想定外の訪問者
意気込んだところで何かで頭を叩かれた。それなりに痛い。
「どうしてポンドールを虐めるの! それと場所とか色々を弁えなさい!」
誰かと思えばエプロン姿のダイ義姉さんだった。
御玉を腰へ仁王立ちで御冠なんだけど……まあ可愛らしいといっても嘘じゃない。
それに最近ではポンドールではなく、僕の方に問題があると思われているようだ。……失敬な!
「兄ちゃ――義兄さんのはベーコンとチーズ、それに卵!」
何事も無かったかのように、同じくエプロン姿のエステルが笑いかけてくる。
……なんだろう? 義妹へ注意するべきなんだけど、なにを何なのかが分からない。
とにかく焼き立ての蕎麦粉のクレープを受け取る。平たく折った定番の型で、目玉が印象的な逸品だ。
「俺は! この腸詰で! 一番大きいのがいい!」
「はい。腸詰でございますね。トッピングにチーズとスパイスは如何です?」
「ト、トッピング!? じゃあ、とにかく入れられるだけ!」
いつも腹ペコなサム義兄さんらしい注文へ、にこやかにグリムさんが応じる。
水で溶いた蕎麦生地を例の広げる棒でガレット焼き機へ――あの真ん丸い鉄板へ伸ばすと、あっという間にガレットの焼き上がりだ。
さらに手際よくチーズやらスパイスと一緒に大きな腸詰を巻き込んでいく。日本人にはクレープのような包み方といえば伝わるかもしれない。
「悩ましいな、ポンピオヌス殿!」
「確かに! このように好きな具材を頼むのは革新的です、ルーバン殿!
ポンピオヌスめは蜂蜜にしようか、鮭にしようか悩んでおりまする」
どうやらガレット焼き機の――というかガレット屋台のアイデアは好評なようだ。鍛冶職人達の手を煩わせた甲斐がある。
実のところ農作物は輸入しても、食べ方をセットにしないと広がり難かった。
しかし、このガレット屋台を始めれば評判となり、すぐに蕎麦自身も名が知れ渡っていくだろう。その栽培法と共に。
「どう? なにか改善案とかある?」
「よく分からなかったけど美味しかったよ、リュカ! これならいくらでも食べられそうだ!」
「俺は若様と同じのをお願いしたんですけど……卵は高級すぎませんか? これを買う奴います?」
ルーバンの指摘は妥当と思えるかもしれない。
卵だけでも高級品な上、どんな時代でも外食は高い。相乗して卵を使ったガレットは、超高級グルメになってしまう。
だが、それもそれで需要があると、現代日本人だった僕は知っていた。
「一番高いメニューっていうのは、意外と食べ物屋で大切なんだ。安い、普通、高いと並べた時、一番売れるのは普通だったりもするしね」
こんな風に色んなジャンルのコツや奥義を知っているのは、情報社会の元住人ならではだろう。
武芸から商売、政治や経済の基本と……現代人だった故の知識は、幅広く多岐に渡る。さらに『異世チ珍』も愛読していた。
それらの先人達から借りた知識こそ、いまの僕が持つ力の源泉だ。
「気に入ってくれたみたいだね、ポンピオヌス君」
「はい! もともと鮭は好物ですが……このガレットなる食し方は、まことに旨味を引き出す妙技かと! また豚キノコの香りも――」
いつもの様に機嫌よくしていたポンピオヌス君は、途中でしまったとばかりに頬をプクりと膨らませた。
喧嘩していたというか――僕へ腹を立てていたことを思い出したのだろう。
「なんだ、ポンピオヌス殿? まだ剥れているのか?」
「ポ、ポンピオヌスめは剥れてなどおりませぬ!」
「それが剥れているっていうんだよ、お坊ちゃん。そして俺にいわせれば、今回の沙汰を有難く思うべきだけどな」
荒々しい弄りに見えて、これでルーバンは相手を怒らせない。
歳近い兄弟や親族に揉まれて育ったからか、妙な言い方だけど喧嘩の仲直りに長けていた。もはや才能だ。
「し、しかし! 次こそはポンピオヌスめも初陣と!
サムソン殿にルーバン殿は、すでに二度も従軍されているというのに!」
「いやいや。俺やサム、それに若様だってポンピオヌス殿の歳にはまだだったぜ?
