7話 お昼ごはんにソテーを
上に乗ってかけっこができそうな机にアリサとロベルタは座ってご飯していた。
机に座ってとは言うけれどこれは『机のそばにある椅子に座っている』という意味だし、机は上でかけっこできそうなぐらい長いけど、二人が使ってるのは入口から一番遠い端っこのところだ。机の長さがまったく活かされていないのでもっとこぢんまりしたヤツに換えたほうがいいかもしんない。
「……なるほど。アリサ、あなたのお母様は――無敵なのね」
「うん。私のお母さんは無敵なんだよ」
「たしかにさっき、食前のスープを飲んでる時にあなたが言っていた『暴れ牛の群れの前に一人で立ちはだかって十数頭の暴れ牛と押し合いをして勝った話』は、あまりに非現実的で余ったらはしたなくもスープを吹いたわ」
「お母さんは私の村の『牛投げ祭り』でも毎回一位なんだよ」
「待って、その謎のお祭りはなに? 牛投げ? 投げるの? 牛を?」
「うん。私は今年三位だったんだ」
「え、牛を投げるの? あなたが? そのちっちゃめのボディで?」
「牛投げ祭りだから投げるよ?」
「投げられる牛の気持ちは考えたことある?」
「毎回牛さんとコンビを組んで本番まで何度も練習するんだよ。会話で心を通じ合わせて、投げられる牛も投げる私たちも『いっしんどうたい』になってがんばるの」
「合意なのね……」
「一番遠くに投げられた牛は今年の『福牛』になって貴族様に献上されるの」
「献上された牛はどうなるの?」
「食べるんじゃない?」
「牛は合意してるの?」
「合意、必要?」
「『いっしんどうたい』ってものすごい仲良しなんじゃないの? 仲良しが食べられるのはアリなの? 余だったらだいぶナシなんだけど……」
「でも、牛を食べたらおいしいことは、牛さんが教えてくれるし、本人たちもそういうふうに受け入れてるんじゃない?」
「……」
ロベルタは碧い瞳を伏せて、目の前の皿を見る。
本日のメインディッシュは子牛のソテーだ。
「なんだか余は食欲がなくなってきたわ」
「胃袋弱いの?」
「ううん。心が弱いのかもしれないわ……」
「弱い部分は叩いて鍛えるといいよ。うちのお母さんもそうしたんだって」
「心を叩くの? どうやって?」
「心が痛いことをすればいいんだよ!」
「余、やだ……自ら進んで心を痛めつけたくないわ……というか、余は毎日毎日けっこうなストレスと戦っているのよ。お誕生日だって恐い顔の大人に囲まれただけで結局祝ってもらえなかったし……信じられない。ケーキが出たのはお誕生日から二日後よ」
「今年のケーキが二日遅れたなら、来年のケーキは去年より二日早く食べられるね」
「あなたポジティブね。余はだいぶネガティブなところあるからそういう前向きさうらやましいわ」
「ケーキいいよね。ドライフルーツがぎっしり入ったやつでしょ? 進化したパンって感じの……えっと、黒いやつ。お酒とかちょっと入った……」
「え? そのケーキ、余は知らないわ。ケーキっていうのは真っ白いクリームでスポンジを包んで上に新鮮なフルーツ乗せるものよ」
「クリーム?」
「なぜクリームを知らないの? まさか街ではクリームが時代遅れなの? 余は流行に乗れてない?」
「街のことはわからないよ」
「じゃああなたはなんのことならわかるの?」
「世界の歴史」
「ちょっとちょっとちょっと。余より賢そうじゃない。余も世界の歴史は習ってるけど、そんな『なにがわかる?』って言われてパッと『世界の歴史』って答えられるほど自信がないわ。なにその自信? あなたまさか本当は頭がいいんじゃ……?」
ロベルタはアガサが頭よかったらやだなと思った。
だって、すごく頭がいいから世界がやばい可能性があってアガサをとりあえず呼んだのだ。
これで頭がよかったら世界がやばいじゃない。
あと、ロベルタは自分より頭がいい人とはあんまり仲良くしたくない。
生まれてからずっとお勉強ができたら『さすがです!』と褒めてもらえて、運動しても『さすがです!』と褒めてもらえて、絵を描いたら『独創的です!』と褒めてもらえたのだ。
隣に同じ年齢で自分より褒められそうな子がいたら嫉妬しちゃうでしょう。
「頭がいいかはわからないけど、世界の歴史はワンちゃんに習ったんだよ」
「ああ、ワンちゃん……犬の受け売りなのね」
二人は同じ場所に視線を向けた。
そこには真っ白い毛玉みたいなポメラニアンがいて、皿に乗った子牛のソテーをお上品に食べてる。
お上品な犬食いだ。
なので口の周りの白い毛がソースでべちゃべちゃになっている。
ベチャベチャの口でワンは言った。
「二人とも、王宮の食事はどうだね?」
「ちょっと、ちょっとちょっと。ワンちゃんがなんで『自分が振る舞いました』みたいな感じで言うのか、余にはさっぱりだわ……ここは、余のおうち! お料理とか、余が出させたの! 余の褒められポイントをさらわないでほしいんだけれど」
「……いや、すまない。なんというか……つい」
