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3.分かってしまった

 ややあってから、晃飛はようやく口を開くことができた。


「仁兄の話って……妹のことでしょ?」

「ああ」


 ここに住みだした当初であれば、珪己の話を出すたびに口ごもるなり戸惑っていただろうに、今日の仁威はそれを自然なことのように肯定した。


「あいつの体調の悪さが前から気になっているんだが、ここ数日はさらに良くないだろう?」


 仁威の問いは、これまた純粋だからこそ晃飛には重く、苦しく感じた。


 晃飛はその一番の原因についてよく知っている。それはもちろんあの日のことだ。仁威への恋を無理やり自覚させたあの日のことだ。


 珪己に初恋を無理やり自覚させ、続けざまにその恋に希望がないことを突きつけたあの日だ。


『お子様はおよびじゃない』

『君はここでは恋をすることは許されていない』

『君が大人になる頃には仁兄はもういない』


 言葉を重ねるたびに、珪己の顔は曇り、血の気は失せていった。ひどいことを言っているという自覚は晃飛にも当然あった。だが言わずにはいられなかった。それが自分自身の弱さに直結していることも分かっていた。だからこそ言葉をぶつけ、それを珪己に受け止めてもらわなくては気が済まなかったのだ。


 だがそれ以来、珪己はずっと塞ぎこんでいる。珪己がすぐに思い悩む性質だということは、短いつきあいながらも晃飛は理解していた。純で素直なくせに、いや、だからこそ、もっと知りたい、もっと立派な人間になりたいと、志のままに生きている少女だと分かっていた。なのに言ってしまった……。


 珪己が心を閉ざしたことで、珪己と仁威の関係は急激に悪化した。しかも体が丈夫なだけが取り柄のような少女が、今は寝込む有様にまでなっている。つまりはそこまで追い詰められているということだ。たかが恋のことで。いや、たかが恋と軽んじられないからこそ今の状況がある。晃飛も認めざるを得なかった。恋の価値とは人によって違っていて、この二人にとってのそれは非常に重いものだということを。自分自身の寂しさと天秤にかけて弄んでいいものではなかったことを。


 珪己は今も一人悩んでいるはずだ。解を出すことをゆるされない難題に苦しんでいるはずだ……。


 無言を貫く晃飛に構わず仁威が話を続けてきた。


「今日もほとんどの時間を部屋で寝ているだろう?」

「……」

「そろそろ医師に診てもらう必要がある。口の堅い医師を探してくれないか?」


 じっとこちらを見つめる視線が痛く、晃飛は喉をならしながら小さく答えた。


「つて……あるにはあるけど……」

「けどなんだ」

「そこは……高いよ」


 小さいながらも、晃飛の声には仁威をはねつけようとする意志が感じられた。

 それにも仁威は常のごとく堅く答えた。


「大丈夫だ。蓄えならある」


 けっして逆らわせないとでもいうかのように。


「そう」


 答えた晃飛もまた、すでに仁威に屈服している。他にどうしようもない。


「早い方がいい」

「分かった」

「ああ、だがあいつの本名は名乗らせないでくれよ。お前の遠い親戚だとでも言っておいてくれ」

「はいはい、分かりましたよ。もういい?」


 とげを含んだような声音に、さすがに仁威も気がついた。


「どうした? 何かあったか?」


 晃飛が顔をあげると、こちらを向く仁威の瞳には労りしか見えなかった。だがそこには愛しさは欠片も見えなかった。珪己に見せているような愛しさは……。


 晃飛は手入れをしたばかりの長剣を持って立ち上がった。


「ねえ、今日はこれで稽古つけてくれない?」

「ああ、それはかまわないが」


 それでも探るような視線を送る仁威に、晃飛は笑みを浮かべるや長剣を振ってみせた。刀身に付着していた雫が小さなつぶてのようにあたりに散った。


「俺、実剣でもけっこう強いよ?」


 晃飛の挑発的な態度に、仁威もまた立ち上がった。笑みを浮かべ、やや安心した面持ちで。


「ほお。ならその腕前を見せてもらおうか」


 そう言い、背を向けて己のための剣を取りに行った仁威を、晃飛は唇を噛んで見やった。その顔にはもう笑みはなかった。


(……ねえ、俺がいたら迷惑?)


 けっして言葉には出せない問いを、晃飛は胸の中でそっと唱えた。


「よし。始めるぞ」


 仁威が振り向いた時には、晃飛は元の笑みを浮かべた表情に戻っていた。


「うん、いいよ」


 今、二人が持っている獲物は木刀ではない。金属製の、触れれば斬れる実戦用の剣だ。左右両端、端に向かって薄く鋭く加工されている。だがわざと甘く砥いであり、それゆえ抜き身の表面は曇っている。両刃もまた戦で使う物に比べれば厚く、鋭さに欠いている。それでも、持つ者が持てば、向かう相手を慄かせるほどの強い闘気を発することができる代物で、実際、木刀での立会いとは比べるべくもない凄味が今この二人から感じられる。


 ここが戦場で、相手が殺すべき敵であった場合どうするか。

 それを前提として二人は向かい合っているのだ。


 しばしにらみ合いを続け、晃飛は嘆息した。


(……やっぱり仁兄はすごいや)


 外面は変えず、心の中だけで。


 先ほどはああ言ったが、今の環境では晃飛が長剣を使う頻度はあまり多くない。しかも剣を交える相手は自分よりも格下の者ばかりだ。そうなると、立会いの前提条件――相手は殺すべき存在であること――を頭で理解していても、どうしても演技するように剣をふるってしまうことになる。もとより晃飛は武芸の師範であるから、相手を上達させるために、業を、防御を誘導するような動きをせざるを得ない。


 だが仁威はそういった相手とは全く違う。頭で思い描く必要などなく、今ここが戦場で命を懸けた状態で剣を握っているのだと、対する晃飛ですら錯覚してしまえる気を発している。一挙手一投足を間違えれば、斬撃を受け命を落としてしまうのではないか……そういう恐怖を本能が察知してしまうのだ。


 持つ物が木刀から長剣に変わり、晃飛は有利になるどころか、精神的には不利にすらなっている。


 この夏の間、毎日、晃飛は仁威から木刀による稽古をつけられている。その間、袈裟斬り、胴払い、足払い、脳天割り等、様々な業を晃飛は仁威に試してきた。だがそのどれもが仁威から一本もとれていない。得意の突きも思いつくがままに改良してみたが成功は皆無だ。


 ではなぜ晃飛は長剣での稽古を望んだのか――?


 晃飛は微動だにしない。常であれば速攻で攻撃を開始するところだが、今はただ剣を胸の前で構えているだけだ。


 仁威も同じ構えをとっている。

 何も感じず、何も考えていないかのように。


 ただ、その視線は鋭く晃飛を刺し貫いている。まるで視線に込めた意志こそが剣であるかのように。


『動けば――斬る』


 目力一つで、仁威は雄弁に脅迫している。


 この視線一つで大抵の者は戦意を喪失するだろう。膝をつくなり剣を放り出すなりして。背を向ければ斬られてしまうし、剣を交えれば打ち負けるのは必須――だから全面降伏するしかない、と。

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