死闘
視界が目まぐるしく回転する。
しかし、暢気に吃驚している暇なんてない! 考えろ! それだけが僕の取り柄だ!
素早く起き上がったタールムは、痛みを押し殺して唸り声を上げていた。
でも、血を流している! どこかを怪我して!?
「獣風情が! 邪魔をするな!」
無礼千万な怒声よりも、しかし、三階の窓から垂れ下がる布が気になった。
誰だか知らないけど、あそこから飛び降りてきたとか!? そんな馬鹿な!?
再び膨れ上がっていく剣気へ、誰かが走り込む! ……義兄さんか!?
――二度も剣戟を阻まれ歯噛みするは騎士ルーその人だった。
「騎士ルー! どうして!? 諦めたはずでは!?」
しかし、なぜか僕の詰問はルーの嘲笑を誘った。
「この期に及んで、そう問われるか?
やはり御曹司は、我が君に匹敵しうる先見の明を御持ちだ。
しかし、なればこそ! 王は並ばぬが倣い! 御覚悟召されよ!」
口上は、その背負った名前――狼に恥じない毅然としたものだった。
でも、先見の明? なぜか随分と買い被られて……――
いや、違う。ルーの見解は大袈裟でもない。事実として僕は『未来を見てきた』のだから!
また『天無二日、土無二主』――「王様が二人もいたら困る」と説いたのは孔子だったか。
あれは儒教だけど、封建社会なガリアでも通じる。むしろ指針としては適当な部類か。
ただ僕を王に準えるなんて、勘違いも甚だしいけど……間違いを正す時間は無さそうだ。
もう全てを勘案すれば、あとは自明の理でしかなかった。
「……独断専行? 意外と裁量を持たされていたんだね。
でも、こんな運任せは、御趣味ではないと御見受けしてたけどな」
「凡人にとっては、愚劣であろうと用が足りれば十分というもの。
そして遥か先を見通す才覚があろうとも、それ故に俺のような足元の小物で躓かれるのだ」
……小動もしやしない。正しい意味での確信犯か。
おそらく現状は、策略の残滓が流用されている。
陽動かつ捨て駒な破落戸の襲撃までは、元々の計画通りだと思う。
しかし、最後の詰め駒は別に想定していたはずだ。……例えばブリタニアから兵を借りた大叔父上とかを。
それで初めて計略に一貫性が生まれ、運任せではなくなる。
狙いは『自分の息が掛かった人物へ、ドゥリトルの頭を挿げ替える』といったところか?
だが、それはアスチュアとの――ブリタニアとドゥリトルの同盟で潰えた。
しかし、現地指揮官のルーは、僕や王太子と違う見解を持ったらしい。
ドゥリトルでのクーデターには不十分でも、僕の暗殺になら足りていると。
……なんというか驚く他ないし、あまりにも想定外すぎる。
「騎士の矜持すら喪われたか! 二君に仕えようとは、もはや風上にも置けませぬ!」
「我が君への忠誠、一度たりとも揺らいだことはない。……半人前には分からぬであろうがな」
ポンピオヌス君の少年らしい潔癖な糺弾も、それこそ『蛙の唾は白鳩に届かぬ』だ。まるで響いていない。
まあルーにしてみれば、主君から命じられた潜入工作に勤しんでいただけか。むしろ汚れ仕事も厭わぬ、忠臣の鑑とすら?
ただ父上には偽りの忠誠を誓った訳で……少なくとも嘘吐きではある。
「もういいだろ、ポンピオヌス殿? 騎士ルーは、話しても無駄なタイプだったらしいぜ。……口ではな。
ところで騎士様? 我ら四人にて御相手を仕りますが、半人前ゆえの帳尻合わせ。なにとぞ御寛恕を賜りたく」
お道化ながらルーバンは剣を構え直すけれど、その目は全く笑っていない。
それへ怒り心頭なポンピオヌス君が。さらに俺もいるぞと顔が血塗れなタールムも続く! もしかして片目を潰されて!?
慌てて僕も起き上がり、残った火炎瓶を構える。
……一発だけ。一発だけでも弾が残っていれば、全く変わったものを!
しかし、幸か不幸か騎士ルーは、そう腕の立つ方ではない。
僕達四人と一匹で掛かれば、問題なく打ち倒せるはずで……――
そんな一触即発の寸前、三階の窓から顔を覗かせる者がいた!