そして言いたくはないけど……ポンピオヌス殿を留め置いたのは、若様の御配慮じゃないか? 感謝するべきだと思うけどな」
「配慮……に御座いますか?」
「少なくとも俺は、初陣で守備の任務を望まなかったな」
……嘘をつけ、嘘を。ルーバンは絶対、最前線でないことを喜ぶタイプだろう! 賭けてもいいぐらいだ!
「でも、リュカ? おかしくないか?
どうしてラクスサルスの駐屯兵は、勝手に援軍へ出かけちゃったんだ?
そりゃ確かにゼッション領へは一番近いけどさ?」
義兄さんの素朴な疑問に、僕は苦笑いで応えるしかなかった。
現代人には不可解と思われるけれど、この時代、各軍には一定の自由裁量が与えられていた。
いちいち君主の指示を求めていたら、間に合わなくなる恐れがあるからだ。
例えば野戦で迎え撃つか、あるいは籠城を選ぶか。その判断は現地の指揮官へ一任している。
なぜなら有効な通信方法がないからだ。
大本営の意向を伝えたくとも、その方法は極めて限定されている。
ある程度の自由裁量を与え、戦術レベルの判断は現地指揮官へ任せるしかなかった。
前世史でも武将が独断専行をした挙句、本人が戦死はもちろん、戦略レベルでの大惨事となった事例は珍しくない。
しかし、それは彼らが独善的だったというより、時代が彼らに決断を求めた結果だろう。
なによりも成功時に処罰された例は、極めて少ない。
といっても、あくまで戦術レベルの話に限定される。
戦略レベルの判断は――戦争の開始や外交的判断は、君主自らが下す。
やはり国としての統一見解が必要だ。場当たり的な現場判断では危うい。
この区別がついてないと『軍部の暴走』や『一指揮官の独善』と誹られてしまう。……まあ、それらもそれらで史実例はあるけれど。
ラクスサルスの駐屯兵は――騎士ビィレツは、ゼッション領から救援の要請を聞くなり、街の駐屯兵を殆ど動員して向かったらしい。……後詰を金鵞城へ押し付けて。
確かに北方の防衛構想は、父上に御裁可も仰いだドゥリトルの基幹戦略だ。
当然、各騎士にも踏まえての判断が要求される。
また『兵は拙速を尊ぶ』ともいう。そして援軍も、とにかく送ることが最優先だ。
もう寸暇を惜しむほど切迫していた場合、騎士ビィレツの出陣は容認される。
しかし、おそらくは功利に走ったスタンドプレイだろう。
活躍の場に飢えた者にとって、北方への援軍は手頃に思えるらしかった。
これまでも勝てるように御膳立てを整えているし、負けたところで直接の被害は他領の話で済む。
迂闊な人なら、そのような誤解――手柄の立てやすい簡単な仕事と考えるかもしれなかった。
「金鵞城からトリストンやジナダン達、そしてベック族がラクスサルスの守備へ向かったけど……――
あれに志願したかったのか、ポンピオヌス殿?
でも、おそらく向こうじゃ日常的な任務だけだぜ? 命じられるのは?」
暗に「安全な任務で初陣を済ませたいのか?」といいたいのだろう。
……僕的には大賛成なんだけど、当のポンピオヌス君本人は「ぐぬぬ」と呻いている。
しかし、それでも素直に――
「ポンピオヌスめが不明でありました」
と謝れるところが、ポンピオヌス君の良いところだろう。
すかさず義姉さんが空気を変えるべく、換気の提案してきた。
「ねえ? いつまで閉め切ってなきゃ駄目なの? この部屋暑くない? 窓を開けるわよ?」
研究室代わりの天守も広くはない。そこへ八人と一匹もいる上、幾つも灯りを点し、さらには料理もなのだから当然か。
「もちろん問題ないよ。皆、窓を開けよう。寒くなったら、また閉めればいいんだし」
そんな流れで手分けして換気となるも、エステルが吃驚する人の名前を挙げた。
「あ! 騎士ルー様だ!」
……なんだって? そんな馬鹿な!?
慌てて僕も確認してみると、見紛う方なく騎士ルー本人だった。どうしてか北門の近くで暢気に日向ぼっこをしている。
でも、至急かつ即座の出頭命令を出された騎士が、金鵞城で何してんの!?




