生贄
赤猪子に助けられた陽一たちは、社の前に瞬間移動した。
「尾けられておらぬか?」
佐野が不安そうに言った。気配は感じられない。
社の中に入り、陽一は眠っている自分の体に戻った。生きていることに安堵する。
「赤猪子さん、ありがとう」
「いいんじゃ、それよりも、殿下」
赤猪子がじろりと佐野を睨みつけた。佐野が目を逸らす。
「あの者の正体は?」
「さあなあ」
佐野はぽりぽりと頭を掻いて知らぬふりをするが、赤猪子の言葉は鋭かった。
「答えぬのであれば、ここを出て行くのじゃ、陽一殿に危害を加えるようなら、このわしが許さぬ」
「いやいやいや待ってくれ」
佐野は大げさに手を振った。
「陽一くんに危害を与えるなんて、そんな事をするはずがないだろう」
「わしがおらぬ間に、陽一殿の力を使ったな」
「いやいやまさか」
佐野はしらばっくれる気でいる。陽一はじっとりと佐野を睨み、知っている情報を赤猪子に伝えた。
「佐野さんは女に力を全部取られたみたいなんです。でも、その女がどこにいるのか分からなくて、俺に探して欲しいって。で、イカワって男に命も狙われているって」
「イカワ…? 聞いたことないの」
赤猪子は首を傾げた。
「で、そのイカワとは何者ぞ? 隠しても無駄ですぞ、わしは何としてでもあの男の正体を暴くゆえ、時間の無駄じゃ」
赤猪子は腰に手を当てて佐野を睨む。佐野は観念したように息を吐いた。
「あれは、この地域に住む神だ。名を井川英雄と名乗っている。だが俺はこの土地全てを支配する神だぞ、各地をまわってどこが悪い」
「まわったぐらいで恨まれるはずがない。何かしたのでしょう」
「するわけ…」
佐野が手を左右に振ったが、赤猪子はびしっといった。
「女じゃ、殿下、女に手を出されたのだな」
「まさか…」
ハハと笑う顏が引きつっている。そのうち、佐野は暗い顔になっていった。
「やはり」
赤猪子が大きく頷く。
「その井川と申す奴の女を奪ったのじゃな」
とたん、佐野は顔を上げて吠えるように言った。
「生贄にされるところだったんだぞっ」
「生贄?」
今時、そんなおっかない事をする人間がいるのか。陽一はぞっとすると、赤猪子も顔をしかめた。
「生贄じゃと?」
「そうだ。奴のために生贄にされかかった女だ。助けてどこが悪いのだ」
佐野は偉そうに口を尖らせる。
「それで、その女性はどこにいるんですか?」
陽一が聞くと、佐野は顔をしかめて首を振った。
「あいつに奪われた。どこにいるか分からない」
「そんなっ。だったら、こんなところで悠長にしている暇はないでしょう」
佐野はがくりと頭を垂らすと、ぽつりと言った。
「好きな酒をちょっと飲んでいる間に意識を奪われ、その上、力も全て奪われた。気がつけば唯までいなくなっていた」
「ユイとは?」
「生贄にされかかった女だ。誓って言う。俺は唯以外の女に目をくれたことはない。一目惚れだった。本当に美しい女で唯ほど心の清らかな人はいない」
力説する佐野を見て、陽一と赤猪子は同時にため息をついた。
「最初に説明してくれたらよかったのに」
陽一が言うと、佐野は力なく首を振った。
「だって、情けないだろう」
いやいや、そういう問題じゃないんだけど。
「その女性の命が危ないのなら、俺だって手伝いますよ」
「本当か陽一くん」
佐野が目を輝かせた。
「当然でしょ。赤猪子さんだって、同じ気持ちだよ」
「そうじゃな。殿下、水臭いではありませぬか、もっと我らを頼ってくだされ」
「かたじけない」
佐野が大きく頭を下げた。赤猪子がそれを見てにこりと笑った。
「では、その女性、唯殿を助ける策を考えねばならぬの。そうじゃ、殿下のおかげで忘れるところであった。陽一殿」
「うん」
「姫が、陽一殿に会いたいと申しておりました」
「えっ、本当っ?」
陽一はドキンと胸が高鳴った。赤猪子は頷いた。
「ですが、まだ、地上へ戻れる時期ではないゆえ、陽一殿には今しばらく我慢していただかねばなりませぬ。姫も戦っておりまする」
真剣な表情に陽一も頷く。
「もちろんだよ」
陽一は、晶が自分の事を想っていることが分かっただけでも飛び上がるほどうれしかった。
「俺は約束したんだ。いつまでも待つって」
「わしからも御頼み申します」
赤猪子が深く頭を下げた。
「俺、絶対に諦めないから」
「陽一くん」
佐野が陽一に詰め寄る。
「その心意気で俺の唯も助けてくれ」
陽一の手の上から、重ねるように佐野が分厚い手でぎゅっと強く握りしめた。




