想い人
「あれが、晶の想い人だ」
正勝の言葉に、葵は目を疑った。
顔を険しくさせて目を細めると、もう一度、目を凝らした。
目に映るのは小柄な少年だ。自分より年が少し上? しかし、どう見ても、まだ、一人では生きていく事のできない、少年の姿だ。
「あれ、でございますか?」
少年、笹岡陽一は肩をしょんぼり落とし、とぼとぼと歩いて行く。
正勝と共に地球へ下りた葵は、学校という場所に来ていた。
地上は寒く、着物では動きにくいため、正勝の言うとおり洋服を着て、厚手のコートを羽織りさらにマフラーを巻いて温かくしてから陽一を探していた。
空はだいぶ薄暗く夜が近い。
葵は、地球は一日の流れが月よりも数倍早い事に気付いた。
正勝の力は葵とは比にならず、陽一をあっという間に見つけてくれた。
陽一は朝から学問を習うために出かけているらしい。勉強をする時間は、夕方、日が落ちる前までだ。
授業が終わって家に帰るのかと思いきや、女の子に声をかけられて人気のない場所へ移動した。正勝と葵は姿を隠してこっそりと後をついて行った。まだ、日は落ちてはいないが、だいぶ暗くなっていた。
「追いかけよう」
そう言って、正勝が長い脚を優雅に動かして陽一を追う。黒いジャケットにブーツを履いて、洋装の正勝はもう素晴らしく男前で、葵は隣に立つのもドキドキした。なので、晶の想い人である陽一を見た時は我が目を疑ったのである。
葵の中で陽一は、正勝よりも男らしく素敵な殿方をイメージしていた。だが、目の前を歩いている少年は、葵の理想とはるかにかけ離れていた。何度見ても信じられず、葵は頭を振るばかりだ。
「いけませぬ」
不意に、葵が言った。
「は?」
正勝が眉をひそめた。
「いけぬとはどのような意味ぞ」
「何かの間違いではございませぬか? あれでは月の者たちが納得致しませぬ」
「手厳しいの」
正勝が苦笑した。
陽一が右へ曲がったので、二人もついて行った。
歩きながら正勝は、
「ま、顔の造作は悪くないぞ、まだ子供ゆえ、おそらく年を重ねれば多少はよくなると思うが」
と、フォローしたがそれも聞かず、葵は大きく首を振った。
「正勝殿は優しすぎます」
「そうか?」
正勝は優しいと言われたことがなかったので、面食らった。
「それはさておき。ふむ、陽一は、女子に言い寄られていたではないか。それを晶のために断っておるように見えたぞ」
葵は憤慨した。
「当然でございまする。晶さまという姫君がおられながら他の女子などに目がいくようでは、万が一、間違いがございましたら、この葵が決して許しませぬ」
「報告するのか?」
正勝が言うと、葵は人差し指を唇に押し当てて考えた。
「妙案がございます」
「ほお」
正勝がにやにやと笑った。
「陽一殿がどのようなお方なのか、わたくしきちんと見極めて、晶さまにご報告いたします」
「そうかのお、晶には言わぬ方がよいと思うぞ。そなたも、自分の想い人を悪く言うような相手は信頼せぬであろう」
痛いところを突かれて、葵は押し黙った。しかし、目をきゅっと吊り上げると、きっぱりと言った。
「先ほどの娘…、あの娘の中に入り、陽一殿がどのような方か確かめて参りまする」
葵が言うと、正勝が目を見開いた。
「なんと、あどけない顔して気丈な女子じゃの」
感心したように言った。
「よし、せっかく地上まで下りたのだから、そなたの好きにするがよい。俺は援護にまわってやる」
「かたじけのうございまする」
「その言葉遣い」
「え?」
「陽一に気づかれるな」
「気をつけます」
葵は神妙に頷いた。
陽一を追いかけていた葵と正勝は目的を変更し、陽一に想いを寄せていた女を探すことにした。
「俺につかまれ、あの娘の元へ行く」
「はい」
正勝の差し出した腕につかまると、葵は目をパチクリさせた時には、すぐ目の前に目的の女の子を発見した。
少女は、先ほどの場所のすぐそばで泣いていた。
目を赤くして、鼻をすすっている姿を見ると、同じ女として心を痛めた。
「おかわいそうに」
葵は一瞬同情したが、すぐに気を引き締めた。
「行って参ります」
「おう、気をつけろ」
正勝が、にやっと笑った。なんだか、楽しそうですね、と言いたいのをぐっと我慢して少女に近づいた。もちろん、相手に姿は見えていない。
葵は月の世界では位が高く、人に乗り移るくらいは簡単であったが、実際試した事はなかった。地上で自分の力を試す事は、葵にとっても勇気のいる事ではあった。自分は舞よりも力が上だと豪語しているが、できるかどうか不安もある。
