直、グリムさんの一件で印象良くないのだけど、この嗅覚の良さは気に留めておいた方が良さそうだ。
こうなると可哀そうなのはフィクス領の騎士トフチュだろう。城代格らしいけれど、あきらかに格は落ちるし。
そして一番の当事者たるベック族のアンヲルフは、かなりテンパっていた。困ったことに、まだ想定外の展開についてこれてない。
……キャストーのように、違う意味でマイペースなのも考えものではあるけれど。
そして列席者は僕の挨拶など聞き流し、ひたすらに互いを量り合っていた。
どうやら、まずは第一目標を達成か?
全員が全員、友人関係になど無い。
ただ、僕の要請で参戦したことだけが共通している。
そして全軍の正確な規模を知れたのは今日だったし、他所の勢力が参陣した理由も詳しくは教えていない。
よって何れの勢力も、自分達自身を除いた五〇〇〇以上の戦力を、ドゥリトルは動員可能と見誤る。
……ここまでの大動員は、諸々の条件が重ならなければ不可能でもだ。
実のところ、これは大きい。
べつに僕は北部を支配したいのではなくて、ただ同盟を確固たるものにしておきたいだけ。
そして各外国勢力とも、対等以上で友好的な関係を続けたいだけだ。
ならば裏切りや離反、反目だけを警戒すればよかった。敵対を表明されない限り、それで用は足りる。
「じゃっどん、集め過ぎたんじゃなかと? ここまでん戦力がおっとな?」
カルロスは、やや拍子抜けした感じだった。
「しかし、カルロス殿……この地に大都市を築かれる訳にはいかんのだ」
ロッシ老の指摘に、全員が卓上へ広げられていた地図へ注目する。
それは『ゲルマン海』へ注ぐ大河――ライン川を中心に描かれていて、河口付近から南岸沿いに広がる街には『クラウゼ族』とある。
……街の東側に『旧・ベック族領』とも記されているのは、参加者全員に周知させる目的だろう。
「ロッシ殿の御指摘が正しいかと。いままでと此度は異なる。降りかかる火の粉を払うのではなく、その火元を消しに参ったのだから」
そうベリエも追随してくれたけれど、その瞳は欲で濁っているような?
「私達とて、この地にゲルマンの港を作られては厄介です。それに対価をお約束して頂けた以上、御助力に否やもありません」
密約という程ではなかったけれど、アスチュアの情報開示にガリアの諸侯は揺れた。
「……この歳にして、帝国の好戦的な理由が分かった気がするわい。大きな力とは、自らを見誤らせるのではあるまいか?」
誰にという訳でもないソヌア老人の問い掛けは、僕に野心の在る無しを探るようだった。
「リュカめには分かり兼ねまする。なにより、いまは重責を果たすことしか考えられぬもので」
痛いところを突かれた気がするけれど、しらばっくれておく。
……すでに賽は振ってしまっている。
あとは上手くいくと信じて北方征討を――ベック族の領地奪還を成し遂げるしかなかった。




