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1.十番隊の毛

 ここ零央には西門州最大の軍隊がある。それはまさに州名のとおりで、ここが首都・開陽を守る西の砦としての機能を要求された都市だからだ。


 武官の集う屯所は街のややはずれにある。広大な土地をぐるりと木の塀で囲んだ敷地内には十もの棟が建てられていて、それを十の隊がそれぞれ独立して利用しているというわけだ。たとえば、入口近くにあるもっとも豪奢な棟は一番隊の占有する棟である。一番隊とは、禁軍含めどこの軍でも、名誉ある最強の部隊を指すのがこの国の通例だ。事件があれば、または上位である枢密院からの招集があれば、すかさず実行に移るのがここ零央の一番隊の役目なのである。


 その一番隊の棟の隣には古びた棟が一つある。ここは十番隊が利用している。十番隊とは、ここでははっきり言えば数合わせのために作られた部隊であり、構成する武官の面々には、他の部隊以上にいわくつきの者が多い。いわくつきというのは、つまり前科者のことだ。この時代は武官の成り手が少なかったから、そういったところからも人材を確保しなくては武力を保てないのだ。


 なお、武官だけではなく肉体労働全般が下位のものとみなされているのは、湖国が成った際にとられた施策のせいで、頭脳を使う職こそが国を内から栄えさせると、当時の皇帝が文官や商人を優遇したためである。


 もちろん、そのような方針を国がとったとしても体を使う仕事がなくなるわけでもなく、それゆえ、軍を管理する枢密院は常に人材の確保に苦労していた。


 その最たる影響がこのような地方の軍に及んでいることを、中書省――文政を司る省――の文官はおそらく知らないだろう。たとえ知っていようと、少なくともここ零央の実態を正確に把握してはいまい。


 そうでなければ、十番隊がここまで多くの犯罪者あがりの人員で構成されていて、なおかつ隊長も前科者である現状を問題視しないわけがないのだ。いや、一度でも罪を犯した者に一生ものの悪人の印を背負わせたいわけではない。中にはしっかりと反省し改善する者もいるのだから。


 だが十番隊の隊長であるもうはあきらかにその類の善なる男ではなかった。毛は自分こそがこの世の中心に在る存在だと信じきっていて、それゆえ、何かあれば世間を憎み、力を振るい、より楽な生き方がないものかと模索していた。そういう男だった。


 毛の思想は十番隊の武官を簡単に洗脳してしまった。自分にとって都合のいい思想をあっけらかんと語り実行する上司に従うのは、誰にとっても楽だからだ。まだ十代の、無垢でよんどころない事情を抱えて罪を犯しただけの少年ですら、この隊に配属されてひと月もたたないうちに、怠惰であつかましい人種に成り下がってしまうほどだった。


 そんな十番隊のことを、他の隊の者は見てみぬふりをしていた。それしか方法がないからだ。十番隊は心根こそは薄汚いが、腕はめっぽう強い。ただ武芸が好きで武官になったような者よりも闘い慣れていたし、人を傷つけることにためらいもない。十番隊が反乱を起こせば大きな騒動となることは自明の理であり、また、十番隊を失えばこの屯所は枢密院に対して申し開きができないのである。


 幸い、湖国創生以来、零央では一度も大きな事件は起こっていない。国の中央に位置するがゆえに、他国に侵略されることもない。あったとしても、庶民が色恋沙汰の末に刃物を持ち出してやり合ったとか、将来を悲観した病人が数人を道づれにして自殺したとか、そんな一昔前にくらべれば些細なことしか起こらない。最大の仕事は、時折来訪する皇族、特に皇帝の守備警護といった有様だ。


 だから誰もが十番隊のことを放置していた。それに十番隊の誰もが胡坐をかき、より一層ふてぶてしくなっていった。彼らが行う悪事と判定されるかどうかのぎりぎりの言動は、零央の民の批判を浴びたが、彼らは一向にかまわなかったのである。




 そんな十番隊において、先日ある事件が起こった。隊長である毛が大勢の前でやられたのだ。場所は十番隊の占有する稽古場であり、見ていた者は十番隊所属の武官だけだった。だがそのようなことは初めてだった。やった相手は梁晃飛、武芸初心者を対象に、週に数回屯所に訪れて指導をする外部の一青年だ。


 木刀で内臓を思いきり突かれて気絶した毛。

 そして去り際に冷たい笑みを浮かべた青年――。


 居合わせた武官のすべてが「やられたのが自分でなくてよかった」と内心思った。腕に自信のあるならず者たちすら真に恐怖させた大事件であった。


 十番隊を震撼させたこの一件は、口伝であっという間に屯所内、そして零央の街の誰もが知るところとなった。一体誰が外部に漏らしたのかはいまだ定かではないが、こんな面白い話を庶民は放ってはおかなかったのである。