ワンは遠くを見上げるように首をあげた。
その横顔は口元がソースでべちゃべちゃだ。
「……ねぇ、余はたびたび思うのだけれど、この犬はひょっとして自分を王様だと思っているんじゃないの……?」
「フッ……いや。余はもはや王ではない。ただ、少しな。感覚が追いつかぬだけのことよ」
「なんだか含みを感じる発言だわ。王様は余だからね! ケーキを食べるのは余の役目よ」
「別に王でなくともケーキぐらい食べられるであろうに」
「嘘よ! だって猫の宰相が『王様じゃなきゃケーキ食べられない』って言ってたもの! 余は死ぬまで王様なんだから!」
「……今の宰相は猫なのか」
「宰相は生まれた時から猫よ!」
「…………宰相とは猫の名前なのか?」
「余が八歳の時から宰相なんだから」
「差し引き四歳の猫か。そこそこの老猫だな……」
「!? 今の一瞬で引き算を!?」
「アリサもしていただろう」
スルーされたけれど、『今年二日遅れてケーキを食べたなら来年は二日早くケーキを食べられる』というのは、算数が――しかも足し算と引き算の両方ができなければ出てこない言葉だ。
しかも――暗算。
ご飯しながらついでみたいに、計算していたのだ。
ロベルタは冷や汗をかきながらアリサを見る。
素朴な顔立ちの女の子だ。
ちっちゃくて幼い感じなので年下みたいだが同い年らしい。妹ほしかったから、ロベルタは年下っぽい女の子は歓迎したい気持ちがけっこうある。
この赤髪馬尻尾式髪型の、地味目ワンピースの若干手足太め身長低めのアリサという少女は――食べながら暗算をした。
あんな、なんでもなさそうにニコニコして、暗算をしたのだ!
「……ありえないわ……! 指を使わずに計算ができるなんて、大人でもそんなにはいないのよ……!」
「今の人類からは大事なものが失われている」
ワンは『おすわり』の姿勢で短いしっぽをパタパタ横に振りながら言う。
口もとはソースでべしゃべしゃだ。
「知力――人類はそれと引き替えに、過去、絶滅の危機を脱した。しかしな、ロベルタよ。余は思うのだ。……失われた知力も、教育さえおこなえば、取り戻せるのではないか、と。そうして余は、アリサに様々な知識を与えた」
「…………」
おおよそ犬の思想じゃない。
ロベルタは、自分の非力な腕でもつかんで遠くまで放り投げられそうなそのちっちゃい犬に、賢そうな大人の姿が重なった気がして、目をこする。
「ロベルタよ、いい機会だ。王宮に踏み入る気はなかったが、これもなにかの縁。君も余の教育を受けてみるかね?」
「わ、余にはもう家庭教師がいるわ! 猫の宰相がお勉強教えてくれるのよ!」
「悲しいかな、時が経っている」
「頭よさそうな言い回しはやめなさい! 余がバカにされてるみたいに感じるじゃない!」
「……まあとにかく、今の大人も知性がなくなってからの子供なので……猫もまあ、猫だし」
「大人なの!? 子供なの!?」
「……とにかく、余の教育を受けてみるか?」
「余の教育係は宰相がいるわ」
「しかし――余の教育を受ければ、足し算と引き算が暗算でおこなえるようになるぞ」
「!?」
「暗算できたら、格好いいとは思わんかね?」
「……」
ギリッ、とロベルタが歯を噛みしめる。
暗算――
できたら――
たしかに格好いい……!
想像する。
恐い大人がたくさんいるところで、みんなが数字を紙に書いて足したり引いたりしている。
そんな中、玉座に着いた自分が言うのだ。
『みんな、5+7は??じゃなくて?』(※暗算ができないので今は答えが出ない)
……格好いい!
その姿はまさに王だ。
「……わ、わかったわ……余も、ワンにお勉強を教わる……」
「よろしい。……ああ、なるほど……余がこうして犬の身でこの世に生まれ落ちたのは、このためだったのかもしれん」
「算数を教えるため?」
「合ってはいるが、間違ってもいる」
「算数は『合ってる』か『間違っている』かしかないわ!」
「少し算数から離れなさい」
「算数はどこにいる想定なの? どの方向に離れたらいいの?」
「……えーっと……まあ、座って食事を続けなさい」
「そうしたら算数から離れる……つまり、算数は今も移動しているのね? ……え? ということは、王宮内には算数が歩いているものなの? しかもずっとここで暮らしてる余にぜんぜん見つからないで、ずっと歩いてたの? 算数はおばけ?」
「まあともかく、君は余が立派な淑女に育てよう。なにせ余には……なにか、なにか使命みたいなものがあった気が……ううん……記憶が、完全ではない……」
ワンは小さな顔を上げて遠くを見つめた。
視線の先には天井しかないけれど、ワンは頭がいいので別なものが見えるのだ。頭がいいってやばい。
そう、たとえば――記憶。
それはワンがまだ人間だったころ――人間として、一生涯を終えたころのこと。
思い出すのは凍えるような雪景色。
一面真っ白な、どこともしれないその場所で――老いた王は、彼女に出会った。