第三話
◇◇
二つの門を抜けて冒険者組合へと辿り着き、扉を押し開けて中の喧騒へと身を投じる。途中の門では、笑顔で身分を確認していた衛兵が、薄汚い恰好をした遠山を見てあからさまに嫌そうな顔をした。自分よりも一回り以上若いであろう者の態度に感じないことがないわけではないが、面倒ごとを起こすのは面倒だったので、手早く冒険者組合の組合証を提示して通してもらった。冒険者としての身分はどこでも確かなものとして考えられている。非常に便利ではあるが、冒険者組合の看板に泥を塗るような行為をした場合、半殺し程度ではすまないため気を付ける必要がある。
冒険者組合の建物の中には大抵酒場が設置されている。飲んだくれて依頼を失敗する可能性がたまに示唆されるが、実は酒場は冒険者にとって大きな役割を果たしている。
一つには、酒場のテーブルを使って会議を開くということである。多くの冒険者は魔獣に対抗するためにパーティーを組んでおり、依頼を受けるにはパーティー全員の意思統一が不可欠である。酒場の反対側に置かれた、級毎に区別されている大きな掲示板を眺めながらその日に受ける依頼を決めるのだ。
もう一つには、酒場の名の通り酒を飲むことだ。依頼の達成後における祝勝会はもちろんだが、依頼の前にも少しだけ飲む。それは、命を落とすかもしれない恐怖感を少しでも紛らわすためだ。依頼が終わった後に全員が生きて戻ってくるとは限らない。死ぬかもしれない仲間との絆を確認する意味もあるのだ。
依頼の貼られた掲示板へと歩みを進めていると、様々な視線を感じる。軽蔑を含むもの、怪訝そうなもの、興味を持つもの。そして、それと同時に仲間同士で囁く声も聞こえてくる。聴力の強化された彼には嫌でも聞こえてしまう。
「おい、『片脚』が来たぞ」
「ああ、いつも変わらない時間に来るんだよ」
「あんなみすぼらしい恰好で・・・・・・全くご苦労なことだな」
「おい! 少しは敬意を払え! 十五年以上もここで働いてるんだ。彼の次に古参のやつでもまだ七年だぞ」
「普通の冒険者と比べるんじゃねえよ。あいつはその十五年以上も冒険者やってる古参だってのにずっとF級なんだぞ。安牌をとり続けて向上心を忘れたのさ。あんなふうにはなりたくねえもんだな」
彼らの言ってることはすべて事実だ。『片脚』という二つ名だが、普通二つ名はC級になってから冒険者組合によってつけられるものだ。それ以下の級で与えられるなど異例中の異例。D級の有望なもので与えられることはたまにあることだが、F級で与えられるなどあるはずもない。事実その通りで、『片脚』の二つ名は冒険者組合によって与えられたものではない。周囲の冒険者によって勝手につけられたものなのだ。
十五年以上、細かく言えば二〇年だが、彼は級を上げることなく最下級のF級という地位を甘んじて受け入れていた。いや、受け入れざるを得なかったという言葉のほうが正しいか。
遠山は、F級の掲示板から王都近郊に存在する迷宮の、浅い層における依頼をちぎりとって受付へと持っていく。依頼書を提出すると同時に組合証もまた渡した。どういう理屈かはわからないが、組合証に依頼を受けたことを記憶させているらしい。これによって昇級試験なども円滑にしているのだ。
「メルビム下級迷宮におけるゴブリンの討伐ですね。はい、確かに依頼を受けられました」
営業スマイルを浮かべた受付嬢が依頼書と組合証を返してくる。遠山は気づいていた。ここへと向かおうとしたときに彼女が眉をしかめていたことを。そして、依頼書と組合証をとろうとしたときに素早く手を引いたことを。どうやら汚いやつはお気に召さないようだ。ここはさっさとお暇するに限る。
ここにいたくもないし、はやく依頼を終わらせたくないしで、自然と足取りが早くなる。出口に向かおうとすると、彼女から静止の声がかかる。
「ミルドさん、さきほど組合証を確認したところ、まだ能力測定をされていませんでしたよね? 同時に犯罪歴の有無も確認できるのでできればご協力いただきたいのですが」