「あの十番隊が赤っ恥をかいたそうだぞ」

「ふはっ。それはいい気味だ!」


 誰もが笑い、膝を叩いて喜んだ。

 それほどまでに十番隊はこの街では不人気だったのである。


 そして事件の一部始終が酒の肴として面白おかしく語られるのは常となり、この日も庶民の集う酒楼の一角では、男たちが心地いい酔いの中、まるでわが目で見たことのように語っていた。


「……そこでだな。その美形の剣士が軽々と木刀を持ち上げてな」


 いつの間にか青年――つまりは晃飛だ――は美形だということになってしまっている。


「毛の野郎が声を上げる間もなくぱっと動いてな」


 身振り手振りを交えて語る男を、周囲の三人も笑みを浮かべて聞いている。


「気づいたときには、剣士の木刀が毛のたるんだ腹にぐさっと刺さってな」


 確かに毛の腹には四十代という年齢相応の脂肪がついているが、実はそれほど醜い体をしているわけではない。筋肉など、二十代の若者にも引けを取らないほど大量にその身にまとっている。ただ、普段の態度が悪いせいで、晃飛の描写同様、過剰に語られてしまっているだけなのだ。噂が噂をよび、尾ひれがつき、今では毛はそういう悪人然とした無様な中年だと庶民に信じられていた。


「で、目をむいた毛は背中からどっしーんと倒れたってわけよ。さながら熊がやられたみたいにな」


 ぐるっと目をむいて舌を出して、やられた直後の毛の表情を想像し真似た男に、三人の仲間がぶははっと声をあげて笑った。この表情をしてみせるところが最大の山場で、何度見ても笑いのツボに入るのだ。それを知っているから、一人語る男もついつい調子にのってしまう。


 と、その頭が大きな手でぐわしっと掴まれた。


 そのままぎりぎりと締められ、それまで笑顔だった男が痛みに暴れた。


「なんだなんだこの野郎! 手を放せっ!」


 だがどんなに振りほどこうとしても、男の頭を締め付ける力は緩まない。いつの間にか、三人の仲間は息をすることも忘れて男の背後を茫然と見上げている。


 なんとか後ろを振り向いた男は、そこにいる大男の姿に絶句した。


 それは毛だった。


 いや、男も、その仲間たちも、実在の毛をこれまで見たこともない。だがその悪人面、怒りに歪んだ顔、血走った目、自分たちよりも一回り大きな体躯――それらの条件を満たす男といえば毛しか思いつかなかったのだ。武官の衣を身に着けている必要などなく、正体は明白だった。


 毛の後ろに従う男たちも、毛ほどではないが明らかにカタギではない。漂わせる風格が唯人のものではないのだ。


 毛がさらにその手の力を強め、あわれな男の頭がい骨がみしみしと鳴った。


「俺はそんなに間抜けな面をしていたか?」


 男は言葉もなく首を振ろうとしたが、いかんせん、ここまでの強力で頭を固定されていては無理な話だ。それでも毛の眼光に気おされ、男はよだれをこぼしながらなんとか答えた。


「い、いえっ! そのようなことはありません!」

「じゃあさっきのあれはなんだ」


 わざとゆっくりと語りながら、薄寒い笑みを浮かべた毛がなめるように男を見た。


「す、すみませんでした」

「はあ? 聞こえないなあ。なあお前ら、聞こえたかあ?」


 背後に首を傾け問うた毛に、誰かが「聞こえませんねえ」と答えた。


 殺伐とした張り詰めた空気は、平凡な庶民にとっては荷が重すぎた。心はあっという間に飽和し、男の両目から涙があふれた。


「うわっ、こいつ漏らしてやがる」


 幸か不幸か、男が失禁してしまったことで毛がその手をようやく放した。解放された男は束の間放心していたが、すぐに正気に戻ると壁際によたよたと這って逃げていった。濡れた尻を振りながら遠ざかる男を毛は細めた目で眺めていたが、やがてその視線は別の標的へと移動した。


「それじゃあ今度からはお漏らし野郎の話を広めないとな。おいお前、今のこいつの真似をしてみろよ」


 突然指名されたのは隣の席で息をひそめていたまったく無関係の男だった。男がひいっと声をあげた。だが毛は容赦しない。ようやく逃げきったと安堵しかかった男の元へ大股で近づくと、再度の恐怖に震えだした男の頭を再度掴み、指名した男のほうに無理やり向けてみせた。涙とよだれで濡れた顔を真正面から見せられた哀れな男が、もう一度ひいっと声をあげた。


「真似してみろってんだ。できないなら、できるようにお前にも同じことをしてやろうか……?」


 にたりと笑った毛はまさに悪魔のごとくであった。



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