初めてのこと
朝、寝坊しかけた陽一は、母親に叩き起こされて大慌てで学校へ行った。
授業中も欠伸が止まらない。
昼休み、弁当を食べて机にうつぶせになった。
まさか、今日も佐野に引っ張りまわされるんじゃないだろうな、と頭を抱えていると、陽一のそばへ森口七海がやって来た。
「笹岡くん」
「ん?」
顔を上げると、何か言いたげな顔の森口がいた。
「何?」
「今日の放課後、残って欲しいんだけど」
「えっ?」
嫌そうな顔をすると、森口はますます不機嫌な顔になった。
「保健委員の仕事、一人は嫌なの。手伝ってね」
「ああ」
そうだった。冬休みを前に保健委員会の仕事があったのだ。
「いいけど、何するの?」
「今日は在庫のチェック」
「在庫かあ…」
トイレットペーパーとか、アルコールとか石鹸だっけ。
面倒くさいなと思っていると、クラスメートの女子が教室の入口から陽一の名前を呼んだ。
陽一と森口が顔を向けると、入口にクラスメートと見たこともない女子生徒がいた。訝しく思ってそちらへ行くと、見知らぬ女子生徒はもじもじしている。
「えっと、ごめん、誰、かな…」
わりと可愛い子だ。陽一を見ると、頬を染めた。
「あの、少しいいですか?」
と廊下の方へ促す。陽一は面食らって、
「いいけど」
と、わけも分からず女子生徒について行った。
「あの、どこに行くの?」
聞いてみたが答えない。不安になりながら女子生徒の後ろを歩く。少女は時々振り向いて陽一がついてきていることを確認し、人気のないところへ歩いて行った。
学校の校舎の裏は日陰になっており、木枯らしが吹いてものすごく寒かった。
「あ、あのさ、寒くない?」
歯をガタガタいわせて言うと、女子生徒は小さい声で言った。
「あ、あの、ずっと前から好きだったんです」
「は?」
今、何を言われたんだろう。好き? 俺を好き?
陽一はパニックになりそうになって、一歩、後ずさりした。穴のあくほど少女を見つめる。冗談を言っている様子ではなかった。
「お、俺を?」
思わず自分を指さす。生まれて初めての告白だ。
口を押さえて驚く。しかし、すぐに晶のことを思い浮かべた。
「あっ、ご、ごめん、俺、彼女いるんだけど」
「えっ?」
少女が泣きそうな顔で陽一を見た。
「ほ、本当ですか?」
「う、うん。ごめんな」
少女は唇を噛みしめると目を潤ませた。
「い、いいんです。あの、伝えたかっただけなんです」
そう言うと、女子生徒はどこかへ走って行ってしまった。残された陽一は呆けたようにその場に立っていたが、寒さにぶるるっと体を震わせた。
急いで校舎に戻る。しかし、頭の中は少女の告白の言葉であふれていた。
――ずっと前から好きだった。
信じられない。晶の存在がいなければ、もう、舞い上がって大喜びしていたかもしれない。
けれど、今は喜ぶ気持ちよりも、晶の存在をもっと感じたいという欲求の方が強かった。
晶の顔が見たい。
少女が悲しそうな顔で去って行く顔を思い出すと、少し驚いた気持ちがしぼんでいった。
俺も、好きな人に同じように断られたらへこむだろうな。
なんとなく後味の悪い気持ちで教室へ入った。同時に、休み時間の終わるチャイムが鳴り響いた。
眠気と戦いながら、ようやく六時間目の授業を終えて、かばんに教科書を詰める。さて次は在庫チェックだな、と顔を上げると森口がそばに立っていた。
「わ、忘れてないからな」
むきになって言うと、
「分かってるよ」
と、森口が面食らって呟いた。
陽一が、トイレ横の倉庫の鍵を職員室に借りに行っている間、森口は倉庫の前で待っていた。戻った時、森口は何だか元気がなさそうに見えた。
「風邪か?」
「え?」
弾かれたように顔を上げて陽一を見る。
「どうして?」
「いや、元気がなさそうだから」
「そんなことないけど…」
なぜか、森口ははにかんだ笑みを返した。
それから、笑顔が戻った森口と在庫確認をして帰ることにした。だいぶ薄暗かったので、森口の家まで送ってあげた。ありがとう、と森口はお礼を言って家に入って行った。
陽一は、佐野が待っていると思い、赤猪子の社まで急いだ。
佐野は、この寒い中、縁に胡坐をかいて座っていた。陽一を見ると、ふてくされた顔がますます険しくなる。陽一は走って行くと、
「陽一くんっ」
と、顔を合わすなり大声を出した。陽一は耳を押さえた。
「あのね、俺にだって用事があるんです。今日は保健委員会の仕事があったの」
「保健委員会?」
佐野が顔をしかめた。きっと、理解できないのだろう。説明するのも面倒くさいので、赤猪子はいるのか、と話を逸らした。
佐野は何か言いたげな顔で陽一を睨んだが、首を振った。
「そっか。まだ、月に居るんだ」
「陽一くん、もう一度俺の体に入って、女を探しに行くぞ」
お腹は空いていないのかな、と思ったが黙っておいた。少しでも早く家に帰りたい。
「分かりましたよっ」
やけくそに言って、佐野の胸に手を当てた。昨日の要領で佐野の中に入り込む。今度は自分の意思で佐野の肉体に入りこめた。どさっと音を立てて自分の体が横たわる。陽一は、体が冷えないかな、と心配になった。すると、佐野が陽一の体を軽々と抱き上げて、寝室のある部屋へ連れて行った。以前、寝たことのある部屋だった。
「ここなら安全だろう。結界も張っておこう」
佐野が、指先を合わせて四角い形を作った。そのまま両腕を広げると、半透明の結界ができて、陽一の眠っている部屋一面を取り囲んだ。
――すげ…。
結界の作り方を初めて見た。
――どうやったんですか?
聞くと、祝詞を唱えるんだ、と佐野が答えた。
――祝詞?
「自然と頭に浮かんでくる。今度やってみるといい。さあ、そんなことよりっ」
佐野が吠えた。
「いざ、行くぞっ」
大きく飛び上がったかと思うと、昨日よりも倍のスピードで街へ飛んでいく。
だから、人に見られたら面倒だから…。
陽一は、佐野の中でため息をついた。