少し申し訳なさそうに言っても遠山の心には響かない。
ミルドとは、冒険者組合に登録するにあたって適当に作った名前だ。本名を知られてしまえば自分が何者であるかを特定されてしまう危険性がある。そんな危険は冒せない。
それと、能力測定と犯罪歴の確認についてなのだが、大昔に高名な賢者が作り出した魔導具の水晶の量産型が各冒険者組合には置かれている。それに手を置き少量の魔力を注ぐことで、その人物のさまざまな情報がわかるのだ。
受付嬢は能力測定と犯罪歴の有無についてしか言及しなかったが、量産型であるために性能ははるかに劣化しているが、既に述べたように多くのことがわかるのだ。本名はもちろんのことで、レベル、使える魔法の系統、魔力の多寡、身体能力、そして誰もが秘匿し絶体絶命のときにしか使わないような切り札、つまり【技能】までもわかってしまう。
それらの情報は見てわかる組合証には記述されず、本人にのみ確認ができる、というのが冒険者組合の言だが、実際は異なる。冒険者組合のほうで紙媒体として記録され、半永久的に冒険者組合本部の所蔵庫に保管される。有事の際にはそれらの情報を参考に、そして人質にして冒険者に戦うことを迫る。ゆえに、一回でも応じないことが正解なのだ。しかし、それは不可能と言っても過言ではない。というのも、これは冒険者組合からは決して知らされない。自分自身で知るか、知っている者から教えてもらうしかする方法はないのだ。とはいえ、級が上がるにつれて待遇ははるかに良くなるので知っていて受け入れる者もいる。それは、拒否すれば冒険者組合の対応も変わってくることを意味する。冒険者組合側としてはその冒険者の級が上がることを良しとせず、決して信用しない。そして、情報が盗まれることを知っていることを行動で示しているようなものなので、警戒もされる。つまり、いいことなどないのだ。
上目遣いで言ってくる受付嬢を冷ややかな目で一瞥し、手を振って拒否を示し足を進める。小さな舌打ちが聞こえるが無視だ。遠山は少しすっきりした気分になった。
◇◇
王都ファーレーンの城壁を出て三〇分。森の中に小さな町が現れた。歩いている人は誰もが屈強な雰囲気を醸し出している。男性も女性も例がなく、だ。並んでいるお店は宿屋か酒場、そして迷宮に必要な装備を売り出しているお店が大半だ。まだ午前中でも早いほうであるために活発に取引が行われている。冒険者は概して朝が早いのだ。
何度も通ってきた道を迷うことなく進む。ここでは彼の恰好も目立たない。似たような感じのものがたくさんいるからだ。しかし、彼ほどの重荷を抱えている者はいないだろうが。
街に入る前から遠めに見えていたものが目の前にある。王都のものほどではないにせよ、それは立派な城壁である。城壁とは何かを囲い、そしてその何かを守るために作られるものだ。しかし、ここには城はない。そして、遠山から見える側、つまり、外側に階段があり、内側に対して警戒している。
何があるのか。メルビム下級迷宮だ。
迷宮は定期的な掃除―――魔獣の駆除をしなければ【氾濫】という現象が起きる。それは圧倒的な数の魔獣が、出現する階層の深さにかかわらずあふれ出し、周囲を蹂躙する現象だ。地上にも魔獣が存在するのだが、それらは外魔獣と呼ばれ、氾濫のよって溢れ出た魔獣が討伐されずに外の環境に適応し、独自に繁殖したのだ。一方、迷宮内で繁殖を必要とせず、自然と発生する魔獣のことを内魔獣と呼び、階層が深くなればなるほど脅威の度合いが高まる。
迷宮はそこから産出される物品による恩恵が莫大ではあるが、それに伴って大きなリスクも伴っているのだ。ゆえに、迷宮は国によって管理されている。
中へと入る門を通るときの手続きは王都でのときとほぼ同じだ。違う点は、中に入ったということが記録され、一ヵ月後に出たことが確認されなければ死亡したと認定されることだ。