少女は悲しそうに地面を見つめていたが、ぶるっと体を震わせると、大きくため息をついた。
少女が動き出す前に乗り移ろう。
葵は、深呼吸すると少女の背後にまわり、手を伸ばして背中に両手を当てた。すると、少女が目を見開いて空を見上げて、はあっと大きく息を吸った。息を吸うのと同時に、葵は少女の中へと入り込んだ。
うまくいった。
葵は、胸の痛みに同調しそうになった。
この子は、今、すごく悲しんでいる。
葵は、目尻から流れる涙を拭いた。涙が止まり顔を引き締めると、陽一の帰った方向へ足を向けて歩きだす。正勝はいるだろうか、と振り向いたが、少女の目では見えなかった。
きっと、追いかけて来てくれているはずだと信じて、葵は急いだ。
門を出ると、ちらちらと白い物が舞っていた。
雪だ。
葵は、体を震わせて陽一を追いかけた。
陽一は家に向かっているところだった。追いかけると後ろ姿が見えた。
「陽一くんっ」
葵が呼びかけると、陽一がぎょっとした顔で立ち止った。
「森口?」
陽一が、森口と呼んだ少女の全身をじいっと眺めて、首を傾げた。
「ど、どうかした?」
葵はびくっと肩を揺らした。
「んー?」
陽一がじっと見つめている。葵は、不安のあまり目をさまよわせた。
「あんた、誰?」
「えっ?」
ドキッとする。
「あ、あの…」
陽一は、葵に近寄った。
「あんた、森口じゃないな」
ばれている。信じられない。
葵は泣きそうになった。とたんに、鼻がツンとして、涙があふれた。それを見た陽一が、あたふたした。
「あ、あっ、ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ごめん、言い方がきつかったよな。ごめん、泣かないでよ」
陽一が焦ってじたばたしている。
葵は、泣きべそをかいたまま、陽一を見上げると、彼はかばんを探りながら何かを探していた。何かを見つけると、これ、使って、と差し出した。
柔らかいティッシュを差し出され、葵は、受け取って涙を拭いた。
「あ、ありがとうございます」
「脅かした俺が悪かったよ」
困ったように頭を掻いて、顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
急に近づいた顔を見て、葵の胸がドキンと跳ねた。
「は、はい」
見破られた事と、泣き顔を見られた恥ずかしさで葵は俯いた。
「君が誰だか分かんないけどさ、雪も降って来たし、暗くなって危ないからさ、歩こうか」
陽一はそう言うと、葵を守るように隣に立ってゆっくりと歩き始めた。小柄だと思った少年は、少し見上げるほどに身長がある。少女の心がときめくのか、ドキドキが止まらず困った。
「君、誰?」
「あ、葵と申しまする」
「ああ…」
陽一が立ち止ったかと思うと、にっこりと笑って葵を見た。
「そうか、月から来たんだな」
なんで、ばれたんだろう。葵は、再び泣き顔になる。
「ああ、ごめん」
陽一はびくっとして、顔をそむけると再び歩き出した。
「何か、事情があって来たんだよな。本当ごめん、俺ってはっきり言い過ぎるのかな。ごめんな」
しょんぼりと肩を落として歩き始める。
葵は、何のために少女の中に入ったのか、分からなくなりそうだった。
「で、どこまで送ったらいい? 俺に用事があるんなら、話聞くけどさ」
まさか、偵察に来たなんて言えない。
葵は、とっさに嘘をついた。
「わ、わたくし、舞さまに地上のお話を窺って、どういうところか知りたくなったのです」
「えっ、舞ちゃんを知ってるの?」
急に陽一の顔が生き生きしだす。陽一の嬉しそうな顔を見ると、何だか腹が立った。
「舞ちゃんは元気? ああ、会いたいな」
陽一がにやけている。しまりのない顔にむかむかした。
「仲がよろしかったのですか?」
思わずつんけんした口調になった。気付かない陽一は、
「そんなんじゃないけどさ、ほら、舞ちゃんってお姫様みたいじゃん。憧れっつうか」
と笑った。
憧れ。少女からの知能を借りれば、地上でいう手の届かないアイドルのようなものらしい。
アイドル。
和記さまから見た晶の存在が憧れだ。そんな気持ちを舞に抱いているのかこの少年は。
葵は目を見開いた。なんだか、納得がいかない。
「どしたの? 怖い顔して」
「え? ええっと、なんでもないんです」
葵は、すぐに笑顔を取りつくろった。
にっこりと笑うと、陽一が目を丸くした。
「びっくりした、森口の笑顔ってあんまり見たことないから、笑った方がすっげえ可愛いよ」
陽一に褒められて、葵、そして、少女の胸がほんわかと温かくなっていった。