「ルー様が中庭に!」
「むむ!? あれは御曹司! 大将首ぞ! 者共、続け!」
なんと無謀な者が一人、飛び降りた!
もちろん三階からの飛び降りなんて、そう簡単に為し得ない。脚でも酷く折ったのか呻いているし、あの様子では動くことすら儘ならないだろう。
ただ破落戸とは、雰囲気が全く違った。もしかしてルーの子飼いか何かで、つまりは本職の兵士?
そして残りは、しばらく窓辺をウロウロしたかと思ったら――
「ええぃ! 階段で降りるぞ! 全員、続け!」
と姿が見えなくなった。拙い! あの兵士達が、中庭へ!?
「あの扉を封鎖する! ポンピオヌス殿は、あそこの石像を!」
いち早くルーバンが至近の扉へ走っていた。三階からの増援なら、その扉から?
どちらにせよ僕らは、来た道を戻るか、騎士ルーを倒して中庭を進むかに追い込まれてしまった。
「そちらを待たねば無作法……とは言うまいな?」
意趣返しなのか、厭味ったらしくルーが当てこする。
戦いは唐突に、そして義兄さんの先制で始められた。
積んできた修練、生まれながらの本能、さらには秘められた才能……それら全てを動員した、互いが限界にも近い激しい動き。
これは義兄さんが、意図的に真っ向勝負へ持ち込んだ結果か。
――しかし、純粋な地力勝負は肉迫していた!
いや、僅かながら押しているのは義兄さんだ。
義兄さんが主導権を握り、ルーは受け太刀へ回ることが多い。
でも、そんなのは実力が均衡してなければ!? ついには鍔迫り合いまで!?
互いに息継ぎする為の妥協であり、不承不承な申し合わせで……力量の近い時でもなければ、そうそうは起きない。
……となればルーの技量は、義兄さんに匹敵している!?
――立ち入る隙がなかった。
僕とて素人ではない。少しは修練も積んでいる。
しかし、だからこそ分かってしまう。いまも二人は駆け引きの真っ最中だ。
そもそも実戦において鍔ぜり合うのは稀な上、そうなったらそうなったらで即座に技を狙われる。
前提として――流れの起点として定義し易いからだ。
しかし、相手の入りを見破り、自分の流れへ合わされ、引っ掛けを躱し、騙しを読まれて……結果、ただ二人は鍔ぜり合っていた。
「腕を上げたか、小僧?」
「やはり、貴方だったのか!」
そして二人は至近距離で仕掛け合い続け――
――結果、再び両者の間合いが開く。
「今日こそ、かつての過ちを正そう」
そう告げるルーの顔には見覚えがあった。その酷薄で無機質な表情は。
……そういうことか。あの時に僕は――物言わぬ生き人形だった僕は、ルーに暗殺されかけていたのか。
いわれてみれば選択肢の中に『僕の覚醒前に処理』が入るべきだ。彼の人ほどに先が読めるのならば。
――再びの斬り結びはルーが先制し……なぜか攻守が逆転して!?
「左構えに御座いまする!」
ポンピオヌス君の叫びが謎を暴く! ルーは右構えから左構えへ変わっていた!
ドゥリトルで王太子が連れ歩いていた謎の騎士――それはルーだったのか!
そして義兄さんがルーへの印象を改めたのも? つい今しがたも、何やら確信してたし!?
「邪道と誹りたければ、誹るがいい!」
――ルーの気迫に押し負けたのか、義兄さんが体勢を崩してしまう!
見ていないはずの幻視が脳裏へ浮かぶ。
それは顔が無い左利きの剣士に斬られ、打ち倒される義兄さんの姿だ。
いま、それを擦るかのようにルーが剣を振う!
駄目だ! 義兄さん! なんとかして――
――絶句した。応じて義兄さんが技に入っていたからだ。
かつては自分を沈めた――それも恐らくは相手の得意技を起点とした流れ。
もしかしたら体勢を崩した時には始まっていて、むしろ相手を呼び込んだ?
――見せかけの死に体から一転、義兄さんは斬撃ごと相手の剣を巻き落した!
狙っていたとしても、容易く極まるような技ではない。
義兄さんが修練を積み上げたからこそだ。あの敗北から、この一瞬へ至る為に!
そして流れを維持したまま――
――無手となったルーへ、義兄さんが決着の一撃を見舞う!




