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感覚




 月では時間の感覚が地上とは大きく異なっている。

 比較的ゆったりとした時間を月の住人たちは過ごしており、晶の元を離れた和記は、ぼんやりと空を眺めてはため息をついた。


「和記さま…」


 傍らに控える葵も思わず声が小さくなる。


「そろそろお休みになりませぬか?」

「ええ」


 和記は上の空で答えた。


「また、公達から文が届いております。こちらなんか、とてもいいお香を使ってらっしゃいますわ」


 焚いた香と一緒に花を贈り、女心をくすぐる。今までの和記であれば、目をうるませて大切に読んでいたが、最近は文を見ても心は揺れ動かない。


 以前なら、月の男たちが自分の事を想って文を寄こすことに優越感を持っていたが、時々、夜中に忍び込み、腕づくで和記を押し倒そうとした男や自分以外にも同じような文を送って楽しむ男などもいて、恋とはいかがなものであろう、と考えるようになっていた。


 たとえ、晶のように男を跳ね返し、男社会を壊そうと大それた考えを持ったとしても、それが現実になるとは思っていない。しとやかな湖葉久などは、和記の行動を見張っているようなしぐさも時々窺わせる。


 恋をしたことのない和記にとって、地上から戻って来た晶はどこの姫よりも気高く凛としていた。しかも、愛し合っているおのこまでいる。

 晶はその人一筋に生きてきて、全てを投げ出そうとしているのだ。晶ほど恵まれた女性はいないのに。


 陽一とはどんな男だろう。


 声に出ていたのだろうか、葵がそっとそばに寄って来た。


「和記さま」

「なあに?」

「わたくしが行って参りましょうか」

「え?」


 何のことだろうと首を傾げる。


「行くってどこへ参られるの?」

「地上へ行って、陽一さまをこの目で確かめて参りますわ」

「まあ…」


 葵は何を言っているのか。和記はおろおろした。


「ダメよ、そんなことを云っては」

「大丈夫ですのよ」


 葵は屈託なく言って、和記の手を取った。


「わたくしのお仕え致しております和記さまがこんなに苦しんでいるのに、何もしないなんて、何のための付き人でしょうか。それに、わたくしとても興味がございますの」


 葵の目は輝いている。

 和記は手を合わせた。本当にそんな事が可能なのだろうか。

 葵はにこっとほほ笑んだ。


「舞さまが地上へ下りることができたのです。舞さま以上の力を得ているわたくしであれば、可能でございます」

「でも、どうやって許可を得るの?」

「それは、なんとか致しますわ」


 和記は葵の行動力に驚いてしまった。こんな可愛い顔をしているのに、どこから力が湧いて出るのだろう。


「本当に頼んでいいの?」

「もちろんですわ」


 葵が、和記の手をぎゅっと握りしめる。この繊細な指先からほとばしる力を感じたのは初めてのことであった。

 それから和記は少し安らいだ表情で床に就き、屋敷へ下がった葵は自分が言いだした事に驚きながらも、地上へ行ける喜びでどうしても笑顔を隠せなかった。


 一度でいいから、月を出てみたかった。


 舞より一回り年下の葵だが、文学好きのこの少女は様々な書物に目を通しながら、想像力をたくましくさせ、いろんな世界をこの目で見たいとずっと考えていた。

 陽一殿とはどのような人なのだろう。

 あの、晶さまが夢中になるようなお方なのだから、この月にいるどの殿方よりもきっと素晴らしい人に違いない。

 月の住人が地上へ行くことは禁じられているわけではない。数日の間、湯治を理由に届出を出せば、地上へ行くこともできるはずだ。


 葵はすぐにでも療養目的で後宮から休みをもらえるよう届書をしたためた。

 翌日、家臣に届書を出すように頼むことにしよう。と、そこまで考えてから、陽一殿は地上のどこにいるのだろうとふと気がついた。

 細い指で唇をなぞりながら思案する。

 ただ地上へ下りるだけでは見つける事は不可能だ。

 葵は頭を悩ませながら、信頼できる女房に頼む事を思いついた。


 あの方ならば、何かよい案を考えて下さるだろう。


 そう思いつくと、全てがうまくゆくような気がしてきた。



 あの方というのは、女官のまとめ役を兼ねている女房のことで、名前をお田霧たきりさまと言う。帝の血筋を引く晶の従姉にあたる女性であった。


 太政大臣の父を持ち、今の帝、慶之介の従妹でもあるが、性格は穏やかで誰にでも優しい。

 葵のような年下にも気さくに声をかけてくれる。

 まだ14歳の葵にとってあこがれの女性だ。

 困った時は一人で抱え込むのではありませんよ、と会うたびに声をかけてくれた。


 お田霧さまとお話ができるのかと思うと、さらに気持ちは浮き立った。

 さっそく後宮に上がり、お田霧さまを探した。お田霧さまは書簡の部屋にいた。静かに写生をされているところだった。彼女は葵の姿を目にすると、すっと目を上げてほほ笑んだ。


