居酒屋
晶にもう一度、会いたい。
そのために努力しているのに、わけのわからない男に目をつけられるとは夢にも思わなかった。
陽一が困ったように息を吐き出すと、佐野がガバッと顔を上げた。
「ということで、陽一くん、俺も腹が膨れたし、だいぶ動けるようになった」
「は?」
怪訝な顔をすると、佐野がこれから出かけようと言いだした。
「出かけるってどこへ行くんですか」
陽一が憮然とした顔で言うと、
「当然、俺の力が奪われた居酒屋さ」
と佐野が平然と答える。
「居酒屋って、俺、未成年ですよ」
「大丈夫、俺の体の中に入ってよし。許可する」
「入るって、どういうことだよ…」
「俺の体の中に入るんだよ」
「入れるわけないでしょ、わけ分かんね」
「陽一くん、言葉遣いがよろしくないな」
「ほっといて下さい」
「ま、若いから仕方ないか、ほれ、やってみよう」
佐野が近づいて体を差し出す。
陽一はひくひくと頬を引きつらせた。
「だから、やり方が分からないんですけど」
「しょうがないな」
佐野はぶつぶつ呟くと、陽一の手を強引に取ってベッドに座らせた。
「憑依というかな、この場合」
佐野が小声で何か言ったかと思うと、陽一の手首をぐいっと自分に引き寄せた。佐野の胸に手を突いて抵抗したが、気がつくと体が吸い込まれてしまった。
(な…)
陽一は目を丸くして、ベッドに横たわっている自分を眺めていた。
(な、何が起きたんですか…?)
「これくらいは俺にだってできるからさ」
自分の口が、いや、佐野の体が答えた。
「今、陽一くんの意識は俺の体の中に入っている。これで俺も力も使えるだろうか」
佐野が言って、陽一の体をひょいと浮かせた。
「おお、簡単だ」
(ちょ、ちょっとやめてください)
大切な体に何をするんだ、と抗議したが、佐野は目を光らせると窓に近づいた。
「さあ、君の力が加わったおかげで俺も久々に力を使うことができる」
言うなり、窓の外に向かって体を投げ出した。
当然、瞬間移動をするのだろうと思ったのだが、佐野は窓をすり抜けるとそのまま空を飛んでいく。
(ちょ、ちょっと人に見られますよっ)
慌てたが佐野は聞いてくれない。
夜風が気持ちいいなどと言っているが、季節は真冬だ。寒いに決まっているのに、佐野は気分が高揚しているのだろう、聞いちゃくれない。
あっという間に街の方へ行き、薄汚い一軒の居酒屋の真上に来た。人がいない場所へ下りるとまっすぐに居酒屋へ入って行く。
陽一は、佐野の体の中でひやひやしながらカウンターに座る佐野とともに周りを窺った。今夜は特に寒い。そのせいか客は少なく、カウンターにもほとんど人はいなかった。
「ビール」
佐野が注文をすると、すぐにビールが出てきた。ぐいっと飲み干してもう一杯注文した。
(あのさ、目的を忘れていないですよね)
陽一が体の中で囁くと、佐野は、あ、という顔をした。
「いや、久々の居酒屋で気分が舞い上がっていた」
忘れていたのだと思うと、むっとくる。
(俺は明日も学校があるんですよ)
「分かってるよ」
佐野が面倒くさそうに言った。居酒屋の店主がギョッとした顔で佐野を見た。それから、ささっと少し距離を置いた。
「さて」
佐野は手を揉むと、チラチラと店内を見渡した。小声で話し出す。
「陽一くん、残留思念をたどり、女の気配をさぐってくれ」
(そんな、むちゃくちゃな…)
店内には、いろんなエネルギーで渦巻いている。こんな中で見たこともない女の気配をさぐれと言うのか。
やりたくない、と言ったところで佐野が聞いてくれるはずはない。
もう、なるようになれ、だ。陽一は、佐野に女はどこに座っていたのか聞いてみた。
「女のいた席は今座っている席の隣だ」
右横を示す。陽一は、佐野の中にいながら息を大きく吐き出し、自分の体内にある『石』の力を感じ取ることから始めた。『石』は陽一のやりたいことを忠実に感じて動いてくれる。
女…。ここに座っていた女はたくさんいた。
若い女、中年の女、実体は分からないが、たくさんの女たちの思考をさぐる。
ただ単に飲みたい気分で一人で飲んでいる女、好きな男と会いたくて来た女、友達と安い居酒屋でストレス発散に来た女、溢れだすように女たちの思考をさぐっているうち、陽一の頬がピクリと頬を動いた。感情が読めない。空気のような女がいる。
すぐに、佐野が反応した。
「分かったかっ」
大きな声で思考を遮る。店主がギョッとして、佐野を睨んだ。
(静かにしてくださいよ、追い出されますよ)
陽一がたしなめて、感情のない女の話しをした。
「そいつだ。きっと、俺が現れるのを待っていたに違いない。それで、その女はどこに行った?」
(そこまではまだ…)
さぐっている途中で中断したからとは言えなかった。佐野は必死の形相をしている。陽一はため息を吐いた。
(とりあえず、気配を感じることができたから、もしかしたら、どこかで会ったら分かるかも知れません)
「そうだな」
うん、と力強く頷いて、ビールの勘定を払うと店を出た。もっと居たがるかと思ったが、お金をあまり持っていないようだった。
名残惜しそうに店を出て、息を吐き出す。よほど悔やまれるらしい。
「今日はありがとう、陽一くん」
佐野がしんみりとお礼を言った。
まだ進展はないが、まずは一歩というところだろうか。
陽一も他人の体に入ったせいか、だいぶしんどかった。
佐野の言葉を聞いてほっとしながら、早く休みたいと思った。
佐野の体のまま家に帰り、実体に戻る。それから佐野を赤猪子のいる社に送って、再び、部屋に戻った。
ぐったりとしてベッドに横になると、すぐに寝てしまいそうだった。
「晶…」
陽一は呟いた。
これから先のことを考えると、頭が痛い。
ああもう、寝てしまおう。
陽一は目を閉じた。




