さらなる策謀
しかし、義兄さんと仲良く復讐を冷ましている暇はなかった。
意外というか、当然というべきか……大人しく拘束されたイベリアの商人の方でも動きがあったからだ。
それは雇い主による身柄の引き受けという、至極普通の対応ではあった。
……領主本人が名乗り出てこなければ。さらには本人自らが出張ってこなかったのなら。
こちらとしては適当に罰金でも科し、その身柄は本国へ強制送還と……ごく穏便な着地点を考えていたのに!
そもそも領主――それも他国の!――であれば、ここまで軽率な振る舞いはできない。物見遊山気分で他所の領地を訪れたりはしないのだ。
しかし、このカルロスなるイベリア領主は、そういった常識が一切ないタイプの様で……今回は仲介役を伴っただけ奇跡的というから、もう呆れる他ない。
その仲介役にしたところでマレー領先代ソヌア老人だし!
ようするにガリア代表とイベリア代表な大西洋の重鎮――大西洋の迷惑な大人達が連れ立って御来領だ。
これも全て情報隠蔽に失敗したからで、つまりは自業自得なんだから、もう乾いた笑いすら漏れてくる。
……僕には甘い母上ですら御立腹され、匙を投げてしまわれたし。
ただ、これは大きなチャンスともいえた。
珈琲航路を真剣に考えるのであればマレー領はもちろん、イベリアとの関係も強くしておきたい。
北海が騒がしくなる――ヴァイキングの時代には、まだ四、五百年を必要とするけれど、かといって安全な海でもなかった。
大西洋から地中海へまでの航路は、やはり危険な外海といえる。地元の協力なしに運用は難しいだろう。
それに珈琲航路を抜きにしても、イベリアとの関係は重要だ。
なぜならガリアは帝国にハン族、イタリア北部、ゲルマンと敵性勢力に半包囲されている。
ここへイベリアとブリタリアが追加されたら、間違いなく終わる。
なんとしてでも協力関係を。最低でも中立の立場を選ばさせねばならない。
「河では、こげん小さか船を使うのか。たまがったぞ」
イベリアの領主カルロスは、そう述べるに止めてくれた。……呆れているのを隠せはしなかったけれど。
「ドゥリトルは港を持っておらんからな。ほれ、あの山が邪魔なのよ」
ソヌア老人も取り成すかのように説明してくれる。
でも、港と引き換えにブリタリアが直接は乗り込めなくなっていて、ドゥリトル山様々だ。
「殿方を計るには、御気に入りの玩具を見せて頂けと母が。この奇麗な小舟は御曹司様に相応しく思えます。なにより涼しいですし?」
ソヌアの孫娘――つまりはマレーの姫君たるネヴァンは、舟遊びという趣向を気に入ってくれたようだった。
しかし、その挑みかかってくるような視線には、慣れられそうにない。どうして値踏みするかの如くなのだろう?
「そいよりこちらん酒が、うんめか。なんちゅう名前じゃっとな」
イベリア語はガリア語と同じく、ラテン語派に属する近い親戚なんだけど、ちょくちょく何を言っているのか分からない。
それでも意思疎通できるだけ、ゲルマン語よりマシか。
「これはブランデーといいます。御気に召されたのでしたら、御帰りの際には何樽かどうぞ」
広義にブランデーは『果実酒を蒸留したもの』を指すが、ここでは狭義の『ワインを蒸留したもの』の方だ。
しかし、まだ領内でブドウ栽培を始めたばかり。ワイン造りなんて夢のまた夢だったりする。
なので輸入ワインを原料としていて、眩暈のするような高級品だ。文字通りの意味で、同じ重さの金より高い。
……御相伴されてる母上もニッコニコだ。これは後で強請られるに違いない。そんなに在庫ないのになぁ。
「やっぱい、こん地を見に来て正解やった。こん酒は、きっと氷山ん一角に過ぎんやろうし」
驚いたことにカルロスは真正面から切り込んできた。もしかしたら見た目通りに、腹芸とかできないタイプかもしれない。
でも、いまは大人しく接待を受けるべき場面だろう。なかなかにせっかちな人のようだ。
苦笑いを隠しつつ、船頭へ「もう一周」と合図を出しておく。
「もの足りぬようでしたら、より実用的な土産話でも。情報の出所は明らかにできませんが……ビゾントン帝国とペルシア帝国が矛を交えるようです。もう秒読み段階であり、おそらく数年の内に始まるでしょう」
ペルシア帝国ことイラン帝国サーサーン朝は、三世紀頃に誕生し今生では歴史も浅い。まだ建国百年も経ってないほどだ。
しかし、その短い歴史すら東ローマとの戦いに明け暮れていた。……拡大政策を是とする戦争帝国と隣接した宿命か。
