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8話 頭がよかったころの王様の話

 ――密やかに。

 雪の舞い散る音で意識を取り戻す。


 果ての見えぬ景色だった。日の差さぬ光景だった。しかしそれは夜ではなく、されどこれは昼でさえないのだと、なぜだか彼は知っているような気がした。


 そうだ、この雪景色を覚えている。


 己の背負う運命に気付かぬ若かりしころが彼にもあったのだ。

 それは幸福な日々だった。父の厳しさ、母の優しさ。……今はもう鮮明に描き得ぬ、遠き日の安らげる思い出。


 とうに失われた景色だからこそ、これが現実ではないのだと気付くことができた。


「……なるほど、ここは、死後の世界――なのだろうか」


 踏み出せば、体の軽さに気付く。

 それ以上に頭が軽いのにおどろく。


 ……あの日。

 人類の九割が魔によって滅ぼされ、その版図は限りなくゼロ近くまで侵略され尽くした。


 そうして発動させた――『知性破壊爆弾』。


 現在から未来まであまねく人類の知力を魔力に変換し、さらにそれを威力と換えて、魔だけを滅ぼす神造兵器を起動させたのだ。


 結果、人類は知性を失わされた。


 生前、悪いことなのかいいことなのか、考えることもできなかった。

 思考には常に靄がかかり、己の行為をかえりみることなどできなかったのだ。


「なにもない雪景色……ああ、ここは、北方の……我が母の故郷……もう少し歩けば、きっと」


 彼は歩く。

 老境の身だった。本来ならば踏み出すたびに足が埋まる深さの雪中行進などと、おこなえるほどの体力はなかったはずだ。

 しかし、どうやらそういったくびきから、今は解放されているらしい。


 白くけぶる景色を歩いていく。

 そうして彼は、雪原にそびえ立つ石の宮殿にたどり着いた。


「……」


 心に去来するのは虚しさだ。

 母の故郷。

 魔物どもによって失われた、彼の思い出の一部。


 ……その城を見れば、きっと、なにかが――たとえばこのなにもない雪原に来た理由がわかるのかもしれないと、漠然と思っていた。

 けれど、わからない。


 この城が、この雪原が。……この思い出が失われたのが、悲しいことだったのか。

 それさえわからないまま、城を前に立ち尽くすのみだ。


「ああ、誰か、誰か、教えてくれ……」


 彼は――雪により、年月により――すっかり真っ白になった頭に手を当てて、叫ぶ。

 今まで靄がかかっていた思考が澄んできた今、止めどなく己の中で反響し続ける問いかけがあった。


「余は、正しかったのか。あの兵器で人類を存続させた余の決断は、正しいものであったのか、答え、答えを――」


 わかっている。

 この問いかけに答えられる存在などいない。


 なんとでも言うことができるのだ。どうとでも解釈できるのだ。

 早期にあの神造兵器を使っていれば、きっと『決断が早すぎる。もっと魔物どもへの抵抗を続けるべきだった。そうすれば人類は逆転勝ちをしていたかもしれない』と思っただろう。

 もう少しだけ――たとえば五割を侵略された時点で使用していれば、先の考えとともに『もっと早く決断すべきだった。そうすれば人類はここまで減ることなく、知力をなくせども今より繁栄した未来を迎えられたのに』とも思ったであろう。


 そもそも――なすべきだったのか?