迷宮の入り口はすべて地面に口を開いたような、大きな穴になっており、円柱状にくり抜かれた側面には階段が設置されていてそこを通って上り下りするのだ。
片脚を使えないながらも器用に階段を下りていく。周りの冒険者たちの様子は二種類に分かれる。これから迷宮に潜る者たちは生気にあふれた顔つきで、迷宮の中でのフォーメーションや何を目的としているのかの再確認を行っている。そして、探索を終えて階段を上る者たちは一様に疲れ切った顔をしている。傷のない者はおらず、だれもが何かしらの傷を負っている。それは心の傷も含めてだ。中には四肢を欠損するほどの傷を負っている者もいて、帰りの者たちが通る場所は血に染まっている。そして急ごしらえで作ったような担架に乗せられたものも見受けられる。上には顔を隠すように布が置かれ、仲間たちは顔を涙で濡らしながら運んでいる。死んでしまったのだろう。
迷宮とは、希望も絶望も内包する、ちぐはぐな場所なのだ。
◇◇
穴の底へと辿り着いた。ここはもう迷宮だ。
迷宮の中にはまず広い部屋が広がっている。ここは安全地帯と呼ばれ魔獣が中へ入ってこないため、冒険者が溜まり場、休憩所として使っている。少量の荷物を運びこんで商売をしているものまでいる。
(まったく、商売魂はどこまでいっても尽きないんだな)
そんなことを思いながら分岐した通路の一つへと進む。そこにはもう太陽の光は届かないのに松明を用意せずとも視界が確保できる。壁が発光している。どんな原理かはわからないが、魔力の動きがあるのだけはわかる。似たようなもので魔導灯があるが、あれは定期的に魔力―――魔獣の心臓部である魔石を交換する必要があるのに対し、迷宮ではその必要がない。
迷宮はわからないことのほうがはるかに多い。目の前の現象もそうだ。高純度の魔力が圧縮されたかと思うと、そこから魔獣が生まれ出てくる。
全身を緑色の肌が覆い、子どものような大きさだ。しかし、容姿は全く違う。背中は大きく曲がりまるで老人のようだ。腹はでっぷりと突き出し中年の腹を思い起こさせる。特徴的な鷲鼻と鋭い牙を持ち、腰には申し訳程度の襤褸布が巻かれている。こちらに向ける視線はひどく攻撃的で、口からよだれを垂らしている。
「まったく、不可思議だな」
その言葉を発するがはやいか、魔獣―――ゴブリンが突進してくる。
しかし、遠山は腰の剣を抜かない。
「これだとオーバーキルか」
左手で県の柄を撫でて、伸び放題の前髪の隙間からゴブリンを睨みつける。体中から魔力を開放し通路を濃厚な魔力が埋め尽くす。魔力を感じ取れない人であっても、息苦しさを感じるほどであろう。しかし、ゴブリンは止まらない。アドレナリン的な何かが分泌されて感覚が鈍っているのだろうか。人間で言えばそれは悪手だ。命を懸ける戦いにおいて興奮し五感を鈍らせるなど言語道断。死んで当然だ。しかしこいつは人間ではない、魔獣だ。
(並みのゴブリンなら金縛りにあったように硬直するんだが・・・・・・。こいつは恐ろしく馬鹿らしい)
ため息をついてそんな考えに浸っていると、ゴブリンは目の前まで迫っていた。大きく口を開けて飛び込んでくる。狙いはおそらく首。
遠山は避けない。
右手の松葉杖を光の速さで振るう。鈍い音が響き、壁にゴブリンが叩きつけられ紫色の花が咲いた。
まだピクピクと動いていたので追撃として何度も殴りつける。討伐証明部位の耳だけはきれいな形を残してある。
耳をこそぎ取り、魔石を切り出して『収納』にしまう。彼にとっては造作もない。当然の帰結だ。勇者の腕力であれば松葉杖でも余裕で撲殺できる。
「あと四匹」
それからも同じようなことを四回行った。遠山にとってはただの作業であり、造作もない。
時間にして三〇分くらいであろうか。依頼の報酬としては銀貨一枚。魔石の販売料金で銅貨五〇枚。一時間やれば銀貨三枚。一回の食事でちょっと贅沢して銅貨二〇枚だと考えるとそこそこの稼ぎだろう。
今日もまた酒に酔ってこの金は消えるのだ。