そして双方が領土を奪い合う痛み分けを経て、やっと和平協定が結ばれた。
だが、その四十年続いた仮初の平和も、ペルシア中興の祖シャープール二世の台頭と共に崩れ去る。
つまり、東ローマとペルシアの戦争の再開だ。
衝撃を受けたカルロスは一回立ち上がりかけ……それに気づいて不承々々に座り直す。
「確かにあり得っ。あん大帝は、そこまで力をつけたんじゃなあ」
やはりイベリアにとってペルシアは――中東は、たんなる巨大勢力ではなかったらしい。
その証拠に同じ様にソヌア老人と母上も驚いてはいるけれど、かなりの他人事だ。
カルロスが世界情勢に関心を持っているのは、イベリア人の特異性も大きい。
……紀元前から超大国に翻弄され続け、それでも独自性を喪わなかった根元とでもいうべきものが。
ローマが台頭する遥か以前、イベリアは超大国カタルゴの強い影響下にあった。
かの有名なポエニ戦争でカタルゴは滅び、代わってローマが地中海の覇者となるのだが……当然にイベリアはローマの属国に据え置かれる。
さらに前世史では征服者カエサルと初代皇帝アウグストゥスによって、イベリア全土もローマ版図へ組み込まれた。
西ローマ滅亡を契機に自主独立が果たせるかと思いきや、しかし、民族大移動の大波に曝された上、止めとばかりに中東の半植民地となる。
これへの抵抗活動が有名なレコンキスタと呼ばれるもので、なんと独立を取り戻すのに十五世紀まで――約六百年もかかった。
踏まえるとカタルゴが世界国家になってから二千年以上、常に超大国の支配下へ置かれ続けている。
しかし、真にイベリアが恐ろしいのは、このような来歴にも拘らず、スペイン帝国まで――世界制覇するまで上り詰めたことだろう。
愛国心でも郷土愛でもない……なにか彼らにしか理解できない結びつきが、二千年の雌伏を経ても彼らを彼らたらしめ続けた。
さらにカルロスは北部イベリア人だ。
初代皇帝アウグストゥスはともかく、征服者カエサル――今生におけるカサエーを退けた唯一の地域を支配している。
……野蛮人のまま帝国の全盛期に負けなかったとか、どう考えても化生の類だろう。
そんな『ヤバい・オブ・ヤバい・ナニカ達』の大将――カルロスは、いまだ驚きを噛み砕き切れてなかった。
……もしかして?
「カルロス殿は、ペルシアと御懇意で?」
「いや。奴らはおい達を利用しようとしちょっ。おい達もだけどな」
地中海制覇という観点に立てば、中東のイベリア支配は納得できたりする。
大西洋への足掛かりにもなり、それでいて地中海の西端で戦略価値も高いからだ。
そしてローマ属州の南部、日和見気味な中部、独立志向が強い北部から協力者を選ぶのなら、中東勢力の答えは決まっている。
おそらく援助名目でペルシアから資金提供でも受けているのだろう。……我が身を害する毒と知りながら。
しかし、僕の立場でいうと引き続きイベリアには、超大国同士の綱引きで混迷していて欲しかった。
確かにカルロス殿とは友誼を結びたいけど、それは応援の気持ちからではない。欲得尽くだ。
なにより下手に大成功でもされたらスペイン帝国を樹立されてしまう。……いや名前から考えたらカルロスだしフランク王国?
とにかく虎を排除するのに虎の子を育ててしまっては元の木阿弥だ。仲良く助け合いつつ、必要なだけ足も引っ張らねばならない。
「帝国が東の国々と戦争か……儂が子供の時分に聞いて以来じゃな。王への上申は済まされたか?」
「いえ、王に奏上できるような話では……噂ですよ、噂。そもそも僕は、御目通りの叶う身分ではありませんし」
なんせ「情報源は退役ローマ軍人」だ。大っぴらにできるはずがない。
しかし、意外なことにソヌア老人は言い訳に納得したのか、それ以上は詰めてこなかった。
……少し引っかかる。なにを隠し持っているのだろう?
「きさんたちと帝国ん戦争は終結すっんやろうか?」
「分からぬな。しかし、あり得なくもなかろう。御身らは知らぬであろうが……東の国々は強く豊かなのじゃ。それこそ帝国と匹敵するほどにな」
即座に切り捨てられなくて助かったものの、二人も二人で腑に落ちるだけの根拠を持っていたらしい。
それとなく探り出すにしても、少し骨が折れそうだ。まあ頑張ってみるかと、船頭へ「もう一周」の合図を出して――
それまで退屈そうにしていたネヴァン姫と目が合った。顔面蒼白だし、やっと気付いてくれたのだろう。
「御祖父様! 大変です! この船……漕ぎ手が一人もおりません!」