 知力を失ってまで存続するべきではなかった、と誰かが――自分の中の自分が、己の決断を糾弾し続けてくる。


 あの日、納得して決めたのに。

 あとから思えば、こんなにも後悔ばかりが浮かび上がる。



「無様よな」



 ……突如背後から聞こえたそれは、嘲るような女の声だった。

 彼が振り返れば、そこには黒い衣服をまとった女性の姿がある。


 獣の毛皮を用いたと思しき、装飾の多い服装。

 首元を獣毛で覆ってはいるが、露出は多く、豊満な乳房やくびれた腰、かたちのいい尻など、美しい女のラインを見せつけるように服はピッタリと体に貼り付いていた。


 そのくせ、商売女という雰囲気でもない。

 吸い込まれそうな真っ赤な瞳に、かすかにゆがんだ口の端は、彼女がどこかに君臨する王者であると感じさせた。


 見下すことに慣れた者。

 しかし、人ではない。


 つややかで長い黒い髪――

 そして、頭部の左右に生えた、ねじくれた角。

 その女は。


「……女よ、魔物か」

「ふん。……まあ、よかろう。たしかに我は貴様らの言うところの『魔物』――その最上位に君臨せし者だ」

「……魔王」

「ハッハッハ!」


 魔王は、笑う。

 あまりに唐突なことに、彼はぽかんとしてしまった。


「……いや、許せ。魔王、魔王とはな。では、貴様のことは『人王(じんおう)』とでも呼べばいいか? まあ、それでよかろう。便宜的にだ。人の王。神の手駒よ。……やってくれたな。我がほぼ詰みかけた盤上を、神の力で覆したか。……やれやれだ。箱庭で遊ばれる人形に甘んじる貴様の気持ちが、我にはわからん」

「……」

「なに、戯れだ。敗北者の意趣返しだよ。……さて、本題に入ろう。長々と世間話をする間柄でもなし。我らはな、どうにもこのあと、同じ時代に生まれ変わることが決まったらしい」

「……なに?」

「生まれ変わりだ。わからんか? 貴様らの信奉する神の宗教観にあるのだろう? 一つの生を終えた魂は漂白され、次の肉体へと宿る。そうして魂がすり切れるまで転生を繰り返し、いずれ塵となって消え去るのだと。つまり、それだ」

「……」

「お優しい神は! 貴様と我を、また同じ世代で生まれさせ、競わせるつもりらしい! 笑え! 楽しかろう!」

「……冗談を。余は、あなたに及びもつかなかった。競うなどと、そのような水準になかったのだ。たまたま盤上を覆す兵器を手にしていた――それを用いるタイミングも、用いたこと自体も、正しかったのだという確信を未だ持てぬのだ」

「なに、貴様に決断させてしまった時点で我の負けよ。結果、魔は滅び――二度と生まれぬ」

「……では、あなたはどう転生する?」

「人になるのだ。人となり、人の身で魔王となるのだ。……ああいや、人とは限らんか――」

「そこまで人が憎いのか」

「……違うな。我は可能性の果てに挑むのだ」

「……果て?」

「神と呼ばれる超越者の手のひらに、風穴を空けてやるのよ。それこそが我が唯一絶対の願望……成就のためならば、その神の慈悲にさえすがろう」

「なぜ、そのようなことを」

「面白いからだ」


 魔王は、笑う。

 ただしそれはすべてを見下すような、超越者の笑顔ではなかった。

 夢を語る、少女のそれだった。


「世界が狭いことを知ってしまった。この世界は――我らが世界と認識している『ここ』は、さらに大きな箱庭の一部でしかないと、わかってしまった。……心が湧き立たぬか? 進んで、進んで、進んで、進んで! もうこれ以上はないというところまで進んで! 壁にぶち当たって、そこが果てかと思って! けれど、『世界』はもっと広いのだ!」

「……」

「我は『果て』を見たい」

「なんのために」

「好奇心を満たすためにだ」

「そのために、人を――己の味方であった魔物さえも、死なせていたのか?」

「些事だ」

「……理解ができない」

「いや、貴様は理解せねばならない」

「なぜだ」

「貴様も我と同種の王だからよ」

「……余は、違う」

「そうか。違うのかもしれん。だがな――己の種から未来永劫に知性を奪うなどと、並の器では決断できまいよ。その決断一つとっても、器の大きさは、我に及ぶ」

「……」

「貴様が持たされたのは明らかに過ぎたる兵器だった。そんなもの、凡庸な王であれば、最後の一人になるまで行使をためらったまま持ち腐れるだけであろう。それが――あと一歩のところで、決断をした! 『使う』と! 滅びへの誘惑はあったはずだ。知性を失った人類の果てを想像し、想像及ばぬほどの恐ろしさを抱いたはずだ! だというのに、貴様は種の存続のために決断した。我はその狂気を高く評価している」

「……余が暗愚であっただけだ」

「暗愚のくせに、己の決断が正しかったかどうか問い続けるのか? 知性なき者は己の乏しい想像の中でしか物事をはかれぬ。それゆえに己の行動の正しさを疑わぬ。勇気なき者は己のあらゆる行動が臆病さからくるとあきらめている。ゆえに己の間違いを疑わぬ。貴様が迷うのは――『正しい』か『間違い』か決めあぐねるのは、貴様に知性と勇気があるからだ」