「葵さま、どうぞこちらへ参られて」


 優しい言葉に葵はぼうっとなって手を突いて挨拶をすると、そばへ寄った。


「お久しゅうございます」

「相変わらず可愛らしいこと」


 お田霧さまはほほ笑むと、筆をおいてこちらへ体を向けた。


「何かご用が御有りなのでしょう」

「は、はい」


 葵は、ちらりと取り巻きの女房を見た。お田霧さまはすぐに人払いをする。さらさらと女房たちが退出する。


「さあ、わたくしたちだけでございますよ」


 いたずらっぽく笑って、少しだけ体を寄せた。お田霧さまはいい匂いがしている。


「あの、わたくし、一度でいいので、地上へ行きたいのでございまする」

「まあ…」


 お田霧さまは少しだけ目を見張った後、すぐにほほ笑んだ。


「それはよいこと。たれかよき守り人がいらっしゃるの? わたくしが寄こしましょうか」


 お田霧さまは心が広いお方だ、と思って胸が熱くなった。葵は、すっと手を突くと、声をひそめた。


「あの、実はわたくし、晶さまの想い人に会って、姫さまにご報告をしようと思っておりますの」


 お田霧さまは小首を傾げると、少し考える顔をした。


「晶さまはご存じなのですか?」

「いいえ。それで、晶さまの想い人は地上のどちらに居るのかも分かりませんので、お田霧さまのお知恵をお借りできたらと思ったのです」

「そうですか…」


 お田霧さまは静かに息を吐いた。


「葵さま、このことは誰にも申してはなりませぬ。わたくしと二人だけの内緒話にしましょう」


 葵は、はっと口を押さえた。


「は、はい。もちろんでございまする」


 葵の表情を見ると、お田霧さまはふふふ、とほほ笑んだ。


「わたくしに任せるのです。よき人物を知っておりますの。きっと葵さまの役に立てるでしょう」


 その言葉を聞いて、葵はうれしさに思わず涙ぐんだ。


「あらあら」


 お田霧さまがそっと畳紙たとうがみを差し出す。それを受け取り、涙を拭いた葵は笑った。


「ありがとうございます。お田霧さまならきっとわたくしを助けて下さると信じておりました」

「大げさですね。でも、わたくしの所へ来てくれて本当にうれしいわ」


 お田霧さまが葵の頭をそっと撫でた。葵は笑顔で頷いた。


 お礼を言って、葵は、和記の元へと行くと、彼女は今か今かと自分を待っていたらしい。すぐさま手を取られた。人がいなくなり、二人きりになる。


「葵、あの話はどうなりましたの?」

「和記さま、順調に進んでおります。何も心配することはありませぬ」

「本当に?」


 和記の顔が明るくなったかと思うと、すぐに心配そうに眉をひそめた。


「危険はないのですか?」

「和記さま、前にも申しましたように、わたくしは舞さまよりも力を持っております。あの、舞さまが幾歳いくとせも晶さまのそばにいられたのでございますよ。全く心配はございませぬ。それに、陽一殿を見つけましたらすぐに戻って参ります」

「ああ…」


 和記は、葵の手をぎゅっと握って顔を伏せた。


「なんて、お礼を言ったらいいのかしら」

「お礼などとんでもございません。それよりも和記さまの笑顔を見ることができたら、わたくしうれしいのです」

「わたくしの笑顔など、大したものではないけれど、葵のことは大切に想っているのよ」

「存じ上げております」


 そう言うと、二人はお互いほほ笑んだ。

 葵は早く地上へ行ってみたいと心を弾ませた。




拙作をお読みくださりありがとうございます。


こちらの作品は、2024年よりカクヨム様にて推敲しなおして、再度連載を始めました。

まだ、なろう様の方の部分の方がかなり進んでいるのですが、もし、ご興味がありましたら、カクヨム様にて読んでいただけると幸いです。

ありがとうございました。

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