5話 都会の一歩手前
「王都まで……俺は……止まらなかったからよ……」
そう言い残してシルバーは倒れた。
白くない白馬シルバー、王都前に眠る。
「だからペース配分に気を付けろと言ったのだ、愚かな馬め……この大量の荷物をどうするのだ。馬の力なしで余とアリサだけに運ばせるつもりか……」
「ぼひひーん……ぼひひーん」
変なイビキをかきながらシルバーは寝ている。
ワンはアリサの犬用リュックから抜け出してシルバーの鼻っ面を前脚の肉球でプニプニしてみるんだけれど、起きそうにない。
困ったな困ったなとなる。
だってもう夜なのに、シルバーは荷物をくくりつけたまま寝ちゃったし、荷物はアリサとワンだけだとちょっと重い。
シルバーの力持ちさは十二歳の女の子と小型犬よりだいぶすごいから、ここから王都の王宮まで荷物持って向かうためにはシルバーの力がほしい感じだ。
「ワンちゃん、シルバーはがんばったよ」
「それは否定しておらんよ。ただ、がんばりかたをもう少し頭を使ってだな……アリサ? なにをしているのだ?」
ワンが目を向けたら、アリサは荷物の中に上半身をつっこんでいた。
着てるものがなにせワンピースだからあんなに上半身を折り曲げたらパンツ見えそうだけど、ワンは小型犬なので角度的にアリサのパンツは見飽きてるから別にいいや。
ちょっとのあいだゴソゴソしてたアリサがズボッて荷物の袋から上半身を出した。
なにか取り出したっぽくて、それはなんかアレだった。でかいやつ。布のアレ。
「アリサ、寝袋など取り出してどうするつもりだ?」
そう、寝袋だ。
寝るための袋なんだけれど、なにせ材質が麻だから、これに入ってもそんなに寒さはしのげない。でも外で寝る時なにかに包まれてるとすごい安心感だから持ってる。ぬくもりは犬でとる。
「寝袋はね、寝るために出すんだよ」
「……いやしかし、ここでか? こんな……」
ワンが見た先には王都へ通じるでっかい入口がある。
すごいでかさだ。馬を何頭いっぺんに通す気なんだろうっていう横幅に、作った人が普通の人間の三倍ぐらい身長あるんじゃないの? こんなに大きな入口作ってどうしたかったの? あとで整備とか補修とかする人のこと考えてよってぐらいの高さだよ。
石でできてる。
王都はだいたい建物でもなんでも石でできてる。
石が好きなのかもしれない。風とは相性が悪いぜ。
まあとにかくワンは頭がいいので、あと十歩も歩けばもう街の中なのに気付いていた。
街に入ったら宿屋とかそういうのもあるのに、こんな街の入口で野宿とかもう少し根性を出してほしいとかそういう感じなのかもしれない。
「さ、ワンちゃん、夜だし寝よう!」
「……あと少しで街に入れるのだから、もう少し進んで中で眠らぬか?」
「でも夜遅くまで起きてるとお母さんにわけもなく怒られるよ……」
「お母さんは今、いないだろう」
「ここにはいないけど、遠くで私たちのことを見守ってくれてるし、たぶんなにかあったらすっ飛んできて怒鳴るよ……お母さんは怒ると恐いし、怒るとテレポートするし、怒ると最強なんだよ……」
アリサの中のお母さんがやばいやつだ。
でも、ワン的にもアリサのお母さんだいぶすごい人扱いしてるので、アリサの恐い感じはわかる気がする。だってアリサのママ、牛とか投げ飛ばすから。
「ふぅむ……まあ、わかった。お母さんは恐いものな」
「うん。ワンちゃん、寝よう」
「わかった。寝よう」
「おいで」
「……」
少女に添い寝を依頼されるのは小型犬の宿命だ。
しかしそろそろ気温は暑くなり始めているし、あとアリサはあのお母さんの娘なので細くてちっちゃい見た目に反してけっこう腕力があって、抱きしめられると世界はこんなにも優しくて夜はこんなにも穏やかなのにワンは全身の骨がきしむ音で目覚めるのだ。
「アリサよ……君ももう、十二歳だ。文字を覚え、農作業を覚え、乗馬を覚え、数の数え方を覚え、髪だって一人で結えるようになった。まだ体は小さいけれど、力は大人なみで、お父さんを『高い高い』できる」
「お父さんには質量がないんだよ」
「実はお父さんにも質量があるんだ。……質量がなにかわかって言っているかね?」
「えへへー。ほんとは、わかんない……シルバーが頭よさそうな単語を使ってたからまねしたんだよ」
「うむ。お父さんには質量があるんだ、ゼロではない……限りなく軽いが、ゼロではない」
「質量ってなんなの? 風になるとなくなるやつでしょ? つまり……存在感?」
「質量とは存在感ではない。まあ、質量がある方が存在感が強まるのは否定せんが……」
「難しいんだ!」
「そうだ。……まあまあ、質量の話はいい。君がもう少し大きくなったらそのへんのことも教えるが、それは今ではない」
「頭がよさそうな言い回しだあ……」
「とにかくだ。……君は、もう大人とも言える。大人は、一人で眠るものだ。わかるかね?」
「嘘だ! 大人は一人で寝ないよ! お父さんとお母さんは一緒に寝てるもの!」
「それは二人が恋人同士だからだ」
「お父さんとお母さんは恋人なの? 夫婦ってやつではないの?」
「恋人を経て夫婦となったのだ。君にはまだ難しいかもしれないが……お父さんとお母さんは、ちょっと尋常じゃないぐらい仲良しだから、一緒に寝ていい。しかし、尋常じゃないぐらい仲良しのいない大人は、一人で眠るものなんだ」
「ワンちゃんと私は仲良しじゃないの?」
「仲良しだが、余は犬だ。大人の女性は、犬と添い寝はしない。仲良しの男性ができたら、その人と添い寝をするのだ」
「ワンちゃんはオスでしょ!?」
「オスだけれども。うーむ……まあとにかく、暑くなってきたのでそろそろやめたいのだ。あと君、寝てる時、余をものすごい抱きしめる。余は骨折の恐怖におびえながら眠るのだ。眠るというか締め落とされているのだ。わかってくれ」
「どういう意味? あっ、イヤなの? 私と添い寝イヤなの? そういう感じなの?」
「うーむ……」
まあイヤだよね。
暑いしキツイし骨折れそうだし。
小型犬にとって怪力系少女との添い寝は命にかかわるのでイヤだ。
しかしワンは紳士なので、泣きそうな女の子に残酷な現実を突きつけるのはしない犬なのだ。
犬のちっちゃい脳味噌でどうにかアリサを傷つけない言い回しができないか考えてみた。
「……まあ、そうだな。今日は野宿だし、冷えるし、余は君と一緒に眠ろう」
「けっきょく一緒に寝るやつじゃん! 寝るやつじゃん! ワンちゃん! ワンちゃんったらもう!」
アリサが嬉しそうにクネクネしながら足から寝袋をまとっていく。
麻袋入りアリサがここに爆誕した。
「おいで、ワンちゃん」
「……クゥーン」
もう鳴くしかない。
ワンは覚悟を決めて、アリサのおさまった麻袋にもぐりこんだ。