「持ち上げてくれるな」

「ふん。持ち上げてどうする。……まあしかし、その謙虚さは我にとって物珍しきものだ。愛でよう。それこそが人の美徳であるとな」

「……余が孤独であれば、きっと、最後の一人になるまで行使を迷っていたであろうな。余がアレを使用することができたのは……余に、友がいたからだ」

「友か。それが貴様の強さだったのだな。なるほど、我にはないものだ」


 魔王は――笑う。

 それは、母のように穏やかな笑みだった。


「人王よ、我を止めろ」

「……」

「我は今一度、あの箱庭を掌握せんと動く。同じ時代に産まれるのだ。神の慈悲! ああ、たしかに慈悲だとも! ……我は貴様に勝ちたい。戦って、勝ちたい。ゆえに、同じ時代に産まれたのち、我を捜し、我を止めるのだ。そして再び人を守れ。我が宿敵よ」

「しかし、今の余にもはや友はない。……みな、亡くなってしまった。この雪原で余を迎えてくれるものかとも思ったが、どうやら彼らはもう、次の人生を始めているらしい。死後に酒を酌み交わすことさえ適わぬ。あなたの言う余の『器』を広げてくれた友はもう、いないのだ」

「ならばそやつらも捜せばよかろう」

「しかし、同じ時代に産まれるとは……」

「運命を信じろ、人王」

「……信じる?」

「そうだ。運命とは信じるものだ。己がなにかに――貴様らの場合は『神』に、か。愛されているのだと、そう信じるのだ。運命とは目に見えぬ、己に幸運をもたらす者からの愛である」

「神にすがらぬあなたは、なにに愛されていると信ずる?」

「無論、未来の己によ」

「……」

「なにせ我はこの箱庭を超え、もっと広い箱庭すら超え、神の領域を土足で侵略し、その上へと行く者。未来、神より上に我はあり。ならば我より大きな者はなく、信ずるのはもっとも大きく、もっとも強き、未来の我に他ならぬ。未来の我の寵愛があれば、人生はすべてうまくいく。そういうものだ。……まあ、我は己の足で進まぬ者に寵愛など与えぬがな」

「……ははは……すごい、すごい自我だ。余は……ただ、己の背負わされた運命の重さにあえぎ苦しんでいただけだというのに……運命は、重石でしかないと、そう思っていたのに……」

「よかったな、一つ学べたようだ」

「……」

「大きくなれ、宿敵よ。すべてを描いていたと我は思っていたが、貴様が『使える』とは想定しておらんかった。この箱庭で唯一我の想像を超えた男よ。次こそ我は貴様を読み切る」

「余は、あなたの期待に応えられるだろうか」

「応えなければ踏みしだくまでよ」


 魔王は笑う。

 それは彼女が最初に浮かべた、不敵で不遜な、すべての者を見下すような笑みだった。


「……さて、時間だ」


 ――風が吹いた。

 はらはらと石の城が、母の故郷の城が、無数の雪となって吹き付けてくる。

 城がすべて崩れれば、その中に光る穴が存在した。


「我らはあれをくぐり、次の生を始めるらしい。……おっと、不公平になるところであったな。我らの次は、『人』とは限らぬようだぞ。犬か、猫か、はたまた馬か、あるいは虫か! ハハハ! 虫であれば、我の願望を成就するのは少々難しかろう! 我をこの箱庭に縫い止めんとする神からの楔と思えばむしろ心躍るがな! なんとしても引き抜いてやろう、と!」

「……次の、生」

「また会おう、宿敵よ。貴様も我との再会を願ってくれるのであろう?」


 魔王は、笑っていた。

 それはかつて、初めて(ねや)をともにしようという女が見せた、値踏みするような笑顔だった。

 彼は――


「ああ、また会おう。……いや、こうではないな。……また、あなたの前に立ちふさがろう。あなたの宿敵として」

「……ハッハッハ! ――いい男だ。惚れたぞ」


 魔王は肩を揺らして大笑しながら、『次の生』へ堂々と歩いていった。


「……そういえば……彼女がなぜ我が王家秘伝の『知性破壊爆弾』について最初から知っているふうだったのか、聞きそびれたな」


 まあいい。

 それは、再会してから聞けばすむ。


 だから彼も歩き始めた。

 その背中にはかすかだけれど、王の風格が漂っていた――

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